50
冬の寒さも峠を越え、春の足音が聞こえてきそうなある日の昼下がり。
「えー、皆さんにご報告があります」
テーブルをはさんでジャックが座り、ルーシーがふよふよと浮いている。
「わたくし、レベルが上がっていました」
「おー」
「ハッ!?」
「それも3つも」
「おおー」
「何デストッ!?」
普段冒険者カードは鞄に入れっ放しなのでまったく気付かなかった。頻繁にレベル上がる身でもないし。
「何カノ間違イデス!見セテ下サイ!」
ジャックがこう言うのも仕方ない。何せレベル10まで3年もかかったのだ。それが数ヵ月で13。間違いと考えるのが自然だ。
僕が冒険者カードを渡すと、ジャックは二度見したり、カードを裏返してみたりと彼なりに確かめている。
「ソンナ……馬鹿ナ……」
そこまで疑われるのも癪にさわるが、間違いない。そう断言出来るのは、つい先日ギルドで確認してきたからだ。
「マギーさんが言うには多量のモンスターをいっぺんに倒すとこういうこともあるんだって」
「多量……アノ虫デスカ!」
そう、ユリアンが召喚した多量の虫。聞けばあの時に戦闘行動をとっていた全員がレベルアップしたらしい。高レベルのジルさんやAランクのポーリさんまで上がったのだから僕が上がってもおかしくはない。
特にスケルトンブーメランでは、おそらくだが数万匹の虫を屠っている。使い魔の倒したモンスターも僕の経験値に加算されるので筋は通っているのだ。
むしろ数万匹倒して3つしか上がらない司祭のスペックに驚くべきだろう。
「ナンテコトダ……へたれノのえるサンガ……」
前にもジャックにヘタレと言われた気がする。雇い主をなんだと思ってやがる。
そうだ、そう言えばもう1つ報告があった。
「ジャック、君についても報告があります」
「私ニツイテ、デスカ?」
不思議そうに僕をみるジャック。
「ジャックに二つ名が付いていました!」
「ほー」
「ナナッ!?」
「
「私ガ
横を向いてカタカタと顎骨を震わせ笑うジャック。ひとしきり笑うと再び僕の方を向いた。
「ソレデ二ツ名ハ?」
「殺虫剤」
「サッ……何?」
「【殺虫剤ジャック】!」
先ほどまで震わせていた顎骨が、がくんと落ちる。
「ぷぷ、へんなのー」
ルーシーが両手で口を押さえてくるくる回る。
「まあ、たくさん虫を駆除したから」
「……まりうすサンハ?」
「【葬儀屋マリウス】のままだね」
「ズルイ……ズルイ!ズルイ!」
「まあまあ。念願の二つ名だろ?」
言いつつ、ぷっと吹き出してしまった。
「職業ガ運ビ屋デ二ツ名ガ殺虫剤!?扱イ悪クナイデスカ!?郵便屋モサセラレタシ!」
「ポーターも郵便屋も立派な仕事だよ、そんな言い方は良くない」
「ソレハソウデスガ……」
真面目な顔で話を締めくくろうとしたのだが。
「へんなのー、へんなのー」
「プッ」
へんなのーと連呼するルーシーに笑ってしまい、再びジャックをなだめる羽目になった。
◇
工房区。
大工房から少し離れた、通称〈織工房〉。
糸織りや織工、仕立屋といった繊維を扱う職人達の働き住む区画だ。
僕はその中のミラー洋裁店をジャックと共に訪れていた。
「まったく、ややこしい素材を持ち込んでくれたものだよ」
美しく束ねた白髪に丸眼鏡の老婦人が僕に渡す商品を棚から取り出しながら愚痴った。
「なんか、すいません」
「エーリクに言ってるのさ。糸を織ったら後は丸投げなんて、それでも職人かね」
「ううむ、すまぬ」
エーリクが髭を指でいじりながら謝罪した。
この老婦人はミラーさん。なんでも織工房で一、二を争う腕の仕立屋らしい。
「これが頼まれていた物だよ」
ミラーさんが包みから取り出したのは1着のローブ。
それはミストドラゴンのように真っ白ではなく、白銀色に輝いていた。
「渡された竜の糸だけではバスタオルも織れないからね。
「……特異性?」
聞き慣れない言葉だ。
ミラーさんに代わりエーリクが教えてくれた。
「これだけの素材になると素材自体が特殊な効果を持つんじゃ。それを儂ら職人は素材の特異性と呼ぶ。しかし職人が上手く仕上げなければ、完成した時には特異性が失われている事があるわけじゃ」
「じゃあこのローブも特殊な効果が?」
「着てみるといいよ、物は試しさ」
ミラーさんからローブを手渡される。
着ていたローブを脱ぎ、チュニックの上から羽織ってみた。肌触りはとても良い。光沢はあるが、派手すぎる訳でもない。
む……何か感じる。覚えたばかりの魔法を初めて使う時のような感覚。……こう、か?
「オオオ!?」
「ほほう」
ジャックとエーリクから驚きの声が上がる。
「どうなってる?自分ではよくわからないや」
「イルノハワカルンデスガ、ヨク見エナイデス」
「うむ。お主の周囲だけ霞んでるような、ぼやけているような」
「ミストドラゴンの幻影能力だろうね。回避能力は飛躍的に向上するはずだよ」
ミラーさんが眼鏡の鼻あてに指をやりながら解説してくれた。
「まるで、マジックアイテムみたいだ」
僕が感想を洩らすと、2人が呆れたような顔をした。
「みたい、じゃなくて正真正銘マジックアイテムさ」
「そうじゃ。さてはマジックアイテムはダンジョンのお宝だけじゃと思っとるな?」
「う……そう思ってたよ」
僕は幻影の発動を止めて、身に付けたローブをまじまじと見た。我慢しているが、どうしても口元が緩んでしまう。なぜならマジックアイテムは冒険者憧れの装備なのだ。
「発注通りに作ったつもりだけれど、不都合が合ったら持ってきなさい」
「ありがとうございます。えーと、お代の方は……」
「作業賃はエーリクに貰っているよ」
「エーリク、幾らだい?」
「いらん、いらん。儂が無理言ったんじゃ。勉強代として儂に払わせてくれ」
「いいの?」
「うむ。また珍しい素材を手に入れたら、儂に回してくれい」
「わかった。また頼むよ」
「うむうむ。……っと、忘れておったわ。さっきギルドへ行ったらマギーが探しておったぞ?何やら焦っておったわい」
「マギーさんが?わかった、行ってみる」
エーリクとミラーさんにもう一度お礼をして、ギルドへ向かった。
道中、ローブを鑑定してみると〈霧竜のローブ〉という名だった。
僕は新装備を手に入れた喜びに胸を弾ませ、スキップでも踏みたくなるような高揚感に溢れていた。
だがそんな気分はすぐに吹き飛ぶ事になるのだった。