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ギルドを出ると、ジャックがすぐ近くまで寄ってきて僕の脇腹を肘の骨でつついた。
「ヨッ、コノ女タラシ!」
「よせよ、もう……」
「なすたーしゃサン、絶対のえるサンニ気ガアリマスヨ!」
「……どうかな?ナスターシャさんが冒険者を口説くときって、いつもあんな感じなんじゃないかなあ」
「アンナ感ジトハ?」
「【二連星】や他の信奉者を見たろ?いくら占いが当たるから、魅力的な女性だからって、あそこまで熱心なのがよくわからなかったんだ。でも、ナスターシャさんのあの物言いならわかる」
「アー。悪気ナク男ヲソノ気ニサセチャウ、ミタイナ?」
「そうそう。たぶんだけど」
「エエ。
そしてジャックはまた、肘の骨でつついてきた。
「ヨッ、れいろあノ種馬サマ!」
「なんだよそれ!」
僕とジャックは肘でつつき合いながら、大通りを早足で歩いていった。
大通りを抜け、僕達が入ってきた北門とは逆側の南門まで来ると、門のすぐ外側に仲間達の姿があった。
三人の黒マントが並び立ち、その横にレンタルしてきたのであろう二頭のラスカーが繋がれている。
ラスカーの傍には腰の高さまで積まれた砂漠越えの荷があって、その荷の陰に隠れるようにカシムが座っていた。
カシムは僕に気づかず、一枚の紙を熱心に読みふけっている。
「カシム、お待たせ!」
カシムは驚いた顔で僕を見上げ、それから商人スマイルを浮かべた。
「そんなに待ってませんよ、ノエル。その様子だと、そちらの問題は無事片づいたようですね?」
「うん、何とか」
「それは何より。ここで足止めを食ったら、砂漠越え断念の最短記録を更新してしまいます」
カシムはニコニコと冗談を言いながら、手に持った紙を折り畳んだ。
僕は不審に思い、問い質した。
「……何があった?」
商人スマイルとは、とどのつまり上手な作り笑顔だ。ということはカシムの心は今、笑っていないということになる。
カシムは見抜かれたことを察し、頭を掻いた。
「……いや、本当に大したことではないのですよ」
そう言って折り畳んだ紙をもう一度開き、僕に渡した。
「これは、新聞か。……ふむ」
僕が新聞を手に取ると、大きく書かれた見出しが目に飛び込んできた。
《ガンツキャラバン砂漠越え失敗!ヴァーノニア随一のキャラバン、凋落の予兆か!?ガンツ氏の高齢による衰えが原因か》
「……そのガンツキャラバンとは、私が同行させてもらったキャラバンなのです」
「あ、そうなの?」
「ええ。記事にもあるように、ヴァーノニアで一番のキャラバンです。……確かに我々は砂漠越えに失敗しました。でも、それはどうにもならない自然の猛威によるものです。あのときガンツさんが即座に撤退を決めなければ、私は今、ここにいないでしょう。ガンツさんは耄碌などしていないし、とても立派な方です」
「なるほど……そう考えると、なんか悪意のある記事だね」
「この新聞は、ガンツさんの商売敵の息がかかっているようです。失敗を大袈裟に騒ぎ立て、ガンツさんの評価を落としたいのでしょう」
カシムは口を真一文字に結び、しばらく黙りこんだ。
やがてグッと目を見開き、低く力強い声で言った。
「砂漠越えを成功させなければならない理由が増えました。ガンツキャラバンにいた私が真っ先に砂海を越え、ガンツさんの汚名を雪いでみせます!」
カシムの決意の言葉を合図に、僕達の砂漠越えの旅が始まった。
出発してしばらくは、何てことのない普通の旅だった。
ヴァーノン河周辺と同じように草木が生え、砂漠を越えるという目的を忘れるような景色が続く。
しかし、一日経つと緑が疎らになってきた。
二日経つと辺り一面が荒れ地の様相を呈してくる。
三日経つと剥き出しの地面と岩ばかりが広がる。
四日経つとその地面はひび割れ、景色の変化は稀に見かける枯れ木くらいになった。
そして、一週間が経った。
僕達は太陽と砂が支配する不毛の地を旅している。
「さばくは~あつい~♪すなは~きいろい~♪」
ラスカーの上に乗る僕の、更に肩の上に乗って上機嫌のルーシー。
ラスカーでの旅がとても気に入ったらしい。
最初に砂漠を見たときに「おっきなすなば!」とはしゃいでいたので、砂漠自体も気に入っているようだ。
一方僕は、ここまでの旅が快適とは言えなかった。
ラスカーが酔っぱらいのスキップのような、独特なテンポで歩行するせいだ。
それに加えて身体中の水分を搾り取られるような暑さ。僕は初めのうちは気分が悪くなってばかりだった。
