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僕達は一旦茂みの外まで戻った。
そこで今、僕はひたすら両手を上げ下げしていた。
周囲の目が痛い。
特にジェドとデイジーとハルヴァーの視線は、まるで刃物のように僕の背中に突き刺さる。
わかってるよ。「この非常時に何をふざけてるんだ」って言いたいんだろう?
非常時であることは重々承知しております、はい。
僕はルーシーに教えを請うたのを、早くも後悔しつつあった。
「ちがうちがう、こーだよ、わっしょーい!」
「……わっしょーい!」
「もう!ノエルはできないこだなー。わしょーい!」
「わしょーい……あの、ルーシー。ときどき違うの交じってるような……」
「せんせい!」
「ん?」
「ルーシーせんせい、でしょ!」
「あ、ルーシー先生。ときどき違――」
「ちがわない!」
「いや、違――」
「ちがわないの!!」
「……はい」
赤ヒゲモードを引きずっているのか、ルーシーの教えは、それはそれは厳しいものだった。
そんなルーシーのスパルタ教育のお陰で、僕の「わっしょい」も段々様になってきたらしい。それもルーシー談なので、どこまで信じてよいのかわからないが。
練習を終えた僕はルーシーを肩に乗せ、一人監視を継続中だったグリフィンさんの元へ戻った。
「いけるのか?」
グリフィンさんの問いかけに、ルーシーが大きく頷く。グリフィンさんは自分の装備を手早く点検し、僕とルーシーに目配せした。
「始めろ」
僕はジェド達や他の試験官を見回した。
彼らも準備は万端のようだ。
先程まで弱っていたデイジーも、やる気に満ちた目で杖を握り締めている。
「じゃあルーシー、交互にいくよ?最初はルーシー、次が僕、その次はまたルーシーね」
「ん!」
「ジェド達の前まで運んだら終わりね」
「わかった!」
最終確認を終え、僕は多目に魔力を練った。
「ルーシー先生、どうぞ!」
「いっくぞー!『まっどはんど』!」
その瞬間、巣の中に泥の手が無数に発生する。
その手はわらわらとワンダを掴み、
「わっしょーい!」
というルーシーのかけ声に合わせて、ワンダを宙に放り投げた。
「えっ、はっ?……やだー!何これー!」
ワンダは初めは何が起こったか分からず呆けていたが、すぐに自分の状況に気づき、宙で手足をジタバタさせた。
ワンダの悲鳴に釣られ、ティレックスが立ち上がる。だが、すでにその足が踏みしめる場所にワンダはいない。
「ノエルの番だよっ」
「よし、『マッドハンド』!」
僕の発生させた泥の手が、落ちてきたワンダを受け止める。そして、
「わっしょーい!」
と、また放り投げる。
こうしてバケツリレーの要領でワンダを僕達の元へ運ぶのだ。名付けて、『マッドハンド』わっしょいバケツリレー作戦。略してマッしょいリレー作戦だ。
実際にやってみると、これが難しい。
落ちてくるワンダを泥の手でそっと受け止めてから「わっしょい」するのだが、微妙にタイミングがずれて僕の番のときだけ、ワンダから「ウッ」とか「オフッ」とか呻きが漏れる。
ルーシーのように、安定した「わっしょい」にはほど遠い。「わっしょい」マスターへの道は険しいようだ。
舞い上がっては落ちるを繰り返しながら運ばれていくワンダ。それを呆気に取られて見ていたティレックスだったが、ワンダが僕達のいる茂みまであと少しというところで雄叫びを上げた。
「ギャウゥゥゥ!」
そして、そのままワンダを追っかけてくる。その移動速度はマッしょいリレーより確実に速い。
追いつかれると判断したルーシーが、ググッと身を屈めた。そして体全体を使って、大きく両手を上に伸ばす。
「わっ!しょ――い!!」
「うきゃぁぁ!」
ルーシー会心の「わっしょい」はワンダを天井スレスレまで浮かし、彼女は悲鳴とともにこちらへ落ちてくる。
「うわわわっ」
