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「おっと。ヘザー、鑑定眼鏡を持っててくれい。落としそうじゃ」
「はいはい、あなた」
ヘザーさんに鑑定眼鏡を手渡すと、エドガーさんはジャックを連れて広場の真ん中へと歩いていった。
「ジャック君とルーシーちゃんは、ノエル君の使い魔なのかしら?」
「はい。僕は彼の二つ名が変わっても、さほど気にしないのですが……」
そう答えると同時に、僕のお腹がギュルルッと大きな音を立てた。
「あらあら。司祭様はお腹が空いてらっしゃるようね?」
「し、失礼しました」
「いえいえ。何かつくるわね?ちょっと待ってなさいな」
「いえ、お構いなく」
ヘザーさんは僕の言葉を笑顔で聞き流し、ログハウスへと入っていった。
ヘザーさんの姿が消えると同時に、広場からエドガーさんの大声が響く。
「よおーし!まずは走り込みじゃっ!」
「エエー?」
「文句を言うなっ!これが一番手っ取り早いのじゃ!ほれ、走れいっ!」
そう言うと、エドガーさんは草刈り鎌を振り上げて、ジャックを追いかけ始めた。
「ヒッ、ヒイィィ!」
「ほれほれっ!全力で走らんかっ!」
「のえるサン、助ケテー!鎌持ッタ老人ガ追イカケテキマスゥー!」
「……見ればわかるよ」
僕は玄関前に腰かけて、しばらく広場の様子を眺めていた。
ヒィヒィ言いながら広場を走り回るジャック。
たまに足並みを緩めようものなら、草刈り鎌が迫るので休む暇もないようだ。
「あらあら。走り込みから始めたのね」
ログハウスからバスケットを持ったヘザーさんが出てきた。そして僕の横に腰かけ、バスケットから分厚いサンドイッチを取り出した。
「はい、召し上がれ」
「なんだかすいません……押しかけといて食事まで」
「若い子がそんなこと気にしてはダメよ。年寄りが若い子のお世話をするのは、それが楽しいからなのよ?」
そう言ってにっこりと笑うヘザーさん。
僕は差し出されたサンドイッチを受け取った。
層を成すレイタスに、薄切りの真っ赤なマトマに、細切りのロキャットに、色鮮やかな何かの野菜のピクルスに……とにかくたくさんの食材が挟まれた、野菜多めのサンドイッチだ。
僕は空腹に負け、思いっきりかぶりつく。
ほおばった口の中で、色んな味が混ざり合った。
ソースはかかっていない。
ピクルスの酸っぱさと、パンに薄く塗られたバターと、あとはたくさんの野菜の味。
優しくて、太陽の味がするサンドイッチだった。
「むぐ、美味しいでふ」
「そう?うふふ、よかった」
「質問しても、むぐ、いいですか?」
「ええ、どうぞ?」
ヘザーさんはティーポットとカップを取り出し、紅茶を注ぎながら答えた。
「二つ名って、特殊な効果がありますよね?」
「あら、よくご存知ね?」
そう言って、ヘザーさんはティーカップを差し出した。
「ありがとうございます。ジャックは今の二つ名になってから、奇妙な能力を得まして」
「そう、なるほどね……私達夫婦は、ほとんどの二つ名に何かしらの効果があると考えているわ」
「ほとんど、ですか?」
「よくわからない二つ名もあるの。ジャック君の二つ名もそうだけど、おかしな二つ名が世の中にはたくさんあるから」
ジャックの二つ名歴を知る僕は、深く頷いた。
「そういえば。新しい二つ名を得た場合って、前の二つ名の効果は消えるのですよね?」
するとヘザーさんは眉間にしわを寄せた。
「難しい質問だけど……おそらく累積するわ」
「えっ。そうなのですか?」
