57
翌朝、ボコボコにされた戦士風の男が木に繋がれていた。どうもアシュリーに夜這いをかけて返り討ちにされたらしい。さすが踊り子レベル38。
出発すると、すぐに車窓からの風景が変化した。
道の両端に広がるのは木々の立ち並ぶ雑木林。
迷いの森のように
「さあ、この馬車の旅もあと少しですな、ハイ」
小太りの商人が独り言のように話す。
「もうすぐ終点なんですか?」
僕の質問に商人はニコニコと笑顔で答える。
「ええ、ハイ。この林を抜ければ目の前に現れるは偉大なるヴァーノン河!です、ハイ」
「偉大なる?」
「おや、司祭様は南は初めてかい?」
鉄扇を磨きながらアシュリーが聞いてくる。……あの鉄扇でボコボコにしたのだろうか。
「まあ、見ればわかるさ。その偉大さが、ね」
雑木林を走ること1時間。
木々がまばらになり、視界が開けてくる。
馬車はゆっくりと減速し、止まった。
「ご乗車ありがとうございました。終点、ヴァーノン河でございます」
御者の言葉に馬車を降りる。
「うわ……」
「スゴイ……」
僕とジャックは次の言葉が出なかった。
ヴァーノン河は余りに大きかった。
その予想を上回る河幅に、一瞬湖かと見紛うほどだ。
水の流れがあることでかろうじて河だと判別出来た。
「どうだい?偉大だろ?」
アシュリーが隣に立ち、少し得意気に話す。
「うん……こんなの、どうやって渡るの?」
「普通はアレさ」
アシュリーが指さす先には船着き場があった。
詰めれば10人ほど乗れそうなボートが何艘も並んでいる。普段なら充分な大きさに感じるボートだが、この広大なヴァーノン河に対して余りに頼りなく感じた。
「アレ、大丈夫だよね?」
「大丈夫さ、たま~に転覆するけどね」
「え~」
「それよりも自分で漕ぐってのがね」
「えっ、船頭さんは?」
「いない。アレはレンタルボートなのさ」
「それはしんどい」
僕は自慢じゃないが腕力は無い。
ジャックはポーターやってるくらいだから腕力はあるが、船を漕いだ経験などない。
どうしたものかと考えているとジャックが側に寄り、囁いてきた。
「『フロート』使イマスカ?」
「う~ん。『フロート』の効果時間ってよくわからないんだよね」
『フロート』の効果時間は安定しない。対象が重いほど短いという傾向はあるのだが、物によってばらつきがある。
ボートに『フロート』をかけて、もし河の真ん中で効果切れなんて起こしたらと思うとゾッとする。
そもそも停止する手段が障害物にぶつけるしかないのでレンタル船ではやるのは不味い。
「おーい!お前ら乗らんのか?」
声は戦士風の男からだった。すでに船着き場でボートに乗り込んでいる。
「私らはいいよ!」
アシュリーが代表して答えた。
「アシュリーはどうするの?」
「ん?私らはもっと良いモノを頼んであるよ。司祭様も一緒に乗るかい?」
「う、ん」
もっと良いモノがあるならお願いしたい。それが何なのかわからないが。
「もうじき来るよ。ん、アレさ。見えるかい?」
アシュリーの言うアレは対岸にあるようだが遠すぎてよくわからない。……いや、何か丸い物が動いてるのが見える。
「ん?アレはもしやエスカルゴンですか?」
小太りの商人が興奮気味に問う。
「さすが商人は物知りだね。あんたも乗ってくかい?」
「是非是非!子供にいい土産話出来るです、ハイ」
丸い物はこちらへ向かって河を渡り始めた。水上に浮いているように見える。なんだろう、アレ。
「ン?大キクナイデスカ、アレ」
そうなのだ。
河が広すぎて気付かなかったが、丸い物はかなり大きいように見える。それは近付くにつれ、はっきりと認識できた。
「うわ、デカイ!」
「エエエ……」
