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 ふわりと舞い降りたような、ぷかりと浮き上がったような不思議な感覚。

 じわじわと温かいものが染み渡ってゆく。

 しばらくして、それが自分の体温だと気付いた。

 戻ってこれたのだと実感が湧いてくる。

 重い瞼をゆっくりと押し上げると、今しがたまで居た雲の中のように真っ白だった。


「のえるサン?」

「ノエルっ」


 段々と視界の霧が晴れ、はっきりと見えてくる。


「ノエル、良かった」


 涙を浮かべ、僕の顔を覗き込むミリィ。


「倒レタ時ハ、ドウシヨウカト」


 上からジャックも覗き込んできた。


「ノエルぅ~」


 ルーシーが泣きべそをかきながら、お腹の辺りでふよふよと浮いている。

 ここは……僕のベッド?

 首が動かせず、周りを見回す事が出来そうもない。もちろん、体を起こす事など無理だ。

 ひとまず、戻って来れたと報告したいが声も出ない。

 後遺症か何かだろうか?

 嫌な汗が吹き出てくるが、やはり拭う事も出来ない。


「ニャム……焦らずとも良い」


 老人の声。


「そこを空けてくれるかの」


 ミリィの顔が引っ込むと、真っ白な髭の老人が顔を出した。


「己の状況がわかるか?司祭ノエル。瞬きで返事してみよ」


 僕は1つ瞬きした。

 周囲から安堵のため息が漏れた。


「ふむ、ふむ。蘇生魔法は上手くいったようじゃの」


 僕の胸や手首を触り異常がないか調べ、老人も安心したような表情で僕を見た。


「しばらくは動けぬじゃろう。なにせ、死にかけておったのじゃからな。じゃが、じきに肉体と精神が馴染み、元通りじゃ」

「アリガトウゴザイマス、りぃずべる様!」

「何の何の。弟子の為じゃ……ニャム」


 老人が悪い顔で笑った。

 やはりこの爺さんがリィズベルか。


『師匠を呼び捨ては感心せぬのう』


 ふいに頭の中に声が響く。

 たしか、司祭感応だったか。それにしても勝手に心を覗かれるのはいい気分じゃないな。


『それは儂のせいではないぞい。お主のがダダ漏れなのじゃ』


 えっ、そうなの?


『まあ、その辺りも追々教えてやるわい。まずは休め』


 はい。あ、1つだけ。

 僕が司祭だと何故知ってたの?何となく気になっちゃって。


『鑑定したんじゃ。気付かなかったかの?』


 どこで?


『何という店じゃったかの……珈琲がやたらと美味い店じゃ』


 マレズ珈琲店かな?……あっ!あの悪寒が走った時か!


『司祭は他の司祭に鑑定されると嫌な感じがするものじゃぞい。力量差があまりにも大きいと気付かぬ事もあるようじゃが』


 そっか。じゃ、あと1つ。


『1つだけではなかったかの?まあいい、言ってみよ』


 何故、僕を弟子に欲しがるの?蘇生魔法を使えるほどの司祭なら、希望者たくさんいそうだけど。


『職業が司祭の弟子が欲しいのじゃ。ちなみにお主が最初の弟子じゃ。そして最後の弟子であろうの』


 やっぱり司祭って少ない?


『儂が出会った人間の司祭は、お師匠さんとお主だけじゃ』


 そっかあ。あ、最後に1つ。


『お主のあと1つは幾つあるのじゃ?最後じゃぞ?』


 僕は瀕死だけど死んではいないよね?それに蘇生魔法って変じゃない?


『完全に死んだら蘇生魔法も効かぬぞい。死の淵を彷徨(さまよ)っている間のみ、効果のある魔法じゃ』


 死の淵で列に並ぶ、でしょ?


