<< 前へ次へ >>  更新
176/207

173

「なんです今の!?」

「わからないっ!……マリウス!ジェローム!」

「心得タ」「オ任セヲ」


 僕の指示を受け、マリウスとジェロームが前傾姿勢で水路の出口へと走る。

 僕とカシムは動こうとしないラスカーをその場に置いて、ドミニクと共に出口へ向かう。

 水路の外からは、ギィン、ガィンと早くも剣戟の音が響いてきた。

 相手は武器を使うモンスターなのか?

 それとも人間?

 僕はルーシーを肩に乗せ、恐る恐る水路から顔を出す。そこから見えた光景は、想像していたものとは全く違っていた。


「ヒィッ、ヒィーッ!」


 悲鳴を撒き散らしながら宙を舞うジャック。

 ジャックを振り回しているのは、紫色の巨大なハサミ。

 マリウスとジェロームがハサミに攻撃を加えるが、硬質な音と共に跳ね返されている。

 ハサミは砂漠の砂の中から生えていて、その根本周辺の砂が徐々に盛り上がっていく。

 砂の下から見えてきたのは、紫色の甲殻。

 ものすごい巨体だ。

 水路に入れないほどに大きい。

 僕と同じく出口から覗き見ていたカシムが、驚愕の声を上げた。


「蠍……ヘルスコルピオ!?こんな大物は初めて見ました!」


 僕は紫色の巨体を鑑定した。


 種族ヘルスコルピオ【鉄甲のアクラブ】


名前付き(ネームド)!【鉄甲のアクラブ】!」


 僕は鑑定結果を叫びながら、水路から飛び出した。

 肩の上のルーシーが、片目を閉じてヘルスコルピオに狙いをつける。


「『ばれっと』!『ばれっと』!」


 同時に水路から出てきたカシムが、二つのチャクラムを構える。


「ふっ、はっ!」


『バレット』とチャクラムが正確にヘルスコルピオの頭部を捉える。

 だが硬質な音が響くのみで、傷一つ残せず跳ね返された。


「ならば!」


 今度は僕が魔力を練る。


「天上に響くは楽神の竪琴!爪弾く音色は瞬きて、邪を払う光芒とならん!【スターライト】!」


 即座に腕を振り、現れた光球を解き放つ。

 ポロン、ポロンと弦を爪弾く音と共に、光球は光の尾を引きながらヘルスコルピオの頭部へと殺到する。

 甲殻を狙っても弾き返されるのは目に見えている。

 狙うはヘルスコルピオの目。

 巨体にしては異様に小さな三対の側眼だ。

 当たる。

 僕はそう確信して光球の行方を見ていた。

 だが、光球は鎧戸のように下りてきた甲殻に阻まれてしまった。


「まぶた!?……うっ、ヤバい」


 ヘルスコルピオが体の向きを変え、僕に向けて巨大な尾を振りかざした。

 反応できない速さで迫り来る毒針。

 しかし僕の目の前で、マリウスの〈魔剣グラットン〉によって弾き飛ばされた。


「おーなー達ハ離レテイロ。俺達ナラバ毒ナド効カナイ」

「うん。すまない、マリウス」


 僕はカシムと共にヘルスコルピオから離れて戦いを見守ることにした。

 マリウスとジェロームは右へ左へ、上へ下へと素早く動き回り、ヘルスコルピオを翻弄する。

 一方のヘルスコルピオも巨体に似合わず俊敏で、なおかつ非常に固い甲殻を持つ。

 双方が決定打を欠く戦闘が続く。


「『ファイヤーストーム』は……熱に強そうだな。『タイタンフィスト』か?……いや、宙に打ち上げてもあの甲殻をどうにかできなければ」


 僕がヘルスコルピオ攻略法を考えていると、ドミニクがずいっと僕の前に出て、力強く自分の胸骨を叩いた。


「俺ッチニ任セロ!」

「いや……でも、マリウスの〈魔剣グラットン〉が弾かれるんだよ?いくらドミニクの怪力でも」

「兄貴ハ今、狂気ガ抜ケテル。呪物ノ力ヲ十全ニ引キ出セテイナイ」

「そうなの?」


 言われてみれば、あの振り下ろした剣の周囲ごと削り取るような一撃ではないように思える。


「おーなー。俺ッチノ二ツ名ハ?」

「えーと、【甲冑割りのドミニク】だね」

「俺ッチノ仕事ダ!」

「……わかった。でも、ドミニクの足だと近づくのも困難だよ」


 ドミニクは冒険者でいうところの重戦士。

 近づく前にジャックのように――


「ヒェーッ!オタスケー!」


 ――ジャックのようにハサミに捕まって、振り回されてしまうだろう。


「ソレヲナントカスルノハおーなーノ仕事ダ」

「簡単に言うけど――」

「キャーッ!嫌ーッ!」

「――うるさいなジャック!!自力で抜けられるだろう!?」


 ジャックは振り回されながら、ポカンとした顔で僕を見た。だが次の瞬間にはジャックの全身が銀色に染まり、するりとハサミから抜け出した。


「まったく……ん?」

「ヒイッ、何故私ヲ狙ウンデスカー!」


 無事抜け出したジャックだったが、ヘルスコルピオは執拗に彼を追ってくる。一度手にした獲物は逃がさないタイプなのか?


