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「弱りましたね……」
カシムが水場を眺めながら言う。
いや、正しくは水場
水をたたえていた形跡こそあるのだが、そこには一滴の水も存在していない。
周囲を見回っていたドミニクが戻ってきた。斧を担いだまま豪快に笑う。
「見事ニ干カラビテルゼ。俺達ミタイニナ!ガハハハッ!」
カシムはドミニクのスケルトンジョークに眉を潜めつつ、水場について語り出した。
「……水場が枯れること自体はよくあることです。枯れては雨期を経てまた戻る、を繰り返すものですので」
「雨期?砂漠ニ雨ガ降ルノカ?」
「降りますよ。まとめてドシャーッと、滝のようにね。しかしまとめて降るぶん、
「それなら、街を目指して行けるところまで行ってみる?最悪、『テレポート』があるわけだし」
僕の『テレポート』は印象に残る場所にのみ、飛べる。加えてこれまでの傾向から、村や街のように人が住む場所ほど印象に残りやすい。
街まで辿り着きさえすれば、何かあってもそこから再スタートできるのだ。
「そうしたいところですが……まだずいぶんと距離があります。ここともう一つか二つ、水場に寄っていくつもりでしたし……」
カシムはなおも眉間に皺を寄せながら、ドーツ砂漠の地図を広げた。
「……残りの水も多くない。一番近い水場は逆方向。……〈命知らずの水路〉を使うしかないか」
カシムはボソリとそう言った。
「ナンカ縁起デモナイ名前ガ聞コエマシタガ」
ジャックが怪訝そうに問うと、カシムは説明を始めた。
「ここからソアの街までの間に大きな岩山があります。とても人が登れるような山ではないので迂回するのが定石なのですが、その岩山を縦断するように〈命知らずの水路〉と言われるルートが存在します。私も通ったことはないのですが」
「水路……水ガ流レテイルノデスカ?」
「雨期の間だけ、ですね。それ以外の時期は水が岩山を削った洞窟が姿を現します。岩山を突っ切ることができるので近道ではあるのですが……」
「ウウ、危険ナノデスネ」
ジャックが肩を抱いて言うと、カシムはこくりと頷いた。
「内部はモンスターの巣窟となっているそうです。この砂漠の中、ひんやりとした洞窟は格好の住処なのですよ」
「イイジャネェカ、命知ラズ!俺達ニぴったりダ!」
ドミニクがぶんぶん腕を回し始めた。
アンデッドを命知らずと表現していいのかわからず、僕は首を捻った。
「ウム。安全ナ旅モ良イガ、コレデハ腕モ鈍ルトイウモノダ」
腕を組んだマリウスもドミニクに同調する。
「ジェロームは?」
僕が話を振ると、ジェロームは小さく頷いた。
「御主人様ノ身ニ危険ガ及ブノハ避ケタイトコロデス。シカシ、他ニ手段ガナイノデアレバ致シ方アリマセン」
「はいはーい!ルーシーもいのちしらずです!」
ルーシーが両手を挙げて命知らずをアピールする。
海賊物の影響だろうか。少し心配だ。
「僕も賛成。他の水場も干上がってる可能性を考えれば、近道を行ったほうがいい」
最後に僕が意見を言うと、カシムはパンッ!と手を打った。
「よし、満場一致で決まりですね!では、〈命知らずの水路〉へと向かいましょう!」
僕達は揃って頷き、出発の準備に入った。
そんな中、ジャックがぽつんと立ったまま呟く。
「アノ、私ノ意見ハ……」
水場を出発した僕達は、真っ直ぐに南を目指した。カシムが言うには〈命知らずの水路〉までは二日程度の距離らしい。
これまでと同じように、ラスカーに乗って砂の上を進む。
そうして一晩越え、二晩目が近づいてきた頃。大きな砂丘を登りきると、突如として岩山が現れた。
