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「謂れ無き罪を背負い、限り無き苦痛を味わった魔女達よ!復讐の夜は来たれり!真に悪しき者共に、魔女が与える鉄槌を!『ヴァルプルギスナイト』!」
ヒューゴのかざした両手の前に、魔法陣が出現する。
その魔法陣から妖しく光る火の玉が、まるで花火が上がるようにヒュン、ヒュンッと幾つも夜空に向かって飛んでいく。
「何だ!?」
カインさんが上空を見回す。
夜空を飛び回る火の玉が、一つ一つ魔女の形を成していく。その魔女の姿は、どれもこれも尋常ならざるものだった。
四肢を切断された魔女。
車輪に括られた魔女。
首に縄をかけられた魔女。
水死体のようにパンパンに膨らんだ魔女。
首だけで飛び回っている魔女もいた。
「コレハ……ごーすと?」
ジャックが誰に言うでもなく呟くと、ジゼルさんが青ざめた顔で否定した。
「いや。もっと悪いものだ」
魔女達がゲラゲラと下品な笑い声を上げる。時折交じる金切り声も相まって、不快極まりない。
聞いているだけで憂鬱な気分になってくる。
飛び回る魔女の一体が、上空からカインさんを指差した。すると周りの魔女も呼応して、一斉にカインさんを指差す。
「チッ、不味いな」
カインさんは剣に再び炎を纏わせ、構えた。
魔女達はカインさんの間合いの外をぐるぐると飛び回り、ゲラゲラ笑っている。
カインさんは魔女がいつ飛びかかってくるかと、体の向きを細かく変えながら警戒していた。
だが。
何故か、カインさんは体の向きを変えなくなった。
やがて警戒さえ止め、棒立ちになる。
ついにはその手から剣を落とし、崩れ落ちてしまった。
「むっ、いかん!」
ジゼルさんがカインさんの元へ駆け出す。
「ジゼルさん、後ろ!」
ジゼルさんの背後から二体の魔女が忍び寄り、彼女の肩に寄り添うようにくっついた。
すぐにジゼルさんは足を止め、頭を抱える。
そしてゆっくりと振り返ったその表情に、僕は驚愕した。
ジゼルさんの顔は右半分が号泣し、左半分が苦痛に歪んでいた。
その焦点は定まらず、体は脱力している。
ジゼルさんはその状態のまま、こちらへフラフラと歩いてきた。
「ノエルくン……助ケて、くれ」
「ッ!はいっ!」
我に返った僕は、すぐさまジゼルさんに駆け寄ろうと一歩踏み出す。
が、僕の袖を何かが引っ張った。
ルーシーか?
そう思って振り向くと、僕と同い年くらいの魔女が僕の顔をじいっと見つめていた。
「私……何か悪いこト……シタカナァ?」
掠れるような声で呟くとともに、その寂しそうな顔が次第に焼けただれていく。
「シテナイヨネエェェェ!?ゲラゲラゲラゲラ!!」
雨粒があっという間に地面を濡らすように、僕の心をどす黒い何かが染め上げていく。
耐え難い苦しみに、僕は膝から崩れ落ちた。
いつのまにか僕の側まで来ていたジゼルさんが、意思のない目で僕を見下ろしている。
やがて彼女も膝から崩れ、僕に重なるように倒れた。
辛い。苦しい。
でもそれを言葉に出す気力さえ湧かない。
混濁する意識の中、自分に重なるジ■■さんを見る。
ああ……彼女だけでも助けなきゃ……。
……でも。
この人誰だっけ?
もう、どうでもいいか。
「のえるサン!のえるサンッ!!」
誰かが僕を呼ぶ。
「シッカリシテクダサイッ!!」
誰かが僕を激しく揺らす。
鬱陶しいそいつの顔を見てみれば、なんと骸骨じゃないか。
死神か?
ああ、前にも死神に会ったことがあるような……。
どうでもいいか。
「シッカリ!のえるサン!」
そう言いながら、この骸骨は僕の頬をバシンバシン叩いてくる。
本当に鬱陶しいな、この骸骨。
ノエルって誰だよ?