「視点は遠くに、手綱はしっかり」というカシムの助言を実践し、ラスカーのジャッ、ジャッと砂を蹴る音が小気味良く聞こえる程には慣れてきた。
「そろそろ日が暮れます。ここらでキャンプしましょうか」
カシムの指示で、今日の旅の行程が終わる。
普段の感覚だともう少し進みたくなる時間だが、砂漠では夜動かないのが鉄則なのだとカシムは言う。
砂漠にもモンスターはいる。
だが、砂漠の暴力的な日射しと灼熱の砂は、モンスターにとっても脅威なのだ。
それゆえ昼間は砂中や岩の陰などで休み、夜に活動するらしい。
実際この一週間、日中のみの移動を徹底しているので一度もモンスターに襲われていなかった。
モンスターの夜襲に備え、黒猫団が焚き火の準備をする。
その間に、僕とカシムは寝床となるテントの準備を始めた。敷布団サイズの小さな絨毯を二枚並べて敷き、その間に棒を立てて上から大きな布を被せる。あとは布の裾を石で固定したら完成という、簡単なテントだ。
僕とカシムはこの中で、寝袋に入って寝ることになる。
寝床の準備できたら焚き火を囲んで食事だ。
石のように固いパンをゆっくり咀嚼し、丸めて乾燥させたチーズをひと欠け、口に放り込む。
水もゆっくりと噛むように飲む。
夕食はこれだけ。
美味いとはとても言えない食事だが、それでも幸せな時間だった。
その理由は食事しながら見る、目の前の光景にある。
空がピンク色に染まり、それが赤色へ、そして紫を経て星の瞬く深い青へと変化していく。
この絶景を遮る障害物が何一つない。
僕はこの時間が堪らなく好きだった。
「地図見ても今どこかよくわからないけど……予定より遅れてるよね?」
食事を終えた僕が問うと、カシムは微かに頷いた。
「多少は。しかし想定の範囲ですよ。遅れると心配になるのは食料と水ですが、それらが必要なのは私とノエルだけですからね。まだずいぶん余裕があります……とはいえ、次の水場には寄る必要があるでしょう」
「わかった。次は……南東だね」
砂漠を旅するにおいて、水は貴重だ。
水がなければ砂漠越えなど、スケルトンでもない限り不可能。結果、砂漠の中の数少ない水場を渡り歩くことになる。
そのため、僕達は水場に立ち寄りながらジグザグに南下していた。
「うう、冷えてきたね。そろそろ寝ようか」
「そうですね……彼ら、楽しそうですね」
カシムに言われ、黒猫団とルーシーを見る。
彼らは焚き火を挟んだ向こう側で、毎夜お決まりのゲームに興じていた。
「休暇旅行の気分なんだろうねえ」
食事も酒も楽しめない彼らにとっても、こういう時間は大切なのだろう。
今夜のゲームは〈私は何でしょう〉ゲームのようだ。
額にお題を貼りつけたジャックを、他の皆がニヤニヤ見ている。
「エー……私ハ物デスカ?」
「そうです!」「物ダナ」「ウム」「デスナ」
「ウーン……私ハ食ベラレマスカ?」
「食ベラレルッチャア、食ベラレルナ」「シカシ食ベ物トハ言エンゾ、どみにく」「のめる!」「るーしーサン、ソレハ言イスギデス」
ジャックがニタリと笑う。
「フッフッフ。失言デシタネ、るーしー。コレデダイブ絞レマシタ……私ハ酒場カ食堂ニアリマスカッ!」
「ソレハだめダ、じゃっく。質問ハヒトツダ」
「ムッ、厳シイデスネまりうすサン……デハ、酒場ニアリマスカ!」
「ぶーっ!」「ナイ」「ナイナ」「ナイデスネ」
「ムウッ、デハ食堂ニハ?」
「ぶぶーっ!」「ナイ」「今ノ質問ハ勿体ナイナ」「質問ハアト一ツデスヨ、じゃっくサン?」
「ヌウッ……飲ミ物ナノニ酒場ニモ食堂ニモナイ?……ソウカ、ヨシッ!私ハ、〈黒猫堂〉ニアリマスカ!?」
「……ある?」「アル」「アルナ」「アリマス」
「フッフッフ。キタ、キマシタヨ!私ハ、ぽーしょんデスッ!」
一瞬の沈黙。
そして……。
「……ちがいまーす!」「残念ダッタナ、じゃっく!」「くっくっく。オシイオシイ」「イイ線デシタガ」
「エエッ!?」
ジャックは額のお題を手に取り、すぐに地面にペンッ!と投げ捨てた。
「はいぽーしょん!?ぽーしょんニ辿リ着イタダケデモ奇跡的ナノニ、はいぽーしょん!?コンナノ当タルカッ!!」
「マアマア。まりうすサンハ一発デ当テタワケデスシ」
「アレコソオカシイデスヨ!〈めたりっくまたんご〉ナンテオ題、ひんとヒトツデ当タリマスカ!?」
「つぎ!つぎはルーシーがやる!」
ジャック達の声を聞きながら、寝袋に入る。
地面はまだ、暖かかった。
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