視界の端から端まで広がっていて、切り立った崖は人を拒むかのよう。山の上部がスパッと切り取られたように平たくなっていて、大きな大きな台座のような形だった。
僕達は明朝突入することに決め、岩山を眺めながら二晩目を過ごした。
そして翌朝。
僕達は、絶壁にぽっかりと口を開けた〈命知らずの水路〉へと踏み入った。
水路内部は、ラスカーも含めた僕達一行が横一列に進めるほど広く、天井もまた高い。
床には何処からか太陽の光が落ちている。
サラサラと落ちる砂に光が反射し、星のように瞬く。
「コレハ……見事ト言ウホカアリマセン……」
ジェロームが珍しく、感情のこもった感想を漏らす。
彼が眺めてはため息をついているのは、水路の壁面だ。水が造り出した水路の壁は滑らかに削られ、幾重にも重なった地層が美しい縞模様となっていた。
縞模様は緩やかな曲線を描き、穏やかな河の流れのように波打っている。今、「ここが砂海だ」と言われても納得できる光景だった。
皆が皆、キョロキョロと辺りを見回しながら進んでいく。
「ここを根城にするモンスターの気持ちがわかる気がするなあ」
僕はラスカーを引きながら、独り言のように言った。奥へ行くほどひんやりと涼しく、いつも眠そうなラスカーもどこか機嫌よさげだ。
「……デスネエ。静カデ、涼シクテ」
ジャックが僕の独り言に答え、うんうんと頷く。
ルーシーは壁面の縞模様を追ってふよふよと飛び、縞模様がうねってマーブル模様になっている場所を見つけて、にんまりしている。
「さて、皆さん!気は済みましたか?」
カシムの大きな声に、僕達は一斉に彼のほうを見た。
「ここは〈命知らずの水路〉です。美しい場所ですが、極めて危険な場所でもあります。気を引き締めて行きますよ!」
僕達は弛緩した気分に別れを告げ、襲い来るであろうモンスター達に備えた。
そして、夜が来た。
自然にできた天窓から月明かりが射し込む。
僕達は車座に座り、今日のことを振り返っていた。
「コレガ〈命知ラズノ水路〉?タダノ〈安全ナ道〉ジャネエカ!」
ドミニクが不機嫌そうに鼻を鳴らす。
彼が苛ついているのは、ここまでモンスターに出会さなかったから。
ただの一匹も、だ。
「マアマア。安全ナノハ良イコトデス」
たしなめるジェロームに向かって、ドミニクはもう一度フンッと鼻を鳴らした。
カシムは後頭部をポリポリ掻きながら、居心地悪そうにしている。
「おかしいですね……暑さを逃れてデザートウルフやツインヘッドスネークなんかがひしめいてると聞いたのですが……」
マリウスが顎骨を擦って言う。
「ワザトソウイウコトニシテイル奴ガイルノカモナ。自分達ダケガ使ウタメニ」
「なるほど、そういう考え方もできるか……」
僕はマリウスの意見に納得しかかったが、カシムが慌てて否定した。
「いえいえ、信頼できる筋の情報です。前回ガンツキャラバンにお世話になったときも、〈命知らずの水路〉は使いませんでしたし……」
「シカシ、現ニ間違ッタ情報ダッタワケダ」
「それは……マリウスさんの言う通りですね。むう……」
僕は考え込むカシムの背中を軽く叩いた。
「ま、いいじゃん。順調なのはいいことさ。予定より早く抜けることができそうでしょ?」
「ええ、それはもちろん。何度も戦闘することになると踏んでいましたから……明日の午前中に水場に着いて、日中には水路を抜けるでしょう。水路を出ればソアの街はすぐですから、明日の夜は宿で眠れるかもしれません」
僕達は水路の中で一晩過ごし、月明かりが朝日に変わった頃に出発した。
カシムの言った通り、午前の内に水場に到着した。それは水溜まりと呼ぶには大きく、池と呼ぶには小さい、くぼみに水をたたえた場所だった。
水は濁りなく澄み渡っている。
「オォォウ……ラアァ!!」