「以前、知り合いの二つ名を変えたことがあるの。二つ名が【器用な】の大工さん。その方はとても腕のいい大工さんだったのだけど、高所作業中に転落して大怪我してしまったの」
そこまで話して、ヘザーさんは紅茶を口に運んだ。
「怪我自体は治ったのだけれど、心の傷が治らなかったの」
「心の、傷?」
「彼の二つ名が【高所恐怖症】になってしまったわけ」
「ああ……なるほど」
「これでは仕事にならない、ということで私達を頼ってきたの。私達はひたすら細かい作業をやらせたわ。食事と睡眠以外、ひたすらね。そして無事、【器用な】の二つ名を取り戻したの」
「おお、素晴らしい」
僕は感嘆の声を上げたが、ヘザーさんは難しい顔のままだった。
「でもね。治ってなかったの、高所恐怖症」
「ええっ?」
「二つ名とはその人の特徴そのものなの。二つ名を上書きしても、前の特徴まで消えるとは限らないというわけ。だからジャック君の……二つ名の効果は誘引効果かしら?それは新しい二つ名を得ても変わらないと思うわ」
「そうですか……ん?ジャックの二つ名の効果が何故わかるのですか?」
「もちろん、これよ」
そう言ってヘザーさんは、鑑定眼鏡をトントン叩いた。
「二つ名の効果までわかるのですか?僕の鑑定より上だ……」
「そんなことないわ。この鑑定眼鏡でわかるのは、種族に二つ名、そして二つ名に対する解説だけ。物体に関しては名前も出ないわ」
「そうなんですか……それでも凄いなあ」
「うふふ。かけてみる?」
僕はヘザーさんから鑑定眼鏡を受け取って、かけてみた。そしてそのまま、ジャックを見つめた。
種族スケルトン【
「ん?解説とは?見当たりませんが……」
「二つ名の部分に焦点を当ててみて?」
言われた通り二つ名をじっ、と見ると。
「おおー」
「見えたかしら?」
「はい。でも、何て言うか……曖昧な解説文ですね」
「うふふ、そうなのよ。だからよくわからない二つ名は、解説を読んでも意味がさっぱりわからないの。もっとわかりやすくして欲しいわね」
「ですよねえ」
ヘザーさんと談笑していると、エドガーさんだけがこちらに戻ってきた。ジャックはまだ、ヒィヒィ言いながら走り続けている。
「儂にも茶をくれい」
エドガーさんは麦わら帽子を脱いで、額の汗を拭う。
「はいはい」
ヘザーさんが新しいティーカップを取り出して、紅茶を入れた。
「はい、どうぞ」
「うむ。んぐっ、んぐっ……ぷはあ、生き返るわい」
紅茶を一気に飲み干したエドガーさんは、走るジャックを見つめた。
「これで得られる二つ名って、【快足】とかですか?」
「いや、それは足の速い者につく二つ名じゃな。これで得られるのは【がんばり屋】【努力家】【スタミナのある】といったところじゃな」
それを聞いて、僕は唸った。
「ううむ……」
「なんじゃい、どうかしたのか?」
「ジャックってスケルトンですから、そもそもスタミナ無尽蔵なんですよね。今もヒィヒィ言ってますが、別に疲れてはいないです。努力してるとも言えないような……」
「何っ!?それを早く言わんかっ!」
エドガーさんは僕を叱ると、ジャックを手招きして呼び寄せた。
「お主、疲れとらんのかっ!」
「エエ、マア。すけるとんデスカラ」
「ならばヒィヒィ言うんじゃないわっ!紛らわしいっ!」
「ヒイッ、スイマセン……」
「まあまあ、あなた落ち着いて。別のアプローチを試しましょう?」
「うむ、そうじゃな……よし、中に入れ!次は筆記問題じゃっ!」
「エエー」
「ええい、いちいち文句を言うなっ!」
エドガーさんは嫌そうなジャックを引きずって、ログハウスの中に入っていった。
