32
緑色の大きな瞳が僕達を見下ろす。
その下にある横に伸びた皺がミシミシッと音をたてながら開いた。
「儂に登る気かの?小さき者共よ」
大樹はしわがれた、それでいて良く通る声で話した。
「木がしゃべった!ガビーン」
「……トレント」
そう、トレントだ。ここまで大きくなるのには何百年とかかるのだろう。いや何千年かもしれない。
「いやー、あはは。ちょっと霧の動きを見たかったんだ。でもあんたが嫌なら止めとくよ」
キリルが引きつった笑いを浮かべながら誤魔化すように答えた。しかし大樹トレントの方はキリルの言葉など聞いていないかのように思案顔を浮かべた。
「む?ふううむ」
大樹トレントは観察するように凝視する。その視線はキリルではなく僕に向いている。
「あの、何か」
恐る恐る聞いてみる。すると大樹トレントの枝がざあっと一斉に揺れた。
「何と面白き事よ!小さき者から我が同族の臭いがするぞ!」
大樹の幹に浮かんだ顔が愉快げに歪んだ。
「ああ、確かにうちの庭にトレントいます」
「はあっ!?トレントって庭にいるものなのか!?」
キリルの反応に既視感を覚える。マギーさんもこんな感じの反応だったな。
「何と何と!誇り高き我が同族が小さき者の庭先なんぞに居を構えたのか!?ハァッハッハッハ!」
大樹トレントの笑い声はもはや音波攻撃だった。彼は自らの大声に気付くと、耳をふさいでうずくまる僕達に謝罪した。
「おお、すまぬすまぬ。こんなに愉快なのは久方ぶりじゃ。そうだ、主らは儂に登りたいのであったの」
そう言い終わると同時に大振りな枝がこちらへと降りてきた。
「乗れ。小さき者共よ。主らでは見れぬ景色を見せてやろう」
僕達は顔を見合わせた。トリーネは期待に満ち紅潮した顔。トリーネ以外は「えっ?自分も登るの?」といった顔だ。
「さあ、早くせよ。儂と違い小さき者共の命は短いのだろう?のんびりしている暇はなかろうて」
僕としては、短いからこそ大事に使いたい。例えば無闇に高いところに登らないとか。だがそうも言ってられない雰囲気だ。
「はあ、仕方ない」
僕は降りた枝によじ登ると先ほど取り出したロープで自分と枝をきつく結んだ。僕の行動を見て3人とジャックも同じ行動をとる。
「ルーシーも!」
「ルーシーは自分で飛べるから。ほら、隣においで」
「むー、わかった」
ルーシーがしぶしぶ僕の隣に座る。
「よおし、では上がるぞ?」
大樹トレントの声と共に目の前の光景が縦に滑る。
「「うわああ!」」
僕とキリルは情けない悲鳴をあげる。
「凄いすごーい!ビューン」
「わあ~」
対してトリーネとルーシーは楽しそうな声。
「……」
ブリューエットは……意識あるか?
「ヒイッ」
ジャックはバラバラになりそうなほど震えていた。
いつしか枝葉で視界が緑に染まり、ばさばさと葉を散らしながら更に上昇を続ける。
やがて音が止み閉じかけてたまぶたを開くと、そこには視界を遮るものが何一つ無くなっていた。
眼下には一面に迷いの森が広がる。その木々の海に白波が立つように光を帯びた霧が漂っている。月明かりは森の木々に等しく降り注ぎ、森全体を怪しく照らしていた。
幻想的だ。
ぼーっと景色を眺めていると下の方から大樹トレントの声が響いてきた。
「見たいものは見れたか、小さき者共よ」
皆が同時にハッと我に返る。
「そうだ、霧の流れを見ないと!」
「……あっちが山道の方角。そしてあの辺りにワナカーンがある」
うーん、まだよく見えない。仕方なく下の方へ大声で呼びかける。
「トレントさーん!もう少し高くなりませんか?」
すると乗っている枝がミシッと音をたて、再び動き出す。さっきほどの速度はなく、ゆっくり、ゆっくりと上へ伸びる。そして人間で言えば手を真上へピーンと伸ばした状態になった。
「ウヒィィ怖イィィ」
座っていた枝が垂直になった為、僕達は必死にしがみつく。ロープで結んでいて良かった。
「……ん!見える!」
「おお、確かに。むう、これは……」
山道そしてワナカーンが在るであろう場所に立ち込める霧。それは迷いの森の霧とは明確な違いがあった。
「向こうの霧は光ってない!ピコーン」
「霧の流れも森からじゃねーな、上の方から山道へ流れ込んでる。ありゃワナカーン辺りか」
「迷いの森とは別の霧。ワナカーン自体が発生源か」
僕が仮定を呟くとブリューエットが否定する。
「……ううん、前回の調査で立ち寄った時は異常なかったと思う」
「とは言えワナカーンの周囲は充分に調査してねーぜ?森か山道に異常があるんだと思い込んでたからな」
キリルの言葉にブリューエットが頷く。
「……じゃあ森を出てワナカーンへ」
「りょうかーい。ビッ」
「トレントさーん!終わりましたー!」
僕が叫ぶや否や、上りとは逆に景色が滑っていく。
「「うわああ!」」
「うっひゃー!ヒューン」
「わーい」
「……」
「ヒイッヒイィッ」
ゆっくり降ろせと言うべきだった。