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 溶けた銀に墨を落としたようなその光が、奴の口の中で次第に膨れ上がっていく。


「全員、散れっ!!」


 カインさんが張り上げたその声に、皆が散り散りに走り出す。

 竜に限らず、ブレス攻撃には二種類ある。

 射程が短く薙ぎ払うように放射状に放たれるものと、射程が長く目標に向かって直線的に放たれるものだ。

 カインさんの指示は極めて正しい。

 放射ブレスの射程から一目散に逃れ、散開することで直線ブレスに複数名が巻き込まれるリスクを減らす。

 こうして逃げればブレスの被害を最小限に食い止めることができる。

 ……もちろん、運の悪い者が直線ブレスの餌食となるのは変わらないのだが。

 そして運の悪い者――竜が口を向けたのは。


「僕かあ……」


 悪態の一つでもついてやりたいが、言葉が続かない。

 足はすくみ、体は強ばる。

 でも頭の中は妙に冷静で、直前に言われた冒険者格言が次々に思い出された。

 特にポーリさんに言われた格言。

 《死は唐突に、思いがけずやって来る》

 まさにその通りだなあ、などと状況に合わないことを考えながら、鈍色の光をぼんやりと眺めた。


 ――ジャックの家出騒動も一段落し、我が家に日常が戻って数日が経ったある日。

 僕はジャックと共にギルドを訪れた。

 いつものように依頼を探しに来たわけじゃない。

 ギルドに呼び出されたのだ。

 用件がわからず少しだけ不安を感じながら受付カウンターへ向かうと、僕達を見つけたマギーさんがスッと立ち上がった。


「来たわね、ノエル君、ジャック君」

「どうも、マギーさん」

「コンニチハ」

「ごめんね、ちょっと急ぎなの。ついてきてくれる?」


 そう言うと、マギーさんは二階への階段を上っていく。

 二階はギルドマスターの部屋、通称ギルマス部屋くらいしか入ったことがない。いったい用件は何なのだろうか?

