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「うおお!?」


 ジャックに繋がった命綱が、一気に引っ張れる。

 命綱に掴まった全員が砂海へ引きずり込まれそうになったが、引っ掛かったように止まった。


「ドリャア!ふぃっしゅおん!」


 ドミニクだ。

 彼が船体に寝転んで見えるほど体を傾け、踏ん張っていた。


「ひけー!ひけー!」


 ルーシーの声を合図に、僕達はもう一度命綱を引っ張る。

 だが相手は巨大な砂クジラ。

 船ごと引きずられ、大波が起き、船は木の葉のように揺れた。

 船体にしがみつきながら必死に命綱を掴む。


「このままじゃ転覆してしまいますっ!」


 カシムが悲鳴に近い声を上げる。

 するとマリウスがすっくと立ち上がり、命綱の中からロープを二本持って、思い切り跳躍した。

 マリウスは近くの一艘に着地し、ロープの一本をその船の漁師に渡す。そして更に向こうの船へと跳んだ。


「他の船と分担するのか!……ジェローム!」

「オ任セヲ、御主人様」


 多くを語らずともジェロームは僕の意を理解し、二本のロープを持ってマリウスとは逆側の船へと跳んだ。

 合計五艘の船がウキ代わりとなり、砂クジラを囲む。

 だが砂クジラも必死で藻掻き、五艘の船は砂クジラを中心にぐるぐると回った。


「うっ、ぐっ」

「くううっ」


 僕とカシムは船に這いつくばり、耐えるしかできない。


「我慢じゃぞ!じきに奴が音を上げるけんが!」


 僕はロープのほうが先に切れやしないか心配だったが、ビザルさんの言う通り砂クジラが先に音を上げた。

 大きな影が五艘の中心に浮き上がる。

 そのまま砂が隆起し、砂クジラが初めて姿を現した。

 真っ黒な体表はテラテラと光り、ずんぐりとした体型に蛇のような瞳。

 そしてジャックを飲み込んだ、大きな口。


「今やがっ!」「一番銛じゃっ!」「ほーっ!」「仕留むっど!」「他の船に負けんな!ほれ行けっ!」


 五艘の船から次々に銛を持った漁師が跳ぶ。

 向かいの船に乗るマリウスが、大きな声で叫んだ。


「我ラモ行クゾ、どみにく!」

「オウ!兄貴!」


 向かいの船からマリウスが魔剣〈大食らい〉を、こちらの船からドミニクが大型スコップを手に、砂クジラの背へ跳び移る。

 みるみるうちに砂クジラの背中が血に染まる。

 砂クジラも身をよじって抵抗していたが、やがて力なくぷかりとその身を浮かせた。



 指図船を中心に、出番のなかった九艘の船が砂クジラを牽引する。

 浜辺が見えてくると指図船が新たに赤と黄色の旗を掲げた。途端に浜辺が騒がしくなり、村民が巨大な敷物やたくさんのバケツを浜に並べた。

 砂クジラを牽引する船が浜に上がり、砂クジラを村人総出で引っ張り上げる。砂クジラは敷物をはみ出す大きさで、昼間にソアの街の傍で見た船よりも二回りは大きかった。


「やー、おっきー!」「こらふてーが!」


 夜明け前だというのに浜に残っていた村民達から、歓声が上がる。僕達の乗る船も浜に上がり、喝采を浴びながら地面に降りた。


「ねーねー、ノエルぅ」


 ルーシーがふよふよと飛んできて、僕の頭に両手を置く。


「どうしたんだい、ルーシー?」

「ジャック、たべられたままだねえ」

「はっ!そういえば!」


 カシムを見ると、彼はあんぐりと口を開けていた。

 僕達は慌てて砂クジラへと駆け寄る。

 すでに解体作業が始まっていて、ビザルさんを筆頭に何人もの漁師が長い刃物を持ってテキパキと動いていた。


「ビザルさん!ジャックを――胃を開いてくださいっ!」


 ビザルさんは僕の意図を図りかねていたようだったが、やがてポンと手を打った。すぐさま砂クジラの下腹部に走り、何度か刃を入れる。

 すると、恨めしそうな顔のジャックがボロンと転がり出た。


「うまれた!ジャックがうまれた!」

「ルーシー、別に産まれたわけじゃあ……『ウォーターベール』!」


 僕は『ウォーターベール』の水で、ジャックにまとわりつく血や粘液を洗い流した。


「ジャック君!よかった無事で!」


 カシムがずぶ濡れのジャックに手を差し出す。

 しかしジャックはプイッとそっぽを向いた。そして膝を抱えてうずくまる。


「ジャック、ここだと作業の邪魔になるから」


 僕も手を差し出すが、やはりプイッとそっぽを向かれた。ジャックは下を向いてボソリと呟く。


「……安全ダッテ言ッタジャナイデスカ」

「ジャック君……」