突然、ドミニクが叫び声を上げながら水に飛び込んだ。
大量の水飛沫が上がり、僕達に降り注ぐ。
「うへっ……ちょっと、ドミニク!」
「ヘヘッ、ワリイおーなー」
ドミニクは謝りつつも、悪びれることなく水と戯れている。戦えないストレスを解消しているようだ。
「ぷぷっ。
ルーシーが両手で口元を押さえて笑う。
「そうだね、
がっくりと肩を落とした僕を、カシムが訝しげに見る。
「どうしました、ノエル?」
僕は答える代わりに魔力を練った。そしてカシムの方へ手をかざす。
「『ウォーターベール』」
「お、おおっ?これは……魔法ですよね?」
カシムは頭上にできた水の幕を、恐る恐る下から覗く。やがて効果時間が切れ、カシムに水が降りかかった。
「うわあっ!……ノエル。どういうつも――」
「――アアー!!」
カシムの恨み言を遮って、ジャックが叫ぶ。
「『うぉーたーべーる』ガアルカラ、水場ニ寄ル必要ガナカッタ!」
「そうなんだよ……」
自分の魔法の存在を忘れるなんて、うっかりしていた、なんてもんじゃない。自分の役割は『テレポート』役だと思い込んで、勝手に仕事を制限していたのかも。
事態を飲み込んだカシムは、自己嫌悪に陥る僕の背中に優しく手を置いた。
「そう、自分を責めることはないですよ?これから水を運ぶ必要がなくなるのは嬉しい誤算です。砂海の航海にも水が必要ないのは大変助かります」
「カシム……」
「……しかし。私を濡らす必要はなかったですよね?」
商人スマイルのカシムの手に力がこもる。次の瞬間、僕は水場へと転落した。
「うわわっ」
水面へ転げ落ちる僕の目に、ニヤリと笑うカシムの顔が映る。
そして僕は、水飛沫と共に水中に沈んだ。
すぐに水面から顔を出し、カシムへ両手で水を飛ばす。
「ちょっと、止めなさいノエル!私はやり返しただけです!」
水場から離れようとするカシムを、ジャックとジェロームが後ろから押し止め、担ぎ上げた。
「あなた達、離しなさい!私は雇用主ですよ!」
ジタバタと暴れるカシムだったが、その甲斐なく水場へと放り投げられた。
その後も僕とカシムが水をかけ合っていると、ジャック達も水に飛び込んできた。何故か二頭のラスカーも参戦し、ルーシーに至っては僕の肩で『ウォーターベール』を連発するという、大規模な水合戦へと発展した。
水場から上がる頃には僕とカシムはヘトヘトだった。
砂漠の住人にとって貴重な水を無駄にしてしまったかと思い水場を改めて見ると、『ウォーターベール』のせいでむしろ水量は増えていた。
そして、そこにぷかりと浮かぶジャック。
何故飛び込んだのか、理解に苦しむ。
僕達は服を乾かすのは諦め、湿った足跡を残しながら水路を進んだ。
水合戦に疲れた僕とカシムはラスカーの上だ。その後もモンスターは一匹も現れず、順調な道のりだった。
やがて、服もだいぶ乾いた頃。
進行方向に眩しい光が溢れているのが見えてきた。
「オッ、出口デスカネ!」
ジャックが駆け出す。
僕もつい、ラスカーを急かす。
だが、僕の乗っているラスカーは急に歩みを止めた。
胴を蹴っても、首の後ろを押しても動かない。
カシムを見れば、カシムのラスカーも同じように足を止めていた。
僕とカシムは目を合わせたまま、しばらく互いの不安気な表情を見つめていた。
ふと我に返り、前方に声を飛ばす。
「ジャック!止まれ!」
一人飛び出していたジャックは、既に水路から出ていた。僕達がついてこないことに気づき、こちらを振り返る。
「オーイ!皆サン早ク早――クヒィーッ!!」
ジャックは一瞬で逆さ吊りになり、僕達の視界から消えた。
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