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船を得た僕達は、まず東へと舵を切った。
最初に目指すのはソアの街だ。
その理由は、まずラスカー二頭を返却するため。ラスカーはヴァーノニア、ソア双方で借りることができ、返すことができるのだそうだ。
次にガンツキャラバンの一員だったカシムが、これから砂海越えに挑むことを人々に宣伝するため。
そして最後に、船に慣れていない僕達の操船の練習のため。なにせ僕達は、手解きこそ受けたが操船は初めてなのだ。
やる気を取り戻したジャックを筆頭に、スケルトン四人が櫂を漕いで船を進める。だがどうにも左右のバランスが悪い。片側にドミニク一人、逆側にその他三人を配置するとバランスがよくなった。
僕とカシムは帆を張っては下ろすを繰り返す。
ルーシー船長(自称)は舳先で腕を組み、砂海を鋭く睨んでいる。たまに険しい顔で「あれるな……」とか呟いているのが聞こえてくる。
ヴァーノン河と比べて穏やかでゆっくりな砂海。
操船の経験がない僕達は初めこそ四苦八苦していたが、ソアの街に到着する頃にはどうにか船を操れるようになっていた。
船を接岸し、ドミニクを中心として船を陸揚げする。陸揚げが終わると、カシムはラスカー二頭を連れてソアの街に消えた。
そして待つことしばし。
カシムが戻ってきた。その後ろにはたくさんの人々。
年齢も種族も様々な人々が、一様に期待に満ちた表情だ。僕達の船を囲み、次々に励ましの声をかけてくる。
……いや、そうでない人もいる。
人波の中に見つけたその人物は、船を貸さなかったあの商人だ。例の屈強な護衛を伴い、カシムの前に歩み出た。
「この船か。どうするつもりかと思っていたが……まさか漁船とはなあ。ククッ」
商人は苦笑しながら肩を竦ませた。
「その根性、本当に頭が下がるよカシム。うちの若いもんに爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ」
言葉とは裏腹にカシムを見下したような態度を見せる商人。しかしカシムはカシムで、お面のような作り笑顔で応対する。
「ご心配なく。これでもしっかりとした船なのですよ?砂クジラ漁に使うぶん、あなたの船などより丈夫なくらいです」
自分の船と比較され、商人はムッとした表情になる。
「……別に心配なんてしていないさ」
「そうですよね。あなたがなさってるのは、ご自身の心配ですよね」
「儂の心配?」
「ええ、そうです。契約を反故にし、目の前の儲けを捨ててまで賭けた船独占。その
「……何を言ってる。お前達が砂海を越えようが越えまいが、儂には関係ない」
「そうですか?なら、何故わざわざここに?まさか見送りではないでしょう?……あなたは私達が砂海を渡れるか、不安で確かめに来たのですよ」
痛いところを突かれたのか、商人は無言でカシムを睨みつける。だがカシムは気にもせず、話を続けた。
「私達が無事に砂海を越えたらどうなるか。イシュキーヴ側にだって船はあります。加えてソアの何倍も商人がいる。無事に砂海を越えて来た人間を見て、利に聡いイシュキーヴの商人達は何を考えるか――火を見るより明らかです」
「……」
「イシュキーヴの商人は次々に砂海に繰り出すでしょう。船の需要が高まるのだから、そのときに売ればいい?違いますよね、イシュキーヴの商人はあなたの船を買い求めたりはしない。だって、あなたの船は対岸にあるのですから。どうしても船が欲しいなら、近くにある港町ベルシップの造船所に頼むでしょう。あなたが大儲けするためには、ヴァーノニア側から砂海を渡りたい商人に売るしかないのです」
「……黙れ、カシム」
