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「デ。コレカラドウシマス?」
ジャックの問いに、僕は肩を竦めた。
「帰ろう。もう、彼らと冒険するのは無理だ」
投げやりなんかではなく、心からそう思っての答えだった。だが、ジャックの反応は予想とは異なるものだった。
「……本当ニ、ソレデ良イノデスカ?」
「もちろん」
「何モ、冒険ヲ続ケル必要ハナイデショウ?彼ラヲ見ツケ次第、『りーぷ』シテシマエバイイ。ソレデ裏依頼ハ達成デス」
「そりゃ、そうだけど……どうしたんだよ、ジャック。君はやられた張本人だろう?ジェドを許せるの?」
「許セマセンヨ。デモ、嬉シカッタ」
よくわからないジャックの返事に、僕は固まった。
「え゛っ。……ジャックって、痛めつけられて喜ぶタイプだったのか!?」
「イヤイヤイヤ!ソウデハナクテデスネ!」
あたふたと両手を振って否定するジャック。
「沼ニ落トサレタトキハ、ソレハモウ怒ッテマシタ。じぇどニ呪イヲカケタクライデス」
そう言って、ジャックは険しい顔で天井に向かって両手をかざす。
「呪い?そんなのできたっけ?」
「デキナイデス。気持チノ問題デス」
「ああ、そう」
ジャックは両手をスッと下ろし、僕の顔を見つめた。
「シカシ、ソノアトのえるサンガ落チテキタ。……驚キマシタ。最初ハのえるサンマデ落トサレタカト思いマシタ。追ッテキタト聞イテ、何故ソンナ無茶ヲ!ト、腹立タシクモ感ジマシタ。……デモ、トテモトテモ嬉シクテ。じぇどヘノ怒リナンテ吹ッ飛ンデシマイマシタ」
「……そっか」
僕はなんだか照れ臭くなって、頬を掻いた。
「一度受ケタ依頼デス。完遂シマショウヨ。見ツケテ『りーぷ』。ソレダケデス」
「……わかった。ジャックがそれでいいなら。ルーシーも手伝ってくれるかな?」
「ん!てつだう!」
ルーシーが満面の笑みでこくん、と頷いた。
先程まで不満を露にしていたルーシーだったが、ひとしきり怒りをぶちまけ、僕とジャックが泥だらけであることに気づいてひとしきり笑い、ようやく機嫌を直してくれた。今の僕とジャックのやりとりも、ルーシーはニコニコと眺めていた。
「いこー!この海の先にぼうけんがまっている!」
おかしなテンションの彼女は、明後日の方向をビシッ!と指差す。
「……ジャック?」
僕の視線に、ジャックはふいっと視線を逸らした。
またか。
「怒らないから。何を読んであげたのさ」
ジャックは両人差し指をツンツン突き合わせながら答えた。
「髭のない赤ひげデス」
「また海賊赤ヒゲ……ん?髭がない?」
「若キ日ノ赤ひげヲ描イタ、外伝的作品デス」
「へえ……それにドはまりしちゃったのか」
「エエ。マダ夢ニ溢レテイタ頃ノ赤ひげガ主人公ナノデ、子ドモニ受ケ入レラレヤスイヨウデス」
「なるほどね」
ルーシーの赤ヒゲモードはともかくとして、彼女が機嫌を直してくれたのは非常に大きい。
太古の森エリアは広大だ。
ジェド達を捜すとなると、斥候役なしではキツい。
そこでルーシーの出番だ。
視点が高く壁抜けのできるルーシーなら、そこらの斥候役には負けない。
「ドコカラ捜シマス?」
「その前に……『ウォーターベール』!」
「ホヘッ?」
僕は水の幕を張り、ジャックの横に移動した。
そしてタイミングを見計らって、ジャックの腕を持って前へと突っ込む。
役目を終えた水の幕が、僕とジャックに勢いよく降り注いだ。
「ワブッ……」
「うえへっ」
大量の水を浴びた僕達は、お互いを見る。
「幾分マシかな」
「デスネ。マダチョット茶色イデスガ」
「ぷぷぷ。びしょびしょだね」
ルーシーが口元を両手で押さえて笑った。
「ルーシー、ジェドわかるかな?さっきまで一緒にいたんだけど」
「だれ?」
「男ノ人デス」
「んー、ちっちゃいほう?おっきいほう?」
どうやら十字架の中から覗いていたようだ。
「ちっちゃい方。彼を捜してくれるかな?」
「ん、いいよ!」
そう言って、ルーシーはまたも明後日の方向を指差した。
「ほをはれ!いかりをあげろ!しゅっこー!」
