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《死は唐突に、思いがけずやって来る》
まさにその通りだなあ、などと状況に合わないことを考えながら、鈍色の光をぼんやりと眺めていた。
ふと思いつき、駄目元で魔法を唱える。
「『ウォーターベール』!」
目の前に水の幕が降りる。
僕の唯一の防御魔法であり、何度もピンチから救ってくれた魔法だ。だがドラゴンゾンビのブレスに対し、なんと頼りないことか。
僕は自分の死を覚悟し、ぎゅっと目をつむった。
そのとき。
暗闇の中、相棒の上げた大声が僕の耳に届いた。
「コッチダ!ウスノロッ!!」
ハッ、と目を開く。
僕の目に、オレンジ色に発光するジャックが映る。
その怪しげな光に、真っ直ぐ僕を捉えていたドラゴンゾンビの頭がぐりんと回った。
発光するジャックは、盾を構え腰を落とす。
盾の後ろからドラゴンゾンビを見据えるその顔は、震えているようにも見えた。
膨らみ続ける鈍い光はやがて臨界点を越え、ジャックに向けて放たれる。
慈悲の欠片もない光の帯は、ジャックを飲み込まんと一直線に彼に迫った。
「だめだ!ジャァァック!!」
僕の叫びも虚しく、ジャックは鈍い光の中に溶けていった――
――光が止み、視界が戻る。
「ジャック……ジャック……」
変わってしまったジャックの姿に、僕は言葉が出なかった。
足が重い。
早く確認しなきゃいけないのに、近づきたくない。
「ノエルー、ジャックだいじょうぶ?」
上空からふよふよとルーシーが降りてきた。
「うん、うん」
ルーシーの頭を撫で一歩、また、一歩。
やっとのことでジャックの前までやって来た。
ジャックは真っ黒だった。
立ち姿のまま固まって、動かない。
炭化しているようにも見えた。
目の前まで来たはいいが、どうしていいのかわからない。触れば崩れてしまいそうな相棒の姿に、視界が滲む。
「ノエルー、はやくジャックなおそう?」
ジャックの様子がおかしいことに気づいたルーシーの、悪気ない要求が胸に刺さる。
僕は意を決し、ジャックに触れた。
すると触った場所からポロポロと、黒い破片が崩れていく。
「ああっ……」
一度崩れ始めると触らずとも崩れていき、僕は堪らず顔を伏せた。
「ノエル、ないてるの?」
ルーシーの問いかけに答えられなかった。
ジャックの足下に積み重なる黒い破片を、ただ、ただ、眺めていた。
「ジャックー、ノエルなかしちゃ、めー!だよ?」
「うぐっ」
ルーシーの無邪気な言葉につい、嗚咽が漏れる。
だが。
「エッ?泣イテイルノデスカ、のえるサン?」
その声に、ハッとジャックを見る。
ジャックもまた、僕を見つめていた。
まるでゆで卵を剥くように、黒い破片の下から白骨姿のジャックが現れていた。
「なっ、えっ?はっ!?……どう、して?」
「挑発シテめたりっくもーどデスヨ。微妙ニ間ニ合ワズ、薄皮一枚ヤラレマシタガ」
「皮ない、だろう?グズッ、言うなら骨一枚……それも変……はぁ、もういいや」
鼻をすすってから、ジャックをもう一度見る。
「よかった、無事で」
「エエ、死ヌカト思イマシタガネ」
「そのボケ、もううんざりだよジャック」
「うんざりー」
そうして三人で笑いあっていると、何か遠くから叫び声が聞こえた。
見れば、【天駆ける剣】の面々がこちらに手を振りながら走ってきている。
「おーい!こっち、こっちー!」
「ポーリさん!ジャックは無事でしたー!」
「ゴ心配オカケシマシター!」
「バッカ野郎!前だ、前っ!」
「「「えっ?」」」
ポーリさんの言葉に、三人同時に振り向くと。
巨大な要塞のような影がすぐそこにあった。
ところどころ腐り落ち、骨が覗く腐竜の頭が、こちらをじいっと見つめている。
「アワワワワッ!?」
「忘れてたっ!」
「ふえっ、こわいおかおー」
僕達の声を合図に、奴の頭が迫る。
僕達を丸飲みにせんと、その巨大な口を開いて。
だが、その刹那。
あるイメージが頭に浮かぶ。
砂時計が傾くと、黒い砂がサラサラと早回しのように落ち始めた。全ての砂が下に落ちると、金色の光が放たれる。
「っ!ルーシー!」
「ん!」
合成する魔法は『フロート』と『マッドハンド』。
「「地脈の奥深きに眠る太古の巨人よ!大地に仇なす者共に、汝の拳を突き上げよ!『タイタンフィスト』!!」」
奴の顔の下に大きな魔方陣が現れ、そこから巨大な拳が天に向かって突き上げられる。
顎を下から打ち抜かれ、ドラゴンゾンビは首を大きく仰け反らせる。
そのままぐらりと傾き、無様な体勢で膝をついた。
瞬間、二つの人影が僕達の前に出る。
ポーリさんとカミュさんだ。
「――『サンダーボルト』っ!」
「――『ホーリーレイ』!」
ドラゴンゾンビへ向けて、雷と裁きの光が空から降り注ぐ。
「グゥヴォォォ……」
追撃を受け、苦しげに呻くドラゴンゾンビ。
「無事かっ!?」
振り返るとヴァーツラフさんがいた。
「はい、無事です。すいませ……」
「話は後だ。ジャック、抱えるぞ」
「エッ?ホヘッ!?」
見ると、カインさんがカバンでも抱えるようにジャックを脇に抱えていた。
それを見ていた僕の視点がぐうんと高くなる。
「うわわ……」
「坊主、動くなよ」
僕はヴァーツラフさんの肩に担がれていた。
「さあ、今度こそ撤退だ」
そう言ってカインさんは、ポーリさんとカミュさんに向けて口笛を短く三回吹いた。
「あの状況で気を抜く奴があるかっ!」
「うう、すいません」
「面目ナイ……」
「ごめんなさーい」
僕達三人は、珍しく怒りを露にするポーリさんの前で、揃って地面に正座していた。
「ったく……まあ、無事でよかった」
そうしてポーリさんはふうっ、と息を吐いた。
あの後、ドラゴンゾンビは何事もなかったかのように起き上がった。
そのときには僕達が魔法で与えたダメージは既になく。僕達の存在自体を忘れたかのように、再び東へ向けて歩き出していった。
その巨大な後ろ姿は今もまだ、はっきりと見える。
「ムカつくぜ。俺達のことなんて気にもしないか」
ヴァーツラフさんが吐き捨てるように言う。
「奴にとっては蝿を払った程度のことなのでしょう」
カミュさんの丁寧な言葉遣いの中にも、腹立たしさが窺えた。
「だが、これでハッキリした。桁外れのタフネスに強力なブレスまで吐く……奴は【まことの竜】のゾンビだ。俺達だけでは手に負えない。レイロアへ戻るぞ」
カインさんの言葉に、全員がこくりと頷いた。