 そんなふうに考えながらついていくと、案の定、ギルマス部屋の前でマギーさんは立ち止まった。


「移動だけで不安があるだろう!?それではパーティリーダーとして受けられんと言っている!」

「だから、足はこちらで用意すると言ってる!」

「足だと?馬車があればどうにかなる場所か!?」


 扉の向こうから、強い口調で言い争う声が聞こえる。……中に入りたくないな。

 そんな僕のささやかな望みは、マギーさんが扉をノックしたことで消え去った。


「マギーです。ノエル君をお連れしました」

「ああ、待っていたぞ。入れ」


 中から聞こえたギルマスの声に、マギーさんは扉を開けた。

 部屋にいたのは六人。

 一人はギルマスことアラン=シェリンガム。

 一人は初めて見る、艶かしい格好の女性。

 残りは前に見たことのある、揃って全身鎧を着た四人組。特にその中の一人はよく知る人物だった。


「のえるサン、彼ラハ……」

「うん」


 ジャックの囁きに一つ頷いた。

 マギーさんに勧められたソファに腰かける。

 ジャックは僕の後ろに立ち、後ろ手に組んだ。


「紹介しよう。彼は司祭のノエル。今回の()だ。転移魔法、『テレポート』が使える」


 ギルマスの言葉に四人組がざわつく。


「フカシこいてんじゃねえぞ、ギルマスさんよ!?『テレポート』使える奴なんざ、今まで会ったことねえぞ!」


 四人組でとりわけ体格の大きい髭面の男が、テーブルに拳を落とした。人数分置かれていたティーカップが、音を立てて揺れる。


「私も使える人間を知りません。『テレポート』は都市伝説の類いだとばかり思っていましたが?」


 四人組の中で最も知的な印象を受ける、きっちり髪を整えた眼鏡の男も疑心を隠さない。


「あー、ちょっと待ってくれ。俺はこいつと何度か冒険したことがある。つまらん嘘をつく奴じゃあ、ない」


 頭を掻きながら取り成すのは、四人組の中で唯一よく知る人物。

 魔法戦士のポーリさんだ。


「司祭君。『テレポート』を使えるってのは本当か?」

「ええ。使えますよ」

「骨の旦那、間違いないか?」

「ハイ。先日モわなかーんカラ転移デ帰ッテキタバカリデス」

「そうか……カイン、本当だと思う」


 四人組で一人黙りこみ、僕を鋭い視線で見つめていた男は微かに頷いた。


「ああ、わかった」

「受けてくれるか」


 ホッとした顔のギルマス。

 だが、カインさんは首を横に振った。


「わかったのは彼が『テレポート』を使えるということだ。依頼については了承していない」

「……何が納得いかない?」

「全てだ!西方へ行けというのも!その理由が占いの結果だというのも!」


 カインさんの発言に残りの三人も深く頷いた。

 だが、途中から聞いている僕にはよくわからない。


「……ポーリさん、ポーリさん」


 小さな声でポーリさんを呼ぶ。


「なんだ?」


 ポーリさんが僕に顔を寄せる。


「いったい、どんな依頼なんですか?」


「聞いた通りさ。俺達【天駆ける剣】に直接依頼が来た。依頼内容は、西方からレイロアへ何かよからぬものが来るから、それを調べろ。その根拠があの女の占いなんだとよ」

「占い……」


 僕は妖しい魅力を放つ女性に目を移した。

 頭の先から足元まですっぽりと紫色のショールで覆っている。ショールは薄絹で、下着姿同然の肢体が透けて見える。透けていないのは、濃い色のフェイスベールで隠した口元だけだ。

 露出はヴィヴィのビキニアーマーの方が上なのだが、艶っぽさは完全にこちらが上だ。


「どうやらギルマスさんは、その女に骨抜きにされたらしい!」


【天駆ける剣】の体格のいい男が、鼻息荒く大声で腐す。

 だが、ギルマスは冷静に応じた。


「あまり礼を失する態度をとるな。彼女は俺と同じSランク。そして、ヴァーノニア冒険者ギルドのマスターでもある」

「なにっ!」

「ほう」

「それこそフカシだろ!?」

「……」


【天駆ける剣】の面々が、四者四様の反応を見せる。

 すると一点を見つめていた女性が、ゆっくりと僕達を見回した。


「妾はナスターシャ。紹介の通り、ヴァーノニアのギルドマスターである。今回の話は、妾が予知夢を見たことに始まる」

「予知夢!?」

「ナスターシャ殿の予知夢はほぼ(・・)当たる」


 ギルマスの発言に、ポーリさんが口を挟む。


「ほぼって……そりゃあ外すときもあるってことじゃないか」

「問題に対処すれば外れる。つまり、問題自体は必ず起こると捉えてもらっていい」

「ふうん」


 カインさんが口調とは裏腹に、真剣な目をナスターシャさんに向けた。


「どんな夢だ?」

「……泉より出でた厄災が、レイロアを滅ぼす夢」

「厄災……泉?」

「予知夢を見てより繰り返し占ってきた。その度に厄災は西方から訪れる、と出る」

「ふうん」


 またも気のない返事をしながらも、カインさんの瞳がグルグル回る。物凄い早さで何かを考えているようだ。


「〈始まりの泉〉……【腐り王】か?」

「……わからぬ。じゃが、妾が幼き頃に見た【腐り王】の夢とは少々違う」


 二十年前の【腐り王】の侵攻も予知したのか。


「どう違う?」

「あのときの予知夢では、レイロアは腐り落ちていた。今回は真っ黒な灰のようになっていた。廃墟と化すのは変わらぬが」

「そうか。では【腐り王】が復活するわけではない、と?」

「……断言はできぬ」

「おいおい、そこは断言してくれよ」


 カインさんの冗談めかした言い方に、ナスターシャさんは頭を垂れた。


「相済まぬ。妾にわかるのはここまでじゃ」


 ギルマスが一つ咳払いをして、皆の視線を集める。


「勘違いしないでくれ。お前達に頼みたいのは、あくまで厄災の正体の見極めだ」

「……それだけか?」


 組んだ指を遊ばせながらカインさんが尋ねる。


「ああ、それだけだ。厄災が【腐り王】であってもそうでなくとも、戦う必要はない。だがこの件は、そこらの使い走りには頼めない。レイロア冒険者ギルドが誇るトップパーティ、【天駆ける剣】の目で見極めて欲しい」


 カインさんはしばし考え、それから立ち上がった。


「人を乗せるのが上手くなったな、ギルマス」


 そう言って笑顔でギルマスを指差し、部屋を出ていった。


「そりゃこんな仕事を長くやってれば、な」


 ボソリと呟いたギルマスの顔が、僕には少し疲れて見えた。

【天駆ける剣】の残りの三人も、カインさんの後に続いて部屋を出ていく。その去り際に、ポーリさんが話しかけてきた。


「司祭君。後で落ち合う場所だが、俺達の行きつけで構わないか?」

「ええと、安いならそこで」

「ああ、そうだな……隣の〈最後の50シェル〉で待ってる」

「わかりました」


 ポーリさんは軽く手を上げ、部屋を出ていった。

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