「仕方ナイ!許シテクダサイネッ!?」
よくわからないことを言った骸骨は、頭蓋骨を後ろに大きく反らし、そのまま僕の顔面にぶつけてきた。
「あっ?痛うう!!……ふざけるなよ?ジャック!」
僕は強打した鼻を押さえた。
手を見てみれば、血が出ている。
「のえるサン!ワカリマスカ!?」
「何が!?」
「私ノ名ハ!?」
「ジャックだろ!」
「デハ、アナタノ名ハ!?」
「……ノエル。うん……そうか」
僕は周りを見渡した。
離れた場所で、多数の魔女に囲まれ地に倒れるカインさん。僕は魔女一体で正気を失ったのに、あの数は不味い。
僕の膝の上には、ブルブル震えるジゼルさん。
その背中には魔女が二体。
ヒューゴを見れば、魔方陣を維持しつつ満面の笑みだ。
僕がどうにかしなければならない状況……だが、思考能力を取り戻した今でも、心は暗く落ちたままだ。
原因は……僕にピタリと寄り添い、気味の悪い笑顔を浮かべる魔女。
正面には、地に膝を突いて僕の顔を心配そうに見つめるジャック。彼は大丈夫なようだ。アンデッドだからか。
では、ルーシーも?
首を回すと、僕の肩に頬を預けてグッタリとしたルーシーが見えた。
……そうか、彼女と僕は意識の底で繋がっている。
精神的な影響も伝播してしまうのか。
いや、二人で負担を分け合ってるから、僕がこうして考えを巡らせることができるのかもしれない。
「私ニハ、コノ魔女ヲ倒ス手段ガアリマセン!のえるサン、頑張ッテ魔法デ……」
「……無理だ。魔力を練れない」
頭は働いても、集中ができない。
というか、魔法を使おうという気さえ起きない。
集中できないのでターンアンデッドも無理だ。
そして。
何もかも、どうでもよくなってきた。
また心を毒されつつあるのか?……ジャックにもう一度頭突きを頼むか?
それは嫌だな……痛かったし。
もう、なるようになるか……。
「チョット、のえるサン!?マタ目ガオカシクナッテマスヨ!?」
「……もう、どうでもよくない?」
「何ヲ言ッテ!?……仕方ナイ、モウ一発……」
そう言って、ジャックが頭蓋骨を振りかぶったとき。
僕のカバンを誰かがまさぐった。
「ん……ジゼルさん……何してるの?」
ジゼルさんは僕の膝の上で脱力したまま、右手だけが僕のカバンの中で動いていた。
「ああ。そうか……わかったよ……ジゼルさん……」
僕はカバンに手をやり、ジゼルさんの右手に彼女が求めている物を握らせた。
「でも……
僕は正気と自暴自棄の狭間で、ジゼルさんに問う。
彼女は聞こえてはいるのか、
「クッ、私ガ奴ヲ殺ルシカナイノカ」
ジャックが剣を手にヒューゴをにらむ。
「止めとけ……ジャック……無駄だから……」
「ソンナ無気力ナ顔デ言ワレマシテモ!」
「相手は……アンデッドの……専門家だから……従属……させられるかも」
「ソウカ、ソノ可能性ガ」
「それより……合図したら……頭突きして?」
「オオ、マダヤル気ガアリマシタカ!」
「僕じゃなくて……ジゼルさんに……」
「他人任セデスカ!」
憤慨するジャックの向こうから、高笑いする声が響いた。ヒューゴだ。
「レイロアを潰す前祝いに冒険者とアシュフォルド教徒を殺せる……ああ、いい夜だ。実にいい夜だ!」
ひとしきり笑ったあと、ヒューゴはこちらを眺めた。
「ふうむ、スケルトンは無理か。しかし、人間は抵抗できまい?聖者にも耐えられぬ精神攻撃だからな」
そして顎を擦り擦り、思案する。
「さあて、どうやって殺してやろうか、冒険者ども。ボーンゴーレムで踏み潰すか?……いやいや、それではアンデッドとして再利用しにくい。形が残るように殺すべきだ……ふむ」
そのとき、ずっとヒューゴの後ろにいたロザリーが、トトトッと小走りで動いた。
「おう?うえっ!?ど、どうしたんだい、ロザリー!?」
ヒューゴにも予想外の動きだったのか、間抜けな声を漏らした。
しかし当のロザリーはヒューゴの問いかけに反応せず、カインさんのすぐ側まで走っていった。
そして拾い上げたのは不思議な色彩の刃を持つ剣。
カインさんの〈精霊銀の剣〉だ。
「……なるほど。なるほどなるほど!さすがはロザリー!さすがは我が妻だ!」
ロザリーは大事そうに剣を両手で抱え、ヒューゴの元へ小走りで戻っていく。
「冒険者が自分の剣で殺される……素晴らしい死に様だ!最高だよ、ロザリー!」
トテトテと走ってきたロザリーを、両手を広げて迎えるヒューゴ。
ロザリーはその胸へ飛び込んでいった。
刃を向けて。