<< 前へ次へ >>  更新
135/207

133

 《死は唐突に、思いがけずやって来る》

 まさにその通りだなあ、などと状況に合わないことを考えながら、鈍色の光をぼんやりと眺めていた。

 ふと思いつき、駄目元で魔法を唱える。


「『ウォーターベール』!」


 目の前に水の幕が降りる。

 僕の唯一の防御魔法であり、何度もピンチから救ってくれた魔法だ。だがドラゴンゾンビのブレスに対し、なんと頼りないことか。

 僕は自分の死を覚悟し、ぎゅっと目をつむった。

 そのとき。

 暗闇の中、相棒の上げた大声が僕の耳に届いた。


「コッチダ!ウスノロッ!!」


 ハッ、と目を開く。

 僕の目に、オレンジ色に発光するジャックが映る。

 その怪しげな光に、真っ直ぐ僕を捉えていたドラゴンゾンビの頭がぐりんと回った。

 発光するジャックは、盾を構え腰を落とす。

 盾の後ろからドラゴンゾンビを見据えるその顔は、震えているようにも見えた。

 膨らみ続ける鈍い光はやがて臨界点を越え、ジャックに向けて放たれる。

 慈悲の欠片もない光の帯は、ジャックを飲み込まんと一直線に彼に迫った。


「だめだ!ジャァァック!!」


 僕の叫びも虚しく、ジャックは鈍い光の中に溶けていった――


 ――光が止み、視界が戻る。


「ジャック……ジャック……」


 変わってしまったジャックの姿に、僕は言葉が出なかった。

 足が重い。

 早く確認しなきゃいけないのに、近づきたくない。


「ノエルー、ジャックだいじょうぶ?」


 上空からふよふよとルーシーが降りてきた。


「うん、うん」


 ルーシーの頭を撫で一歩、また、一歩。

 やっとのことでジャックの前までやって来た。

 ジャックは真っ黒だった。

 立ち姿のまま固まって、動かない。

 炭化しているようにも見えた。

 目の前まで来たはいいが、どうしていいのかわからない。触れば崩れてしまいそうな相棒の姿に、視界が滲む。


「ノエルー、はやくジャックなおそう?」


 ジャックの様子がおかしいことに気づいたルーシーの、悪気ない要求が胸に刺さる。

 僕は意を決し、ジャックに触れた。

 すると触った場所からポロポロと、黒い破片が崩れていく。


「ああっ……」


 一度崩れ始めると触らずとも崩れていき、僕は堪らず顔を伏せた。


「ノエル、ないてるの?」


 ルーシーの問いかけに答えられなかった。

 ジャックの足下に積み重なる黒い破片を、ただ、ただ、眺めていた。


「ジャックー、ノエルなかしちゃ、めー!だよ?」

「うぐっ」


 ルーシーの無邪気な言葉につい、嗚咽が漏れる。

 だが。


「エッ?泣イテイルノデスカ、のえるサン?」


 その声に、ハッとジャックを見る。

 ジャックもまた、僕を見つめていた。

 まるでゆで卵を剥くように、黒い破片の下から白骨姿のジャックが現れていた。


「なっ、えっ?はっ!?……どう、して?」

「挑発シテめたりっくもーどデスヨ。微妙ニ間ニ合ワズ、薄皮一枚ヤラレマシタガ」

「皮ない、だろう?グズッ、言うなら骨一枚……それも変……はぁ、もういいや」


 鼻をすすってから、ジャックをもう一度見る。


「よかった、無事で」

「エエ、死ヌカト思イマシタガネ」

「そのボケ、もううんざりだよジャック」

「うんざりー」


 そうして三人で笑いあっていると、何か遠くから叫び声が聞こえた。

 見れば、【天駆ける剣】の面々がこちらに手を振りながら走ってきている。


「おーい!こっち、こっちー!」

「ポーリさん!ジャックは無事でしたー!」

「ゴ心配オカケシマシター!」

「バッカ野郎!前だ、前っ!」

「「「えっ?」」」


 ポーリさんの言葉に、三人同時に振り向くと。

 巨大な要塞のような影がすぐそこにあった。

 ところどころ腐り落ち、骨が覗く腐竜の頭が、こちらをじいっと見つめている。


「アワワワワッ!?」

「忘れてたっ!」

「ふえっ、こわいおかおー」


 僕達の声を合図に、奴の頭が迫る。

 僕達を丸飲みにせんと、その巨大な口を開いて。

 だが、その刹那。

 あるイメージが頭に浮かぶ。

 あの(・・)古めかしい砂時計だ。

 砂時計が傾くと、黒い砂がサラサラと早回しのように落ち始めた。全ての砂が下に落ちると、金色の光が放たれる。


「っ!ルーシー!」

「ん!」


 合成する魔法は『フロート』と『マッドハンド』。


「「地脈の奥深きに眠る太古の巨人よ!大地に仇なす者共に、汝の拳を突き上げよ!『タイタンフィスト』!!」」


 奴の顔の下に大きな魔方陣が現れ、そこから巨大な拳が天に向かって突き上げられる。

 顎を下から打ち抜かれ、ドラゴンゾンビは首を大きく仰け反らせる。

 そのままぐらりと傾き、無様な体勢で膝をついた。

 瞬間、二つの人影が僕達の前に出る。

 ポーリさんとカミュさんだ。


「――『サンダーボルト』っ!」

「――『ホーリーレイ』!」


 ドラゴンゾンビへ向けて、雷と裁きの光が空から降り注ぐ。


「グゥヴォォォ……」


 追撃を受け、苦しげに呻くドラゴンゾンビ。


「無事かっ!?」


 振り返るとヴァーツラフさんがいた。


「はい、無事です。すいませ……」

「話は後だ。ジャック、抱えるぞ」

「エッ?ホヘッ!?」


 見ると、カインさんがカバンでも抱えるようにジャックを脇に抱えていた。

 それを見ていた僕の視点がぐうんと高くなる。


「うわわ……」

「坊主、動くなよ」


 僕はヴァーツラフさんの肩に担がれていた。


「さあ、今度こそ撤退だ」


 そう言ってカインさんは、ポーリさんとカミュさんに向けて口笛を短く三回吹いた。



「あの状況で気を抜く奴があるかっ!」

「うう、すいません」

「面目ナイ……」

「ごめんなさーい」


 僕達三人は、珍しく怒りを露にするポーリさんの前で、揃って地面に正座していた。


「ったく……まあ、無事でよかった」


 そうしてポーリさんはふうっ、と息を吐いた。

 あの後、ドラゴンゾンビは何事もなかったかのように起き上がった。

 そのときには僕達が魔法で与えたダメージは既になく。僕達の存在自体を忘れたかのように、再び東へ向けて歩き出していった。

 その巨大な後ろ姿は今もまだ、はっきりと見える。


「ムカつくぜ。俺達のことなんて気にもしないか」


 ヴァーツラフさんが吐き捨てるように言う。


「奴にとっては蝿を払った程度のことなのでしょう」


 カミュさんの丁寧な言葉遣いの中にも、腹立たしさが窺えた。


「だが、これでハッキリした。桁外れのタフネスに強力なブレスまで吐く……奴は【まことの竜】のゾンビだ。俺達だけでは手に負えない。レイロアへ戻るぞ」


 カインさんの言葉に、全員がこくりと頷いた。


<< 前へ次へ >>目次  更新