僕達がルーシーの指す方向を何となく見ていると、ルーシーがちっちゃな眉間に皺を寄せて振り向いた。
「……あいあいさー、でしょ?」
僕とジャックは顔を見合わせ、それから敬礼した。
「あいあいさー」「アイアイサー」
「声がちいさい!」
「あいあいさー!」「アイアイサー!」
「もっと!」
「あいあいさー!!」「アイアイサー!!」
「うるさーい!!」
「えー」「エー」
理不尽な船長の元、ジェド探しの航海が始まった。
まず僕達は上り階段へと向かい、ジェド達と別れた沼の前まで移動した。
ここで動かずにいてくれたら楽だったのだが、案の定姿はなかった。ジェドが指示を出しているなら、ここでじっと待つという選択肢は選ばないか。
次は通ったことのある、比較的安全なルートを探る。
だが、いくら捜しても姿はない。
途中、他の受験者と出会ったが、ジェド達は見ていないと言う。
「困ったな」
「ウーン」
「いないねえ」
僕とジャックとルーシーは、びしょびしょの地図を眺めた。まだ捜していない場所は結構ある。あるのだが……。
「残るはティレックスの出現地帯なんだよなあ」
僕は地図上の、赤く斜線を引いた場所を指でなぞった。
「ミタイデスネエ」
ジャックも乗り気ではない。
ティレックスとは亜竜の一種である。
その戦闘能力は高く、ベテラン冒険者でも極力避ける相手だ。
牛を丸飲みにできるほど大きく、その性格は獰猛。
翼はないが二足歩行で素早く動き、強靭な顎で鉄の鎧も噛み砕く。
加えて数もそこそこいて、それぞれの行動範囲がとても広い。実際、地図の赤い斜線部分は十階と十一階のそれぞれ半分ほどを占めている。
「……行ってみようか。対処法は聞いたことあるし」
ティレックスの対処法はシンプルだ。
相手は体が大きいので、狭い場所もしくは身を隠せる場所の近くを移動するというものだ。
幸い、太古の森はそういう場所に困らない。
「イザトナッタラ『みすと』シテ逃走デスカネ?」
「うーん。鼻が利くらしいし、どうだろう」
「……意外ト『みすと』ッテ出番ナイデスネ」
「うん……」
ティレックス出現地帯への侵入を決めた僕達は、襲われても平気なルーシーに先行してもらい、狭い通路を選びつつ探索を続けた。
前にも増して慎重に移動しているため、とても時間がかかる。ようやく十階の探索を終え、十一階のティレックス出現地帯を捜し始めてすぐのこと。
「はっけーん!おっきいほう!」
天井近くまで浮いてふよふよ先行するルーシー船長が、鼻息荒くビシッと前方を指差す。
「ほんと!?……おっきい方だけ?」
「んーと……おっきいほうがちっちゃいほうをおんぶしてる!」
「おんぶ?」
まさか負傷したのか?であれば、すぐに治療に向かう必要がある。彼らのパーティに回復役はいない。
「それでね、戦ってる!」
「エッ」
「何と戦ってるの?」
「おっきいほうより、ずーっとおっきいやつ!」
僕とジャックは顔を見合わせた。
ドシン、ドシンと大きな足音が響く。
僕達は茂みに身を隠し、足音の方を覗いた。
ハルヴァーは追い詰められていた。
天井を突き破って上の階にまで幹を伸ばす巨木を背後に背負い、その張り出した大きな根が左右を塞ぐ。
正面には牙を剥いたティレックス。
「グギャウゥゥ!」
ティレックスの口が迫ると、ハルヴァーは根と根の陰に隠れた。ティレックスは隙間に頭が入らず、苛立って暴れまわる。
そのハルヴァーの背中には確かにジェドの姿があった。おそらくジェドを背負ってでは逃げられないと判断し、巨木を盾に堪え忍んでいるのだろう。
「ド、ドウシマス!?」
「そりゃ助けるさ」
そう言いつつ自分の使える魔法から、この状況を打破できそうなものを探す。
『ファイヤーストーム』は周りの植物に引火したら不味いし、近づいて『フロート』は危険すぎる。
『ライトニング』で作る僅かな隙では逃げられないだろうし、あの体躯を『マッドハンド』では抑えられない。
『スターライト』で目潰しを狙うか?あるいは当てるのは難しそうだが『タイタンフィスト』で打ち上げるか?
