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ワナカーン湯治場の近くに霧の発生源があると確信した僕達はすぐに迷いの森を後にすることにした。
大樹トレントは「もう少しゆっくりしていけ」「小さき者共はせっかちだ」などと引き留めてきたが。
「よし、そこを抜ければワナカーン近くの山道に出るはずだ」
キリルの言う通り森が途切れ山道が現れた。日中は気付かなかったが、森の霧と山道の霧の違いは一目瞭然だった。
「……前回も夜に調査すべきだった」
「だなあ」
「ま、今更だよ。それよりプランを立てよう」
「まず、調査は夜が明けてからだな」
皆、沈黙で賛意を示す。山道の霧は発光していない。つまり真っ暗なのだ。今無理して突入すれば余計な危険を伴う事になる。
「では夜明けに出発で。問題の発生源だけど、皆の予想では何があると思う?」
行ってみれば分かる事かもしれない。だが前もって可能性を探っておけば対策を講じる事が出来る。もちろん対策が無駄に終わる事もあり得るが、逆にこの対策が生死を分ける事もまたあり得るのだ。
「……未発見のダンジョンの入口」
何らかの異変が起こり探っていくとダンジョンの入口があった、という話は珍しくない。迷宮レイロアの入口の幾つかもそうやって発見された。
「はいはい!霧を出すモンスター!ジャキーン」
これも大いにあり得る。霧自体がモンスターの可能性だってある。
「あとは……悪い魔法使いの仕業とか?」
魔法使いは必ず冒険者になるわけではない。国や貴族に仕えたり、犯罪組織に属する者もいる。もちろん個人で悪さをする者も。
「温泉ノ湯ケムリノ大量発生!」
ジャックがさも真実に気付いたかのように話すがそれは無いだろう。
「そんなところか。いずれにせよ、戦闘になる可能性は十分あるね」
「だな」
「……うん」
「やってやります!ビシッ」
「いや、僕が言いたいのはさ。このパーティは調査向きではあっても戦闘向きの構成ではないってこと。薬師に狩人、精霊使いに司祭だろ?」
「アトすけるとん」
「ゴーストも!」
「そうだね、あとスケルトンとゴースト。前衛職の居ないアンバランスなパーティだ」
「おいおい戦う前から逃げる気かよ?」
「戦う相手は見極めようって事さ。僕は鑑定が使える。鑑定した結果強すぎる相手なら戦闘は避けるべきだし、ほどほどに強いなら作戦を立てて戦おう」
「……ノエルの言う通り。命は大事に」
「死ンダラ終ワリデスヨ?」
「おわりだよー?」
「スケルトンとゴーストが言うなよ!わかった、わかったよ!」
ジャックとルーシーはハイタッチで喜ぶ。既に死んでる彼らの言葉は重みが違う。
「その為には敵に見つかる前に見つけないといけないよね?デショ?」
「その通り。さすが斥候役」
「えへへ~。テレテレ」
「特に、強すぎる敵に先に見つかるのは避けたいね」
僕達は狼に見張りを任せ朝まで体を横にすることにした。横と言っても木に寄りかかったり、木の根と根の間に丸くなったりだが。ちなみにルーシーは既に十字架の中だ。
僕は夜が明け始めた頃、自然と目が覚めた。森の霧から光が失せてゆき、逆に山道の霧は朝日の輝きをその白さに孕んでゆく。
変な体勢で寝たせいか、あるいは睡眠時間の短さのせいか体の節々が痛い。立ち上がって伸びをすると、ブリューエットも目を覚ました。うつらうつらしながら視線を動かし、僕と目が合う。
「……お早う、ノエル」
「お早う、ブリューエット」
ブリューエットは体を起こして髪を整えるが、整えた先から寝癖がピンと立っている。何度か同じ行為を繰り返すが、諦めたのかふうっと息をついた。そして体ごと僕の方を向き、話し始めた。
「……ノエル、嫌だった?」
「ん?何が?」
「……今回の冒険」
「ああ、いや、最初は面倒事の予感がしたからさ。でも嫌じゃなかったよ」
「……そう、良かった」
少しはにかんだ笑顔を浮かべ、続ける。
「……依頼の件、少しだけ不安だった。何となくだけど【五ツ星】で受けた依頼と同じ感じがした」
「僕と行ったストーンゴーレムの?」
ブリューエットは頷いた。
「……本当に何となくだけど、私達では少し足りない気がしてた。そんなときノエルを見付けた。精霊の思し召しだと思った」
なるほど。確かにあの時のブリューエットは彼女にしては強引な感じだった。
「そう言ってもらえると便利屋冥利に尽きる、かな」
僕が冗談めかして言うと、ブリューエットはムッとした表情を浮かべた。
「……冗談でも自分を卑下しちゃダメ。精霊のご加護を受けられなくなる」
ハッとさせられた。
便利屋とは決して好意的な表現ではない。悪意なく使う人もいるけれど、どうしても蔑むニュアンスが含まれるのだ。便利屋のクセに、とか便利屋ごときが、なんてニュアンスが。
そして僕は司祭の職を得て以来、ついつい自虐的な表現を多用してしまうところがある。
「そうだね。気を付ける。あー、ストーンゴーレムの時は叱って欲しいなんて言われてたのに、逆に叱られちゃったなあ」
「……ふふ。叱るのも悪くない」
2人で笑い合っているとキリルやトリーネも起きてきた。ジャックは睡眠の必要も無いのにまだグデッと寝ている。その寝姿はまさしく行き倒れの遺体である。
軽く朝食を取りながらワナカーンへと出発した。朝食は昨晩のようなものではなく各々が持つ携帯食料だ。
山道の緩やかな傾斜を口をモグモグさせながら登っていると、早くもワナカーンのものであろう門が見えてきた。
「こんなに近かったのか。さすが、迷いの森は俺の庭、だね」
僕が茶化すようにキリルを見ると、怪訝な顔をしていた。茶化しちゃ不味かったか?
