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「……ガフッ。ロザ、リー?おっちょこちょいにも限度がある、よ?」
ヒューゴの腹に、カインさんの剣が深々とつき刺さった。それを見たロザリーが、気が動転したように後退る。
「本当ニどじデスネ、アノすけるとん……」
ジャックが何ともいえない表情で、ことの推移を見守る。
ロザリーは再びヒューゴに歩み寄り、彼の腹から生えた剣をもう一度掴んだ。
そして――思いっきり腹をかき回した。
「オブブッ、ガベッ?……ロ、ロザリィィィ!?」
血を吐きながら、目を見開くヒューゴ。
どうやらドジ故のうっかりミスではない。
ロザリーの意図した行動のようだ。
ヒューゴに敵対行動を取れるということは、ロザリーは従属の魔法により支配された使い魔ではない。
つまりは僕とジャックやルーシーとの関係と同じ……まあ、それはどうでもいいか。
僕はなけなしのやる気を振り絞り、声を出した。
「今だー、ジャックぅー」
「ハイッ?エッ?……ハイッ!!」
合図だと気づいたジャックは、頭蓋骨を大きく反らした。目標は、僕の膝の上にあるジゼルさんの後頭部。
慈悲の欠片もない一撃が、目標めがけて降り下ろされる。
「ふげっ!?」
踏み潰された蛙のような体勢になったジゼルさんは、後頭部を擦りながら体を起こした。
「何て石頭……石頭蓋骨だ。酷いよジャック君……いや、こうしてはいられないっ!」
一時的に自分を取り戻したジゼルさんは、手に持つ物のフタを開け、ルビー色の液体を一気に飲み干した。出発前に、ギルドマスターに渡されたマジックポーションだ。
「ふうっ!……ジャック君、ルーシーちゃんと共にコレを持ちたまえ!」
「何デス、これ……十字架?」
「そうだ!絶対に離すな!」
「ワ、ワカリマシタッ」
ジャックは十字架を受け取り、ぐったりしているルーシーの手に握らせて、その上から自分の手で覆った。
「よしっ……聖王の御名において、舞い降りよ黄金の楽団!理を外れ不死の檻に囚われし者に、健やかなる終焉を与えたまえ!『アンセム』!」
詠唱の終わりとともに、ぼんやりと夜空が明るくなる。まるで四方から夜明けが訪れたようだ。
見上げれば、そこには金色の光を帯びた、翼のある人々。
いや、人じゃない。
天使だ。
天使達は僕達をぐるりと取り囲むように上空に布陣し、一斉に歌い始めた。
きらびやかさと荘厳さを併せ持った天使の歌声が夜空に響き渡る。その歌声は光の波紋となって僕達を優しく包みこんだ。
光に包まれた魔女達は、次第にその顔に柔らかさを含み始める。やがて満足げな表情となった魔女の体は、ぽろぽろと光の欠片へと化していった。
ふと、僕の心が軽くなる。
背中を見れば、魔女の体が光の粒に変わるところだった。
「ジャック!ルーシー!」
首を回すと、すぐそこにジャックとルーシーの顔があった。
「二人は平気?」
「エエ。タブン、コノ十字架ノオ陰デス」
二人が握る十字架を見て、それからジゼルさんを見る。ジゼルさんは僕の視線に気づき、コクリと頷いた。
「おお、ロザリー!僕を置いて逝くな、ロザリー!」
見れば、ヒューゴが光の欠片をかき集めようと必死にもがいていた。
あの光の欠片はロザリーだったものの名残か。
「うおおおっ!!」
まだ十分に動けないであろうカインさんが、気合いの声とともに立ち上がった。
そうだ、まだ終わっていない!