『ホッホッ、死神と話したか……もういいじゃろ?では眠れ』


 うん……

 前に『スリープ』かけられた時のように、ストンと眠りに落ちていった。



 ◇



「ハイ、アーン」

「……あーん」


 体を起こし、食事を口に運んでもらう。

 毎日、体を拭いてもらったり、こうして食事の補助をしてもらったりと甲斐甲斐しく世話してもらって、言うこと無しだ。

 世話してくれるのがスケルトンでなければ、だが。

 もぐもぐと咀嚼していると、ジャックの布を持った指骨が伸びてくる。


「アア、アア、マタ溢シテ。仕方ナイデスネエ」


 口元を拭かれながら、お嫁さんを貰うなら、せめて生きてる人間にしようと心に決めた。

 蘇生してから2週間。

 なんとか肩を借りて歩けるくらいには回復した。

 とは言え、1日のほとんどをベッドで過ごすのは変わらず、とても退屈な毎日だ。

 窓越しにサニーと会話するのも楽しいのだが、彼は会話のテンポが非常に遅く、ついウトウトしてしまう。喋ってるサニーの方が寝てしまうことさえある。

 やることもなくぼんやりとしていたら、玄関のドアをノックする音がした。


「ハーイ」


 新妻の声のトーンで、エプロン姿のスケルトンが駆けてゆく。

 少しの間の後、馴染みのある声が聞こえてきた。


「調子はどう?」

「ノエル、元気~?」


 ミリィとエリーゼが部屋に入ってきた。唯一の楽しみ、見舞い客の登場だ。


「うん、だいぶ良いよ」


 エリーゼが部屋を見回してから、イスに座る。


「今日はリオっち来てないんだね」

「来てないね」


 リオは僕が倒れた事に、大変責任を感じていた。

 実際、リオに原因の一端はあるのだが、不用意に鑑定した僕にも責任はある。

 蘇生してからというもの、毎日僕の部屋に来ては土下座しながら反省の弁をたっぷり1時間は語っていく。

 そこまでされると、こちらが申し訳なくなってくる。


「昨日は面白かったね、リオっち。ノエルがもう来なくていいよ、って言ったらみるみる涙があふれて」

「アタイを見捨てるのかニャー!だもんね。リオさん可愛い」

「土下座は1回で十分だよ。今日もするのかなあ」

「するね、間違いなく」


 ミリィが可笑しそうに笑う。


「そう言えば、アルベルトはどう?まだ付け回されてるの?」


 僕の言葉を聞いた途端に、ミリィがガックリと項垂れた。


「ご、ごめん。嫌な事思い出させたね」

「ううん、違うのよノエル」


 エリーゼが代わりに答えた。


「その件は片付いたの」

「片付いた?本当に?」

「本当」


 エリーゼは眉を寄せて困り顔で笑った。ミリィがゆっくりと顔を上げる。


「……一昨日、アルベルトに声をかけられたの。真面目な顔して話があるって言うから、エリーゼと一緒に聞いたんだけど」


 エリーゼが笑いながら話を引き継ぐ。


「俺は真実の愛に目覚めたんだ!すまないがミリィ、君は諦めてくれ!だって。その時のミリィの顔ったら」

「そんなに笑わないでよ」


 ミリィが頬を膨らませる。


「シカシ、ソノ真実ノ愛?ヲ向ケラレテイル方ハ大丈夫ナノデスカ?」

「大丈夫じゃないかな?何だか凄く強い人みたいだから」

「へえ」


 その後も4人で談笑していると、ふいに窓ガラスが叩かれた。

 皆の視線の先には師匠がいた。


「ニャム……邪魔するぞい」


 窓を開けてふわりと浮いて入ってきた。


「師匠、玄関から入って下さいよ」

「それじゃと、また追い払われる気がしての」

「根に持つタイプですね」

「うむ、よく言われるぞい」


 師匠はジャックが譲ったイスに座ると、小脇に抱えていた風呂敷を解いた。


「……それは!」

「鑑定するでないぞ。まだ呪いは解けておらぬでな」


 それはあの鏡だった。


「やっぱり素敵……」

「凄いよね、コレ」


