203
「ふわぁ……なんだか、すごく長い間寝てた気がするよ」
大あくびするノエルさんに、私は頷きます。
「三年モ寝テマシタカラネ」
「……は?三年!?」
ノエルさんが涙で潤んだ目を見開きます。
ルーシーは、「さんねん?さんねんってなんにち?」と言いながら指折り数えています。
ノエルさんは頭を抱えました。
「三年も石化してたっていうのか……ジャック、助けに来るの遅くない!?」
「そうだ!おそい、おそい!」
「アナタ達……人ノ苦労モ知ラズニ……」
揃って口を尖らせる二人に怒りがこみ上げます。
でも、この感じを楽しんでいる自分もいます。
久しぶりですね、このペース。
ノエルさんが膝に手をついて立ち上がりました。
まだ体が重い様子です。
「ジャック。もしかして、この石像の群れも――」
「――エエ。石化シタ冒険者ダト思ワレマス」
「なぜここに集められているんだ?」
「ワカリマセン。……ガ、
私はしゃがんで
ノエルさんも私に倣ってしゃがみ、中心部の天井が抜けた空間を覗きこみます。
「うっ!」
ノエルさんは驚愕の声が漏れ出た口を、慌てて手で塞ぎました。
「こわい~」
ルーシーがノエルさんの影に隠れます。
「……鑑定デキマシタカ?」
ノエルさんは微かに頷きます。
「マレフィック。種族も二つ名もない、ただのマレフィック。こんなの初めて見た……」
種族も二つ名もない……?
唯一無二の存在ということでしょうか。
「ノエルぅ。はやくおうちかえろ?」
恐怖に震えるルーシーが、ノエルさんのローブを掴んで懇願します。
ノエルさんは石像を見回して迷っている様子でしたが、口を結んで頷きました。
「……そうだね。じゃあ『リープ』を――」
「――ッ!待ッテクダサイ!」
私は声を殺して、しかし強い調子で『リープ』の詠唱をを止めました。
そして石像の列の外を指差します。
この石像の部屋には、私が入ってきたものも含めて、たくさんの出入り口があります。
そのひとつから、三体のデーモンが入ってくるのが見えたのです。
グレーターデーモンです。
「コノ距離ダト魔法感知ニ引ッカカッテシマシマス」
「……だね」
私達は石像の影に隠れながら、デーモン達から遠ざかるように移動します。
しかし、今度は別の出入り口から新たなデーモンが入ってきました。
そしてまた、別の出入り口からも。
「サッキマデハ気配モナカッタノニ……」
なぜこんなタイミングで……せっかくノエルさんと合流できたというのに!
「敵にだけ聞こえるアラームの罠がある。それに引っかかったのかもね」
「ソ、ソンナ」
あの滑り台でしょうか?
それとも、その底の槍の床?
いえ、この部屋に集まっているのですから、ここに仕掛けられていたのでしょう。
私は石像の間を駆けまわっていましたから、知らないうち罠を踏み抜いていたのかも。
あるいは、石像の石化解除が罠のトリガーである可能性も……。
「どうする、ジャック?」
ノエルさんが私に問いかけます。
意見を求めているのではなく、どうしてよいかわからないといった感じです。
それもそうでしょう、ここがどこだかさえわからないのですから。
私が何とかしなければなりません!
デーモン達は石像の列に入り、何かを探しています。
アラームの罠がこの部屋にあったと仮定するならば、すぐに脱出すべきです。
「ツイテキテクダサイ」
私は腰を屈め、石像の影に隠れながら移動を始めます。ノエルさんとルーシーも私に倣ってついてきます。
やがて石像の一番外側の列までやってきました。
デーモンは――こちらに気づいていません。
私達は息を合わせて一番近い出入り口へ飛び込みました。
ここからはクモの巣迷路を、外周に向かって移動します。
私が下りてきた滑り台もノエルさんの『フロート』をかけて勢いをつければ登れるかもしれませんし、未探索の場所に別の脱出ルートがあるかもしれません。
とにかく、石像の部屋から離れることが第一です。
細い通路を警戒しながら進みます。
私の斥候能力もこの三年で鍛えられました。
分かれ道手前で耳を澄まし、羽音や足音を確認。
聞こえなければ最短距離を。
聞こえれば迂回。
そうやって外へ外へと進みます。
「ジャックぅ、こわい~」
「大丈夫デスヨ、るーしー。私ガツイテマス」
ルーシーが不安になるのも仕方ない状況です。
一方のノエルさんは一言も喋りません。
額は汗でびっしょりです。
「のえるサン、ゴ自分ニ『ヒール』ヲ――ット、ダメデシタネ」
ノエルさんはコクリと頷きます。
ここで『ヒール』を使えば魔法感知に引っ掛かります。
それは新たにアラームの罠を踏んで現在地を報せるようなものです。
ノエルさんには悪いですが我慢してもらい、更に進みます。
また分かれ道に来ました。
左右の分かれ道。滑り台の方向は右です。
羽音や足音は聞こえません。
私は右へ進み――すぐに踵を返しました。
「……どうした、ジャック」
ノエルさんが、声を絞り出して私に尋ねます。
「でーもんデス。移動セズ、タダ立ッテイマシタ。……見ラレタカモ」
「……そうか」
私はまた、耳を澄まします。
……足音。
ゆっくりとこちらへ歩いてきます。
私はノエルさんとルーシーに目配せし、来た道を引き返しました。
ノエルさんには酷ですが、早足で移動します。
先ほど曲がってきたばかりの分かれ道が見えてきました。
振り返ると、ノエルさんも頑張ってついてきてくれています。
焦る気持ちを抑え、左へ曲が――羽音!?
くっ、こっちもですか!