一番近くにいたジェドが茂みから飛び出し、落下地点を探すのに右往左往しながらも、身を呈してワンダを受け止めた。
「ふげっ」
ワンダの無事を見届けたグリフィンさんは、
「上出来だ」
と短く言って、再びルーシーの頭を撫でた。そして、
「後は任せろ」
と、ティレックスの前へ躍り出た。
グリフィンさんは奴の周囲を移動しながら、何度も矢を放つ。
ワンダ以外眼中にないティレックスだったが、一射、二射、三射と的確に頭を射られ、四射目が瞳を射抜いたとき、ついにグリフィンさんに標的を移した。
「逃げるよ!あとはグリフィンに任せれば大丈夫だ!」
ジェイコブさんの声に、全員が逃げる準備に入った。大男のドニさんが、潰れたジェドと潰したワンダを引き起こす。
「走れ走れ!」
ジェイコブさんが先頭を走り、大男のドニさんはそのままワンダを背負って走る。ジェドは体中が痛むようだが、必死にジェイコブさんに食らいつく。残りのメンバーも来たときと同じ陣形で、ひたすら走る。
僕達は残った力を振り絞り、ようやくティレックス出現地帯を抜けた。
ドニさんの背から下ろされたワンダは、皆の目を気にすることなく泣きじゃくった。
「ゔああ!見捨でられだど思っだあ~!」
「見捨てたりしないから。大丈夫だから。ね?」
わんわん泣くワンダの背中を、デイジーが擦る。
ジェドとハルヴァーも、心底ホッとした顔でその泣き顔を眺めていた。
ワンダが落ち着いてきたところで、僕達は『リープ』で脱出することにした。
詠唱する僕を見て、ジェイコブさんが愚痴るように言う。
「はあ。僕達も帰りたいよ」
すると他の試験官も同様に愚痴った。
「まったくだ」
「早く帰りてえ」
「今回の試験は散々だぜ」
僕の横に立っていたジャックが、首を傾げてジェイコブさんに尋ねる。
「散々ダッタノデスカ?」
「まあね。足が早すぎて補足できないパーティはいるわ、三つにバラけるパーティはいるわ。大変だったよ」
そう言って、ジェイコブさんはイタズラっぽく笑った。
詠唱を終えて転移が完了する短い間に、僕はジェイコブさん達に頭を下げた。
ジャックやジェド達も同じように頭を下げる。
景色が入れ替わる中、試験官達は揃って良い笑顔で僕達に手を振った。
「お疲れさん!」
「ギルドにきちんと報告するんだよ?」
「じゃあな、王子様!」
「気ぃつけて帰れよ!」
レイロアは夕焼けに染まっていた。
大門からギルドへ向かう僕達の足取りは、それはもう疲れ果てたものだった。ジャックとルーシー以外は口さえきかない。
はぐれたメンバーを探すため、ティレックスから逃げるため、移動しっぱなしだったからだ。
ダンジョンをこんなに走り回ったのは初めてじゃないだろうか。
やっとのことでギルドに辿り着き、扉を開ける。
すると、すぐ横から声をかけられた。
「よう。遅かったな、司祭さん」
扉横の壁に背をもたれていたのは【精霊の靴】のリーダー、トラヴィスだ。
「色々あってね」
「どうだった?」
「……ダメだった」
僕だけは裏依頼の報酬があるので
「そうか。……ま、次があるさ」
トラヴィスは僕の肩をポンと叩き、仲間達の方へ歩いていった。
僕がトラヴィスの背中を見送っていると、パン!パン!と激しく手を鳴らす音がギルドに響いた。
音の方を見れば、テーブルに乗った強面の男。
【鬼僧侶】こと、カルロスさんだ。
「受験者の皆、ご苦労だった!全員が無事戻ったことを何よりも嬉しく思う!試験の合否は三日後、ギルド掲示板にて行う!では、解散!!」
どうやら、僕達が最後だったようだ。
ということは、ジェイコブさん達が帰れないのは、最終確認とか宝箱の後片付けとかだろうか?
そこまで想像して、考えるのを止めた。
そのくらいもう、ヘトヘトだった。
僕はマギーさんに試験を降りたことを伝え、ジェド達との挨拶もほどほどに帰路についた。
重い足を引きずりながら、ふと気づく。
「あっ」
「ドウシマシタ?」
「ジェイコブさん達、知ってたのか」