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僕はジャックとルーシーだけを連れて、ヴァーノニアの冒険者ギルドへと向かった。
用があるのは僕だけのようなので、カシムには残りの黒猫団を連れて砂漠越えの準備をしてもらうことにした。
「連れてきたぞ、リュングベリ」
冒険者達に連行されたのは、ヴァーノニアギルドの受付カウンター。そこには、懐かしいスキンヘッドの男がいた。面倒見のいい受付嬢(?)こと、リュングベリさんだ。
「……ご苦労。あとは俺が引き継ぐ。お前達は仕事に戻れ」
一瞬の間のあと、口々に不満を漏らす冒険者達。
「あぁ!?」「畳むぞゴルァ!」「リュングベリ!てめぇ、自分の手柄にする気か!?」「おるぅあ?」
するとリュングベリさんが受付カウンターにドンッ!と拳を落とした。
「お前達、その人数で姉御のところに押しかけるつもりか!?【二連星】に殺されるぞ?」
「うっ……だがなあ!」
「……姉御に嫌われても知らんぞ?」
それを聞いた途端、冒険者達の顔がサアーッと青褪めた。
「心配せずとも、お前達が連れてきたことは姉御に伝えておく……ノエル、ついてこい」
リュングベリさんは冒険者達に静かに告げると、僕を受付カウンターの中へ招いた。
中には《関係者以外立入禁止》と札の下がった扉があり、リュングベリさんはその扉を無造作に開く。
扉の奥の通路をリュングベリさんについていく。
ヴァーノニアのギルドは建て増しに建て増しを重ねた迷宮のようになっていて、その通路は複雑に入り組んでいた。
一瞬で迷ってしまいそうなので、リュングベリさんと距離を空けず、ぴったりくっついて進む。
ジャックにフードを脱ぎ、
やがて受付カウンターの喧騒が遠く離れると、リュングベリさんがボソリと言った。
「すまんな、こんなことになって」
「いえ。……彼らはナスターシャさんの信奉者ですか?」
「信奉者は大袈裟だが……熱心なファン……信者……やはり信奉者が一番近いかもしれんな」
リュングベリさんは苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「りゅんぐべりサンモ信奉者ナノデスカ?」
ジャックが問うと、リュングベリさんは首を横に振った。
「やつらは独身男ばかりの、姉御の追っかけみたいなもんだ。一方、俺は嫁も子供もいるからな」
「ええっ!?」
「ソウナノデスカ!?」
「……なんだ、その反応は」
「いえ、すいません」
「まあ、信奉者でなくとも姉御のことは尊敬している。だから、今こっそりと逃がしてやったりはできない」
そう言って申し訳なさそうな顔を見せるリュングベリさんに、面倒見のよさは相変わらずだな、と思った。
「……落ち着いているな。何故こんなことになったのか勘づいているようだな」
「ええ、まあ。想像はつきます」
思い出されるのはレイロアのギルマスから聞いていたこと。彼らがナスターシャさんの信奉者ならば、僕を連行する理由は一つだろう。
「姉御はお前を欲しがっている。そして今日お前がヴァーノニアへ来ることを予見し、連れてくるよう命じた」
ナスターシャさんの職業は占い師。
おそらくそのスキルで僕が来ることを予見したということなのだろう。が……。
「あの……ナスタ――ヴァーノニアのギルマスって、何でも未来が見えるのですか?」
「ナスターシャさん、でいいぞ。何でも、ってわけでもない。世界を揺るがすような大きな変化や姉御自身が興味のある事象、あるいは姉御の命に関わることだな。試しに喧嘩売ってみろ、全ての攻撃を先読みされてカウンターを食らうぞ」
「ウヘエ、勝テル気ガシマセンネ」
ジャックがプルプルと頭蓋骨を振った。
「さて、ここだ」
リュングベリさんが立ち止まる。
その目の前には、両開きの大きな扉があった。
「姉御。レイロアの司祭ノエルを連れてきました」
「うむ、通せ」
リュングベリさんは重そうな扉を両手で押し開き、僕を通すため道を開けた。
僕がリュングベリさんの前を通って部屋に入ろうとすると、リュングベリさんが小声で囁いた。
「ノエル。お前がどんな選択をしようと、姉御
僕は返事代わりに一つ頷き、部屋の中へ進んだ。
部屋はギルマス部屋と考えると、そう広くない。
我が家のリビングくらいの広さの床一面に、色鮮やかな絨毯が敷き詰められている。
正面には、ナスターシャさんが絨毯に直接腰を下ろしていた。
左膝を立て、水タバコを燻らせている。
薄絹のショールから覗く左足を、ジャックが食い入るように見つめる。
妖しい魅力は健在だ。
彼女の両脇にはそっくりな顔の、剣士風の若者が二人。