「……結局、私ヲ餌ニ釣リヲシタジャナイデスカッ」

「ジャック、別に釣りをしようとしたわけじゃないよ。結果的にそうなっただけで」

「聞コエマシタヨ!?『ふぃっしゅおん!』ッテ声ガ!砂くじらノ腹ノ中マデ!」

「それはドミニクが――」


 言い訳しようとする僕を、カシムが手で制した。

 そして膝を折ってジャックに目線を合わせる。


「ジャック君、申し訳ありませんでした。配慮が足りませんでした。全て私の責任です」


 そう言って地面に前髪がつく程、頭を下げた。

 ジャックはじいっとカシムの下げた頭を見つめる。

 それから無言で立ち上がり、テクテクと浜の後ろの方へ歩いていった。



 解体作業は夜が明けても続く。

 ビザルさん達は汗びっしょりだ。

 その解体作業の後ろには、長い長い村民の列ができている。タライやバケツや桶などを持って長時間待たされているのに、皆の表情は晴れやかだ。

 僕とカシムは膝を抱えるジャックを挟んで座り、そんな解体風景を見物していた。

 ジェロームはそんな僕達の後ろに姿勢よく立ち、マリウスとドミニクは銛打ち漁師達と肩を組んで大騒ぎしている。

 あれからジャックは一言も発さない。

 肩の上のルーシーが、僕のおでこをポンポンと叩いた。


「ねー、ノエルぅ。みんなならんでなにしてるの?」

「たぶん砂クジラの肉の順番待ち?……でいいのかな、カシム」


 僕はジャック越しにカシムに尋ねる。


「ええ、そうです。あの並び順も早い者勝ちではなく、ルールがあります」

「へえ、そうなの?」

「先頭に並んでいるのは一番銛の漁師の家族です。一番銛は望みの部分を貰える権利があります。続いて止めを刺した漁師の家族、漁に参加した漁師の家族と続き、最後に漁に出ていない家族に分けます。……列の前に長を含めた年寄り衆がいますよね?彼らは先の者が取りすぎないよう見張る役割です」

「漁に出てない人も貰えるの?だったら働かない人も出てきそうだけど」

「怪我や病気で出たくても出られない漁師の家族、そして漁で命を落とした漁師の遺族を救済する目的があるんです」

「そっか!危険な漁だもんねえ」

「ええ。万が一のことがあってもこうして家族を助けてもらえるから、漁師達も命を張れるのです」

「なるほどねえ」


 砂クジラがある程度小さくなると、分配が始まった。

 村民達は手持ちの器を重そうに抱えながらも笑顔満面だ。楽しそうに雑談しながら僕達の傍を通りすぎ、キノコのような岩山へと帰っていく。

 そんな中。

 一人の漁師が僕達に近づいてきた。

 そしてジャックの頭をポン、と叩く。


「骨っこ!お前が一番の手柄じゃが!」


 家へと帰る人波の中から、一人、また一人と漁師がジャックの元を訪れる。


「銀色の。お前は勇敢やな」

「お前はたいした男じゃ。……男で合っとるか?」

「よお、よお!無事やったか」

「よくやった!また頼むど!」


 漁師達は一言投げかけ、ジャックの頭や肩を叩いて通りすぎていく。

 腕っぷしの強い漁師だから、叩かれる度にジャックの体は大きく揺れた。

 だが、揺れる度にジャックの表情は輝きを取り戻していった。


 人波が途絶えたあと、砂クジラは骨だけになっていた。


「すごいね、利用できるところは全部なくなっちゃった」

「ノエルなら残った骨も利用できるんじゃないですか。使い魔にどうです?」

「僕はネクロマンサーじゃないって。だいたい、砂クジラスケルトンなんて扱いに困るよ」

「ですよね……っと。お疲れ様でした、長、ビザルさん」


 役割を終えた長とビザルさんが僕達の元へ歩いてきた。


「まっこち疲れた。この年で夜明かしはしんどいの」


 長は首の後ろを叩きながら笑い、すぐに表情を引き締めた。


「昨晩は半信半疑やったが、お主らを信じてよかった。礼を言わせてくれ」

「いえ、こちらも目的があってのことですから。……それで船のほうは」

「無論、約束は守らせてもらう。あれを持っていくがいい」


 そう言って長が指差したのは指図船だった。


「あれを!?よいのですか?」

「これほどの大物なら釣りが来る。そうでなくともお主らは村の恩人じゃ。遠慮するな」


 ビザルさんも笑顔で頷く。


「砂海を越えるんやろ?なら、デカいのにしとけ」


 カシムは恐縮していたが、長とビザルさん、そして僕達を見回し、深々と頭を下げた。


「ありがとうございます!必ず砂海を越えてみせます!」


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