そう、考えを巡らせていたとき。
「ひらめいた!」
そう言って、ルーシーが目を輝かせた。
ということは、僕にもあのイメージがくるのか!……と思って待つが、さっぱりイメージが浮かばない。
「閃いた、って作戦閃いたってこと?」
「んーん、魔法だよ!」
僕が首を捻っているとジャックが指摘した。
「肩車シテナイカラジャナイデスカ?」
「あ、そうか」
そうして肩車状態になるが、やっぱりイメージは浮かばない。
「あれえ?」
「もう!いいからノエルは『みすと』して!」
「ん?『ミスト』?」
「『みすと』ッテ鼻ガ利クカラ意味ナインジャアリマセンデシタ?」
「うん、そう」
「いいからはやくしてー!」
「わ、わかったよ」
僕の頭をポカポカやりだしたルーシーに、僕は『ミスト』を唱える準備に入った。またルーシーに拗ねられては堪らない。
『ミスト』を唱えよう、そう思っただけで僕の着る〈霧竜のローブ〉が反応する。ぼんやりと発光し、体がじわりと暖かくなる。
「……荘厳なる霧の女王よ。その御手をもって我が敵の目を白く染め上げ給え。『ミスト』」
僕の右手から発生した霧は、あっという間に辺り一面を濃い乳白色に染め上げる。隣にいるジャックさえ見えないほどの霧だ。
そして、その刹那。
「おおっ!?きたきた!」
待っていた砂時計のイメージが頭に浮かぶ。
砂時計が傾くと黒い砂がサラサラと早回しのように落ち始め、全ての砂が下に落ちると金色の光が放たれる。
合成するのは、すでに発動済みの『ミスト』と『ムーンライト』だ。
「いくよ、ルーシー!」
「ん!」
「「せーの!『イリュージョン』!!」」
その瞬間。
霧の色が抜け落ちてゆき、薄絹のような白さと光沢を帯びる。
戻った視界の中に、ハルヴァーとティレックスが揃ってキョロキョロ見回しているのが見てとれた。
何が起きたのか、周りを気にしているようだ。
そして……。
「ギュイイイ!グルルル……」
ハルヴァーと戦っていたティレックスが、威嚇の声を上げる。
その周囲には、新たに三体のティレックスが姿を現していた。三体は今にも襲いかからんばかりに牙を剥いたり、体を揺すったりしている。
「ギャウッ!」
囲まれたティレックスは、三対一では敵わないと判断し、一目散に逃げ出した。
そして逃げ出したティレックスの姿が見えなくなると、三体のティレックスはかき消されるように霧散した。
「アレハ……幻影デスカ?」
「げんえーです!」
幻影の意味もわかっていないだろうルーシーが、得意気に胸を張る。
「先に『ミスト』を唱えてから合成か。色んな合成魔法があるんだなあ」
僕達は茂みを出て、ハルヴァーとジェドの元に近づいていく。
僕達を見つけたハルヴァーは一瞬目を丸くして、それからホッと息をついた。
「ノエル殿。無事だったか……ジャック殿も」
ハルヴァーは、ジャックに対して深々と頭を下げた。ジャックは気にするな、というように手を横に振る。
僕はルーシーを簡単に紹介し、ハルヴァーの背中を覗きこんだ。
「ティレックスにやられたの?」
「あの亜竜はティレックスというのか……。いや、奴に驚いて飛び退いた反動で、転んで頭を打たれた」
僕はジェドの後頭部を探る。
「ん……ここか、こぶになってる。『ヒール』しておくね」
僕はジェドのこぶに『ヒール』しながら、辺りを見回した。デイジーとワンダの姿が見当たらない。どこかに隠れていると思っていたのだが。
まさか、はぐれたのか?
「残りの二人は?」
「……わからん」
それだけ言って、ハルヴァーは苦痛に満ちた表情を浮かべた。そのまさか、か。
「頭を打ってるからあまり動かしたくないけれど。あとの話はティレックスの出現地帯を抜けてからにしよう」
「ここは危険なのだな……わかった、任せる」
「ジャック、ジェドを……いいかな?」
「了解デス」
ジャックが腰のバックルを弄り、〈SH―01KO〉にジェドを乗せる。
五人となった僕達パーティは、安全に休める場所を求めて、来た道を急いで戻った。