「おい、早すぎるよな?」
「うん、こんな近くじゃない。キッパリ」
「……精霊は反応してない。ただの幻」
「ただの、幻?」
「……うん。迷わせるだけ。害はない」
迷うのは害に入らないのか?と思うが、ブリューエットは迷わない自信があるのだろう。彼女と違いはぐれたら一瞬で迷う自信のある僕は、必死に3人について行く。そんな僕のローブの腰辺りをジャックが両手で握っている。
「右手にうっすら見えるのがワナカーンだ。今は素通りするぞ」
うっすらと見える木造の建物。そしてはっきりと臭う硫黄の香り。これが湯治場か、興味深いな。ワナカーンに入りたい気持ちをグッと押さえ硫黄の臭いに別れを告げる。今は周囲の調査だ。
「また出たぞ」
方向的にあるはずのない迷いの森が目の前に広がる。キリルが構わず突入すると、森の景色がぐにゃりと歪みながら消えていった。
「いくら幻見せてもブリューエットの精霊がいる限り迷わねーっての」
キリルの言葉にブリューエットが無言で頷く。
「おっ、また来たよ!ピッ」
トリーネの指す方向には複数の人影。だんだんと近付いてくる。人数は5人。
念のため僕達は武器を手に取り待ち構える。と、相手も立ち止まり武器を手に取った。
「……あれは私達。霧に写ったもの」
「なーんだ!ホッ!ホッ!」
トリーネが写し鏡で遊ぶようにふざけたポーズをとる。相手の1人も同じようにポーズをとる。わずかにタイムラグがあり妙な感じだ。
「グルルルル……」
「……!ごめん、違う!」
狼の唸り声にブリューエットが訂正した。えっ?と驚いた顔でこちらを振り返るトリーネ。その背後からトリーネの影だと思ってた何かがニタニタ笑いながら近寄ってきた。
僕はその何かを鑑定し、詠唱に入る。
「我が招くは恋い焦がれ焼き焦がす者!焔の娘らよ舞い踊れ!『ファイヤーストーム』!」
ごうっ、と音をたてて巻き上がった焔の嵐が5人の人影を包む。その熱風が僕達まで襲った。
「熱っ!」
「ごめんっ!敵、ストレンジフォッグ!」
ストレンジフォッグ、つまりは奇妙な霧。擬態を得意とし、その体を成す霧で相手を包み、ゆっくりと溶かして補食するらしい。
トリーネに化けていたストレンジフォッグが嵐から逃れ中空に浮かぶ。その姿を醜悪な老人の生首に変え、僕達を威嚇してきた。
「ウオォォォン!」
僕達の前に躍り出た狼が雄叫びを上げる。雄叫びは空気を揺るがしストレンジフォッグの動きを止めた。そこへトリーネが矢を放つ。矢尻が不格好なその矢は山なりにストレンジフォッグへと飛んでいき、大音響と共に爆発した。
「なに?今の!」
「キリル特製爆薬付きの矢!ジャキーン」
「なかなかの威力だろ?さて、他の敵はどこだ?」
「……いない。ノエルの魔法で倒れた」
『ファイヤーストーム』は想像以上の威力だった。嵐の消えた後には焼け焦げた地面。効果範囲の霧を吹き飛ばし、上空にはぽっかりと青い円が出来ていてそこから日光が射し込んでいた。
「ストレンジフォッグが霧の原因?」
「それは無いよ、奴らは体が霧ってだけで霧を生み出すわけじゃない」
「……待って!」
ブリューエットが珍しく大声をあげた。彼女はカタカタと震えていた。狼は尻尾を股に挟み蹲っている。
「なんだ?」
ブリューエット以外の4人が周囲を警戒するが敵の姿は見当たらない。
しかし。
それは上からやって来た。
さきほどの穴から射し込む光が遮られる。全員が見上げたその先には巨大で真っ白な竜の頭がこちらを覗いていた。
「死んだ。チーン」