「イシュキーヴの商人は優秀だ。すぐに航路が定まるでしょう。大型船を仕立てて定期船が行き交うのも時間の問題。……さあ、そうなったら大変だ!せっかく独占した船が売れなくなってしまう!」
「うるさい!黙れっ!」
声を荒らげる商人。
だが自分に集まる周囲の視線に気づき、慌てて口元を手で隠した。そして小さな、それでいて低く威圧感のある声で言う。
「それもイシュキーヴに辿り着けたら、だ」
「ええ。イシュキーヴに辿り着けたら、です」
ニコニコと笑うカシムと、怒りを必死に抑える商人。
二人はしばらく対峙していたが、やがて商人が踵を返した。
「チッ……せいぜい頑張りな」
「もちろん!わざわざのお見送り、ありがとうございます!」
自分で「まさか見送りではない」と言っておきながらのこの台詞に、商人は思わず振り返ってカシムを睨んだ。
そしてもう一度舌打ちし、護衛を引き連れて帰っていった。人波を掻き分け、小さくなっていく背中を見つめてカシムが言う。
「……彼が私を追い返したとき、こんな気持ちだったのですかね」
ジャックが首を捻る。
「ドンナ気持チデス?」
「んん……下卑た快感と妙な清々しさ、ですかね」
「ヒヒッ……ソレハイイ気分デスネ」
「ええ、とても!」
カシムは作り笑顔ではない、この旅一番の笑顔を浮かべた。
ソアの街の人々に見送られ、僕達は出航した。
航海は順調だった。
沖に出ても砂海の穏やかさは変わらず、揺りかごに揺られるような乗り心地だ。
ザ……ザ……と静かに刻まれる波音の中を船が滑る。
南風が吹けば帆にはらませ、風が変われば黒猫団の出番。彼らはこっちが申し訳なくなるほど、ひたすらに櫂を漕ぐ。
だが彼らは彼らで楽しんでいるようで、その表れがこれだ。
「俺タチャア~、命~知ラズノ~、船乗リサ~♪――シマッタ!ソモソモ命ネエ!」
「「ワッハッハ!」」
「俺タチャア~、恐レ~知ラズノ~、船乗リサ~♪」
「「血モ~、涙モ~、アリャシネエ~♪」」
「肉モネエ!」
「「ワッハッハ!」」
航海初日にドミニクが暇潰しにと始めたアドリブ舟唄は、夜毎に歌詞が増え続けた。五度目の夜となる今夜は、他のメンバーとの掛け合いまで加わっている。
南風が吹いて漕ぎ手が休みになったら、今度はルーシーの番。吟遊詩人と旅したときに覚えたメロディが、砂海の波間にこだまする。
カシムは日が暮れると夜空に目を凝らし、星の位置を確かめる。この大砂原で方角を知るのはカシムだけ。本人も自覚しているので真剣そのものだ。
対して、僕の仕事は『ウォーターベール』による水の補給のみ。あとは『テレポート』ぶんの魔力を残しておけばいい。
今のところ遭難の原因となる砂嵐にも遭わず、僕はこの穏やかな船旅がこれからも続くものと思っていた。
「る~ら~るぅ~♪……おわりっ!」
船上が拍手に包まれる中、ルーシーは照れ臭そうにマストの上までふよふよ飛んでいき、大きな声で言った。
「あーあ、かいぞくせんでないかなあ!」
するとジャックがぶるりと体を震わせた。
「縁起デモナイコト言ワナイデクダサイヨ、るーしー!」
「ククク。臆病ダナ、じゃっく」
「ソウハ言イマスガネ、まりうすサン。海賊ニ会イタイ人ガドコニイマス!?」
「ココニイルゾ、じゃっく。俺ッチ会イテエ」
「ルーシーも!」
「アア、常識スケルトンハ私ダケナノカ!ヨヨヨ……」
「ぷぷっ。ジャック、へんなのー!よよよ……」
「――シッ!」
突然、ジェロームが会話を遮る。
「どうした、ジェローム?」
僕の問いかけを手で止め、彼は耳を澄ます。
「……歌、デスナ」
「俺ッチ達ノ他ニモ、命知ラズガイルッテノカ?」
「かいぞく?かいぞくは、おうたがすきなんだよ!」
ドミニクとルーシーの言葉にも返事せず、ジェロームはなおも耳を澄ます。
「……大キイ。コチラヨリ、ズット大キイデスゾ」
僕はゴクリとつばを飲み、進路の先をを見つめた。