 鏡は、ミリィとエリーゼが見惚れるのも当然の、妖しい美しさを備えていた。


「これは(いにしえ)の儀式で使われておった魔鏡じゃ。お主を呪ったのは儀式で生け贄にされた者達であろうの」

「生け贄……」

「こういった呪いのアイテムは鑑定した者の精神を蝕む事がある。気を付けるが良かろうの」

「しかし、どう気を付ければ?鑑定する前に区別出来るのですか?」


 師匠はニャムっと口を鳴らし、少し考えてから答えた。


「さあのう」

「えー」

「何となく、としか言えぬのう。見た目が怪しげだったり、由来があやしかったり。とにかく、こういう物もあるのだと心に留め置け」

「はい」

「で、じゃ。今日来たのはコレの呪いを解くのをお主に見せる為じゃ」

「【キュアカース】ですか?」

「それは呪われた人間に使う魔法じゃ。今回は鏡自体の呪いを解く」

「そんな魔法があるのですね」

「ニャム、魔法ではない。どちらかと言えばターンアンデッドに近いの」


 師匠が僕に見せるということは、僕にも出来ることなのだろうか。


「では、場所を借りておるから向かうぞい」


 師匠が玄関へと向かった。帰るときは玄関使うんだな。



 向かった先は教会の裏にある墓地だった。

 墓地特有の陰鬱さが感じられない、よく手入れされた清潔感さえある墓地だ。

 エウリック司祭の誠実で几帳面な性格が窺えた。


「では、祈りを捧げよ」


 僕はジャックの肩から手を離し、ひざまずく。

 付いてきたミリィとエリーゼも同様に膝を折った。


「ノエル、文言を覚えよ」

「はい、師匠」


 師匠は用意した台座の上に鏡を置くと、大きく胸を膨らませ、祈りの言葉を語り始めた。


「慈悲深き神、栄光の主、聖なる王アシュフォルドよ。その御名において呪われし者共を救い給え」


 その言葉は大きな声ではないがよく通り、墓場の隅々にまで響き渡る。


「彼らの魂を悪竜の口から救い給え。彼らの魂から苦痛と嘆きと悲しみを取り除き給え……」


 朗々と響く祈りの文言はいつまでも続いた。

 やがてエリーゼはそわそわと落ち着きがなくなり、ジャックはスケルトンの癖に船を漕ぎだした。

 その内に日が暮れてきて、さすがに長過ぎないかと思い始めた時だった。

 鏡から緑がかった光がゆらり、と尾を引きながら立ち上った。


「火の玉?」


 光は1つ、2つと増えて行き、やがて無数の光が飛び交いだした。

 日暮れ時の薄暗い空を、緑がかった光がまるで蛍のように舞い飛ぶ。


「綺麗……」

「うん、ヤバい」

「あれは魂、なのかな」


 いつの間にか、師匠の祈りは終わっていた。

 師匠は、じっくりと舞い飛ぶ光を眺めると、腰を曲げて靴を触るような姿勢をとる。それに呼応するように、光が1ヶ所に集まってきた。

 そして次の瞬間、両手をバッ、と空へと掲げる。するとそれを合図に、光が一斉に天高く昇ってゆく。


「うわあ」

「凄イ……」


 その様は、光の柱が天に向かって伸びていくようだった。

 それを呆然と見る僕達の元に、仕事を終えた師匠が戻って来た。


「これはターンアンデッドとは何が違うのですか?」

「そうじゃのう……ターンアンデッドは、迷い人に帰るべき場所への道を示す、いわば道案内じゃ。今行った魂の送還は、囚われた人の縄を解き、帰るべき場所へ送るものじゃ……わかるかの?」

「何となく、ですが」

「今はそれでよい。追々、出来るようになればよい。……文言は覚えたな?」

「いえ、まったく」


 師匠はぽかんと口を開けた。


「覚えよと言ったハズじゃ」

「長過ぎ」

「何故タメ口じゃ」


 師匠はため息をついた。


「まあ、よい。それも追々じゃ」


 再び、空へと視線を戻す。

 光の柱は、瞬き出した星の中へと消えていった。


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