髪型から服装まで全て同じで、武器を持つ手だけが左右逆だ。まるでナスターシャさんを挟んで鏡写しになっているようだった。さっきリュングベリさんが脅し文句に使っていた【二連星】とは彼らなのだろうと直感した。
背後からギイッ、と音がして扉が閉められる。その閉まる扉の向こうに、リュングベリさんの背中が見えた。
扉が完全に閉まると、ナスターシャさんはゆっくりと僕達に手招きした。
「ノエル。
「はい……んっ?ええと……」
「「履き物はそちらに」」
【二連星】が声を揃えて絨毯の端を手で示した。僕とジャックはブーツを脱ぎ、絨毯の上に進んだ。
ふわっとした足触りが心地いい。
五歩ほど歩いてから腰を下ろし正座しようとしたが、「楽に」とのナスターシャさんの言葉に、僕は胡座をかいて座った。
ジャックは僕の斜め後ろに正座し、ルーシーは僕の膝の上に腰かけた。
「おや、可愛いゴーストじゃ。こっちゃ来い」
ナスターシャさんが、ルーシーに自分の膝を叩いて見せた。
ルーシーは僕とナスターシャさんの顔を交互に見ていたが、僕が頷くとふよふよと飛んでいき、ナスターシャさんの右膝にちょこんと座った。
ナスターシャさんは愛おしそうにルーシーを撫で、それから僕に瞳を向けた。
「ノエル。妾はそなたが欲しい」
直接的な要求に、僕は面食らった。「告白ダ……告白ダ……」と囁くジャックの大腿骨を後ろ手にグリッと押し、気を取り直して答える。
「それはヴァーノニアへ移籍しろ、というお話ですね?」
ナスターシャさんはこくん、と頷いた。
「そのお話なら、レイロアのギルドマスターを介してお断りさせて頂いたと思いますが……」
ナスターシャさんはまたもこくん、と頷く。
「聞いておる……何故、妾の誘いを断るのじゃ?」
「ええと、僕はレイロアに家がありまして」
「引っ越せばよい」
「その家はルーシーの……
「家ごと持ってくればよい」
「庭にはトレントも生えていて」
「トレントも連れてくればよい」
「〈黒猫堂〉という商店も経営していまして」
「ヴァーノニアに店を出せ。便宜を図ろうぞ」
「いえ、迷宮内に店を構えることに意味があるといいますか……」
そこまで話すと、ナスターシャさんは水タバコを深く吸い、ため息のように紫煙を吐いた。
「ノエル。妾のことが好かぬか?」
途端、両脇に控える【二連星】の威圧感が膨らんだ。
これは……殺気!?
「そっ、そんなことは」
「では、妾が好きか?」
「ど、どちらかといえば――いえ!好きです!」
するとナスターシャさんはにっこりと笑った。
「そうか。ならば、よい」
その言葉に、【二連星】の殺気も急速に収まっていった。
「ときにノエル。そなたは何故ヴァーノニアへ来たのじゃ?」
それは
「依頼です。ドーツ砂漠を越える予定です」
僕の答えを聞き、ナスターシャさんの綺麗な額に一本の縦皺が刻まれた。
「知らぬのか?今は砂海が満ちておるぞ?」
「はい、存じております」
「……そうか。ならばよい。そなたなら何とかするのであろう」
それからしばらく、他の話に花が咲いた。
砂漠のモンスターの話に、ドラゴンゾンビ騒動の話。
中でも、ナスターシャさんがドラゴンゾンビ戦のことを見ていたかのように話すのには驚いた。占いだけでこれほど正確にわかるものなのか。
「のえるサン、ソロソロオ時間カト……」
ジャックに言われ、ずいぶん時が経ったのに気づいた。
「僕達、人を待たせているのでそろそろ失礼します」
ナスターシャさんは残念そうに眉を潜め、それからふと自分の膝の上を見た。
「ノエル。今、そなたの可愛いルーシーは妾の手に落ちておるが。それでも移籍には応じぬか?」
「へっ?……あらら」
「チョッ、るーしー?人質ニサレテマスヨ?」
ルーシーはナスターシャさんの右膝を枕に、すやすやと寝息を立てていた。
「ふっふっふ。……ルーシー、起きるのじゃ。お前の主に置いていかれるぞ?」
「うみゃ?」
ルーシーは眠たい目を擦り辺りを見回すと、ふよふよと僕の肩の上へと戻ってきた。
扉を開けて外へ出ると、ナスターシャさんが見送りに出てきてくれた。【二連星】が両開きの扉の前にそれぞれ立ち、後ろ手に扉を押さえる。
「ノエル。いつでも妾を尋ねてこい」
「……はい。移籍する気になったら伺います」
するとナスターシャさんは、ふるふると首を横に振った。
「移籍関係なく訪ねて参れ。困ったことがあったら真っ先に妾を頼るのじゃ。お前の身はこのナスターシャが身を投げ出してでも守ってやろうぞ」
そうして花のように艶やかな笑みを浮かべた。
僕はナスターシャさんに丁寧にお辞儀した。
そして扉を押さえる二人から放たれる凄まじい殺気から逃れるように、早足でその場をあとにするのだった。
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