「ぐっ、くそっ!」
ロザリーのドレスを手に、カインさんに対峙するヒューゴ。
そのヒューゴに魔力の高まりを感じた僕は、即座に発動できる魔法を唱えた。
「雷よ、走れ!『ライトニング』!」
重傷を負ったヒューゴは反応が鈍い。
雷は地を這い、奴を捉えた。
「あぎっ!?」
僕とヒューゴではレベルが違う。
僕の『ライトニング』では、たいしたダメージにはならない。
少しの間、感電により痺れさせる程度だろう。
だが、今はそれで十分だ。
カインさんは僕の作った僅かな時間でヒューゴの元へ辿り着き、腹から生えた愛用の剣を握った。
そして朗々と詠唱する。
「我、燃え盛る洞門を潜りて、昂然たる火山の主に申し上げる。その慈悲なき吐息を我が剣に宿し給え。『レーヴァテイン』」
「うがぁぁっ!!」
臓腑を灼熱に焼かれ、苦悶の表情を浮かべるヒューゴ。
ほどなく炎が全身に回り、カインさんはゆっくりと剣を引き抜いた。
そして横薙ぎにひと太刀。
ヒューゴの体は燃えながら二つに分かれ、それぞれが地に転がった。
カインさんはしばしヒューゴの亡骸を見つめ、それから汚れを払うように剣を振った。
「皆、無事か!?」
そう言って歩いてくるカインさんこそ顔色が悪い。
「無事です……ジャックも無事。ルーシー、大丈夫?」
「……もう、あんなの、やー」
「ごめん、辛かったね。十字架の中で休む?」
ルーシーは力なく頷くと、十字架の中へ消えていった。
「痛う……酷い目にあった」
ジゼルさんが地面に座り、後頭部を擦る。
最大のダメージは、ジャックの頭突きによるものらしい。
「ノエル、『テレポート』は使えるな?」
近くまで来たカインさんが、地面にドスンと腰を下ろし、聞いてきた。
「魔力はありますが……どこへ?」
「どこってわけじゃあないがな。ドラゴンゾンビがいつここへ来てもおかしくないだろう?」
「そっか、進行ルートにいるんだった。退避のためですね」
「そういうことだ。もう余力がないからな……ああ、しんどい」
そのまま地面に横になるカインさん。
「テオドール達はどうなってるのだろうな?」
ジゼルさんの問いに、寝転んだままカインさんが答える。
「助けに行くか?」
「……いや。私も魔力切れだ。満足に動けない」
「ふっ、そうか……まあ、大元のネクロマンサーを倒したのだからドラゴンゾンビも消えてるかもしれんし……しれんよな、ノエル?」
「可能性はありますね。期待薄ですが」
「期待するのはタダだ。期待しとこうぜ……そういえば、あの魔女達を倒したのはジゼルの魔法か?」
その言葉に、僕は先程の『アンセム』を思い出した。
「ええ、凄かったですよ!天使とか初めて見ました!」
「何っ、天使!?見たい!ジゼル、呼べ!」
「あまりふざけたことを言ってると、神罰が下るぞ?」
ジゼルさんがじろりと睨むと、カインさんは口惜しそうに足をジタバタさせた。
そんな中、ジャックがふと疑問を口にした。
「アノろざりーッテすけるとん、何ダッタノデショウ?」
ジャックの問いは、僕達全員が疑問に思っていたことだ。
「……おそらく、従属の魔法がかかっていなかったのだろう。かかっていたら、逆らえないハズだ」
「たぶん、僕とジャックの関係に近いんじゃないかな。妻だって言ってたし。まあ、ほんとに妻かはわからないけど」
カインさんと僕の言葉に、ジャックはフンフンと頷く。そして新たな問いを口にした。
「デハ、何故ヒューゴヲ刺シタノデショウ?」
「それは……」
「ううむ……」
答えに窮する僕とカインさん。
しかし、ジゼルさんが口を開いた。
「終わらせたかったのではないかな?」
「終ワラセル?」
「スケルトンとしての自分の生を、だ。女性であれば、自分の体が骨と化した事実は耐え難いものだろう。私だったら耐えられない。自分をその姿にしたヒューゴへ復讐心さえ持つだろうな」
「……ナルホド」
そう言って、自分の骨の体を見るジャック。
ジゼルさんは慌ててジャックに詫びた。
「すまん、ジャック君。配慮が足りなかった」
「イエ、気ニシテナイデスヨ。ろざりーノ心境ヲ想像シテイタダケデス」
「そうか。なら、いいんだが」
僕はジャックがこんな質問をする理由を、なんとなく察した。
スケルトンには生前の記憶がない。
だが、ジャックの目にはロザリーが記憶を取り戻しているように見えたのではないだろうか。
復讐に燃える夫を妻が止めた光景に、ジャックはそう感じたのだろう。
……今となっては、その真偽はわからないが。
「おーい!」
遥か上空から呼ぶ声が聞こえた。
見上げれば、ヒッポグリフに騎乗する騎士が頭上を飛んでいた。
「無事だったか、テオドール!」
「はい!ジゼル様、あちらを!」
上空から指し示された方角を僕達は一斉に見た。
そこには土煙を上げつつ、走ってくる一台の馬車。
そして御者台に座るエレノアさんの姿があった。