「ぷぷっ。ジャック、へんなのとおっかけっこして。へんなのー!」


 ルーシーが両手で口を隠して笑う。

 ジャックは右往左往して逃げ回るが、回り込まれてハサミで掴まれ、またメタリックモードで抜け出すというのを繰り返す。

 ルーシーの言う通り、「へんな」追いかけっこがひたすら繰り広げられている。


「……ドミニク!今がチャンスかも!」

「オウ!」


 ドミニクは大斧を肩に担いで、ドスドスとヘルスコルピオに向かって走り出した。


「ジャック!極力その場で逃げて!マリウスとジェロームはドミニクの補助を!」

「ソノ場デ逃ゲロッテ、ドンナ指示デスカ!」

「ウム、ワカッタ」「承知シマシタ」


 不満を顕にするジャックに対し、マリウスとジェロームはこちらの意図を察したようだ。

 ジャックに夢中のヘルスコルピオ。

 その背後からドミニクが近づき、ビョン!と背中に飛び乗った。

 背中の異物を慌てて振り落とそうとするヘルスコルピオだったが、マリウスとジェロームが目や甲殻の接合部を狙い、ヘルスコルピオの注意を引く。

 ドミニクは揺れる背中の上に立ち上がり、大斧を振りかぶった。


「オラァ!!」


 ガギン!と堅いもの同士が激しくぶつかる音が響く。

 ヘルスコルピオの両眼と三対の側眼が、一斉に背中側を向く。


「ドラァ!!」


 ドミニクは構わず、また大斧を振り下ろす。

 同じ場所を痛打され、ヘルスコルピオが大きく身をよじる。

 必死に両のハサミでドミニクを狙う。

 ドミニクは背中の上で腹這いになり、しがみついてハサミを避ける。


「いけない……ジャック、挑発を!」

「ホッ、挑発?……ヘイヘーイ」

「なんだよ、そのやる気ない挑発!ふざけてんの!?」

「ナラ、のえるサンヤッテミナサイヨ!」

「できないから頼んでんの!」

「ソレガ人ニ物ヲ頼ム態度デ――ウヒィッ!」


 ジャックが大声を上げるとヘルスコルピオの側眼がジャックの方を向き、ハサミを彼に向けた。


「マダ挑発シテナイノニィー!」

「今だ、ドミニク!」

「オウヨ!」


 それからドミニクは、ひたすらに大斧を振り下ろした。

 そして、もう何度目かわからない大斧の攻撃が甲殻を捉えたとき。今までと違う音が辺りに響いた。

 それは固い石が割れるような音。

 皆の視線がドミニクに集まる。

 そこにはひび割れたヘルスコルピオの甲殻と、砕けた大斧があった。

 ドミニクはなんの躊躇いもなく大斧を捨て、甲殻のひびの間に手を入れた。

 そして、力任せに甲殻を剥ぐ。


「ギシャアーッ!!」


 ヘルスコルピオが激しく暴れる。

 だがドミニクはその手を緩めない。

 甲殻が剥がれた場所にマリウスとジェロームが攻撃を加え、ドミニクはさらに甲殻を剥いでゆく。

 ジャックも参戦し、積年の恨みを晴らすかのように剣を振るった。

 ヘルスコルピオは段々と動きが鈍り、やがて力なくハサミと尾が地面に落ちた。


「オッシャアア!!」


 ヘルスコルピオの体液塗れの姿で勝鬨を上げるドミニク。

 僕は再び鑑定して結果が〈ヘルスコルピオの死骸〉であることを確認し、黒猫団を一列に並ばせた。

 そして『ウォーターベール』で彼らの汚れを洗い流す。

 黒猫団が互いの奮闘を称えるように肩をぶつけ合う横で、僕はカバンから冒険者カードを取り出した。


「いやあ、凄かったです〈黒猫団〉!名前付き(ネームド)を彼らだけで!」


 カシムが近寄ってきて、興奮気味に感想を語る。


「彼らも名前付き(ネームド)だしね。そこらのモンスターには負けないよ」

「ジャック君は奇妙な技を使ってましたし、ルーシーちゃんもノエルも強くなってる……これは私も負けてられませんね!」


 鼻息荒く決意を口にするカシムと、誉められて得意になったルーシーが同時に胸を張った。

 僕がその様子につい笑うと、カシムとルーシーも釣られて笑った。

 そんな笑顔のカシムの視線が、僕の手元に移る。


「どうしたのです、冒険者カードなんか持って?」

「ああ、うん。名前付き(ネームド)討伐情報、ちゃんと記録されたかなって思ってさ」

「大丈夫でしょう。まあ、私は名前付き(ネームド)討伐の経験がないのでわかりませんが」


 そう言ってまた、カシムは笑った。

 カシムがスケルトンズの方に歩いていったのを見計らい、もう一度冒険者カードに目をやる。


「もう、名前付き(ネームド)一体じゃレベルアップに足りないのか……」


 僕は大きくため息をついた。

「レイロアの司祭さま」二巻、発売中です!

<< 前へ次へ >>目次  更新