先ほど出発した戦士風の男が乗るボートと丸い物がすれ違った。大きさの差は大人と子供でも足りない。もはや巨人と赤子だ。
ボートは丸い物の引き波を受け、かわいそうに上下に激しく揺れている。
「あれがエスカルゴン!」
「そうさ、ボートより良いだろう?」
丸い物が水上を走っているように見えていたが、近付くとそれが何かわかってきた。
丸い物は名前通り
「ググッグッ」
岸に辿り着いたエスカルゴンはザパッと水から上がり、その全貌が明らかになった。
「もしかして亜竜?」
「そう。エスカルゴ+ドラゴンでエスカルゴン。安直だよねえ」
クスクスとアシュリーが笑う。
荒々しい顔をした亜竜が殻を背負う姿はどこかユーモラスだ。
「あれで大人しい性格でね、人懐っこいんだよ」
「へえ~」
ちなみに亜竜とはドラゴンと他種が交配して出来た種の事だ。有名どころではワイバーンがいる。
「さあ、登ろう!」
アシュリーが踊り子達に元気よく呼びかける。彼女達は特に異論を言うでもなくそれに従う。
「あの高さを登るの?」
「大丈夫、凄く登り易いから」
登り易いと言っても崖を登るようなものだ。アシュリーの言を疑いつつエスカルゴンを見ていると、乗ってきた乗客が降り始めた。
僕の思いと裏腹に、乗客達はすいすいと降りてくる。小さな女の子さえ苦もなく降りてきた。どうも手足が吸い付いてるように見えた。
「オオ、ナルホド」
エスカルゴンの殻に手を付いたジャックが感嘆の声を漏らす。
僕も手を付いてみた。
細かいでこぼこがあるようで、吸い付くように引っ掛かり離れない。続いて足をかけるとやはり引っ掛かり、足を滑らせる心配はないようだ。
そのまま調子よく登っていくと案外すぐに頂上に辿り着いた。頂上には絨毯が敷かれ、手すりが備え付けられていた。先に登った踊り子達が素晴らしい景色に黄色い声を上げていた。
「それでは出発致します。座席にお座り下さい」
長い長い手綱を持った男が声をかけて座席の先頭に座った。恐らく騎手だろう。
騎手が手綱を振るうと少しのタイムラグを置いてからエスカルゴンが転回し始めた。ズシン、ズシンと激しく揺れる。
「オットット」
「ちゃんと座った方が良さそうだね」
僕達が座って手すりを持つと、転回し終えたエスカルゴンがザブザブと河に入っていった。1度水に入ると揺れはほとんどなくなり、そのくせ凄いスピードで河を渡り始めた。
「これは爽快だね!」
向かい風の中、僕は誰に言うでもなく叫ぶ。
「うん!」
「気持ちい~ね~」
踊り子達が口々に賛同してくれた。
高さのお陰でヴァーノニアの街並みも見えてきた。
石造りの屋敷や簡素な小屋、大きなテントなど多種多様な建物が雑多に並んでいる。
「うううう」
商人だけは手すりを両手で抱きしめ、下を向いて唸っていた。
エスカルゴンは淀みなく進み、先発していた戦士風の男のボートを並ぶ間もなく追い抜いた。またしても引き波を受け上下に激しく揺れるボート。
やがて対岸が近付くと速度が落ち、着岸するとズシン、ズシンと陸へ上がる。
「到着でーす。落ちた人はいませんねー?」
さらっと恐ろしい事を言うな、この騎手さん。
エスカルゴンを降りるとアシュリーが街の入口まで案内してくれた。
「この街は南方の砂漠を通る商売道、通称キャラバンロードの終着点なんだよ」
「ほうほう」
「だから色んな形式の建物が見えたろ?異文化が溶け合って共存してる、ごった煮のような街さ」
「詳しいね、アシュリー」
「この街は私らのホームタウンだからね。ここを中心に興行してるんだ」
「そうだったんだ」
門の前まで来ると、踊り子達が揃って立ち止まった。
何事かと僕とジャックが様子を伺っていると、アシュリーの「せーの」の声に合わせ、踊り子達が一斉に手を開いて微笑んだ。
「「ようこそ!ヴァーノニアへ!」」