選択の余地はありません、右へ走ります。
「頑張ッテ、のえるサン!」
小声でノエルさんを励まします。
ヨタヨタとふらつきながら走るノエルさん。
顔は真っ青、息は絶え絶えです。
「ゼッ、ゼッ……ゲホッ」
ついにノエルさんは倒れ込んでしまいました。
「ノエルぅ、ノエルぅ~」
ルーシーが必死に呼びかけても、顔を上げることさえできません。
もう、走るのは無理でしょう。
ならば……。
私はノエルさんの体の下に自分の肩を滑り込ませました。
そのまま、担ぎ上げます。
「ジ、ジャック!?」
「問題アリマセン。私、ぽーたーデスカラ」
自分でも忘れがちですが、私の本業は
日頃担いでいる荷の重さに比べれば、ノエルさんなんて軽いものです。
絶対に逃げおおせてみせます!
「サア、走リマスヨッ!」
右へ、左へ、また右へ。
もはやどこを走っているかわかりませんが、デーモンの気配のない方へ走り続けます。
「ジャック、あのさ」
肩の上からノエルさんが話しかけてきました。
少し回復したようですね。
「喋ラナイデクダサイ。舌、噛ミマスヨ?」
しかし、ノエルさんは話を続けます。
「あのとき。僕とルーシーがさ――」
「――止メテクダサイ!コンナ時ニ昔話ナンテ、縁起デモナイ!」
つい大きな声を出してしまい、口を押さえます。
「違う。そうじゃないんだ、ジャック」
「何ガ違ウノデス!?」
「いいから。下ろしてくれ」
静かで、それでいてとても力強い声。
主人にこんな風に言われたら、使い魔の私は逆らえません。
私は仕方なく、ノエルさんを床に下ろしました。
ノエルさんは胡坐をかいて座り、私にも座るよう手招きします。
渋々ながら、ノエルさんの対面に座りました。
「あのとき――『リープ』に干渉されて、ルーシーが僕に飛び込んできた、あの瞬間。僕は見たんだ」
「……何ヲ?」
「砂時計さ」
「……合成魔法ヲ覚エル時ニ見ル!?」
「そう。その兆しの砂時計。でも、僕はその魔法を使うこと躊躇した。怖かったんだ」
「何ガ怖イト――クッ、来タカ!」
わずかに羽音が聞こえました。それも複数です。
慌てて立ち上がろうとする私の手を、ノエルさんがぎゅっと掴みました。
そして空いたもう一方の手を、ルーシーとつなぎます。
「この魔法は五分の賭け。神の御業としか表現できないような素晴らしい幸運か、目を覆いたくなるような悲惨な運命。そのどちらかが術者に訪れる魔法なんだ」
ノエルさんは逡巡するように顔を伏せましたが、すぐに私へ視線を戻しました。
「でも、今は使うべきだと思う。きっと、今この瞬間に使うために覚えた魔法なんだろう」
五分の賭け、ですか。
普段なら断固拒否するでしょうが、この状況なら悪くありません。
むしろこのまま逃げ回るより、いくぶん分の良い賭けです。
納得しかけていた私に、ノエルさんが信じられないことを言いました。
「ジャック。君は一人でここまで来れた。きっと一人でも脱出できるだろう。僕とルーシーから離れていて安全な場所で――」
「――フザケナイデクダサイ!私達三人ハ運命共同体デスッ!ソウデショウ!?」
私は声も落とさずに叫びました。
デーモンなど知ったことではありません。
感情が昂って、握り締めたこぶしがブルブル震えます。
ノエルさんはそんな私をまじまじと見つめ、それからなんと吹き出しました。
「ナッ、何ガオカシイノデス!?私、ソンナニ変ナコト言イマシタカ!?」
ノエルさんは慌てて手を振り否定します。
「ごめん、違うんだ。なんとなく君を鑑定しちゃって……」
「鑑定、デスカ?」
首を傾げる私に、ノエルさんが笑いながら言いました。
「ジャックの二つ名。【司祭の相棒】だってさ」
なんと。
私の二つ名人生も紆余曲折ありましたが、いたって普通な二つ名に辿り着いたようです。
普通すぎるくらいですが、私はこの二つ名をとても誇らしく感じました。
気がつくと、ノエルさんの顔から笑みが消えていました。
私の目を真っ直ぐに見つめています。
「……ジャック。君の命、僕とルーシーに預けてくれるかい?」
実に今更な質問です。
私の命など、あの夕焼けに染まるレイロアの街で拾われたときから預けっぱなしだというのに。
私はノエルさんの目を真っ直ぐに見つめ返し、返答しました。
「コンナ干カラビタ命デ良ケレバ、喜ンデ」
ノエルさんは満足げに頷き、ルーシーを肩の上に誘いました。
二人が詠唱を始めると、羽音の速度が上がったように感じました。
私はノエルさんの前に立ち、デーモンの襲来に備えます。
……ついに来ました。
グレーターデーモン、四体。
私達を視界に捉えた奴らは、ジリジリと距離を詰めてきます。
私が剣の切っ先を向けると、奴らは低い唸り声で威嚇してきます。
背中で朗々と続く詠唱を聞きながら、デーモンと睨み合います。
そのうちに、反対方向からも羽音が聞こえてきました。
挟み撃ちです。
背骨に悪寒が走ります。
どうする?いっそ、メタリック化してノエルさんとルーシーの上に覆いかぶさるか?
そんなことを考えていると、急に詠唱が止まりました。
思わず振り返ります。
すると、ノエルさんとルーシーは揃って私を見つめ、微笑んでいました。
そしてピッタリと声を重ね、魔法を唱えます。
「「『スリーシスターズ』」」
瞬間、ノエルさんとルーシーを眩い光が包みます。
光は通路全体に広がり、私の視界は真っ白に染まっていきました。