ジャックの二つ名特訓は屋内に舞台を移した。
かなり大きな木製のテーブルの上で、ジャックはヒィヒィ言いながら問題を解いている。
問題は専門的な知識は必要ない、いわば謎なぞのようなものばかりだそうだ。
僕とヘザーさんはテーブルの端に陣取り、遠目にジャックの様子を眺めている。
「これで得られる二つ名って?」
「【聡明な】【賢い】【とんち者】あたりね。ノエル君、食後のデザートはいかが?アップルパイがあるけど」
「いや、そこまでして頂いては……」
するとジャックの前に座ったエドガーさんから声が飛ぶ。
「ヘザーのアップルパイは絶品じゃ!食っとけ!」
「そうなのですか?ではいただこうかな」
「はいはい。ちょっと待っててね?」
「のえるサン、楽シンデマスネ……ずるイ」
「よそ見をするなっ!集中せんかっ!」
「ヒイッ!……コレ難シイノデスヨ……」
机に向かうジャックをぼんやり見ていると、背中から眠そうな声がした。
「……ここ、どこ?」
「ん、まだ寝てていいんだよ、ルーシー?」
「んーん、おきる」
ルーシーは僕の肩を伝ってぐるりと回り、膝の上にちょこん、と座った。
「あのお爺ちゃん、だれ?」
「エドガーさん。ジャックに特訓してくれてるんだよ?」
「ふーん」
「めんこいゴーストさんや、こんにちは」
エドガーさんが初めて見せる優しい瞳で、ルーシーを見つめた。
「ん、こんちは!」
「ほっほっ、元気がいい!いい子じゃ」
デレッとしたエドガーさんを、ジャックが恨めしそうに睨む。
「ズイブン態度ガ違イマスネエ」
「当たり前じゃろう?ほれ、集中せいっ!」
「ハイハイ……」
ジャックが再び問題に目を落とすと、ヘザーさんが戻ってきた。
「あら、ルーシーちゃん?起きたのね」
「お婆ちゃん、だれ?」
「私はヘザーよ。ルーシーちゃんもアップルパイ食べる?」
ルーシーはテーブルに置かれたアップルパイを身を乗り出して凝視した。
「食べる!」
「あら?でもゴーストだから食べられないわね?どうしましょうか」
ヘザーさんが困った顔で僕を見る。
「あ、ではルーシーの前に置いてもらえますか?」
「ええ、それは構わないけど……」
ヘザーさんはアップルパイを切り分け、僕の分とそれより小さいルーシーの分を並べて置いた。
ルーシーは鼻がくっつくほど顔を寄せ、うっとりしたり、笑顔を浮かべたりしている。
「これは……ルーシーちゃんは食べているの?」
「食べている気分なんでしょうね。彼女はこれで楽しめているようです」
普段、ルーシーは食事を求めない。
飲み食いしないゴーストなのだから当然なのだが、甘いものには興味を示したりする。
そういうときはこうやって目の前に置くと、ルーシーなりに食事を楽しむのだ。
一種のお供えものなのかな?と僕は考えている。
「どう?美味しい?ルーシーちゃん」
「ん、おいしい!あまくていいにおい!」
にっこり笑うルーシーに、ヘザーさんの目尻が下がる。
「おい、ヘザー。たまに鑑定眼鏡でチェックしておいてくれ。まだ早いが、一応な」
「はいはい。そうですね、あなた」
そしてヘザーさんが鑑定眼鏡をかけてジャックを見つめた。
「あらっ?」
「どうしました?」
僕が聞くと、目を見開いたヘザーさんが答えた。
「もう、二つ名変わっているわ」
「何っ!」
「ホントデスカ!?」
エドガーさんとジャックが、同時に立ち上がる。
「ちょっと眼鏡を貸せっ!」
「はいはい」
エドガーさんが鑑定眼鏡を引ったくるように受け取り、すぐにジャックを鑑定眼鏡で見る。
僕も自前のスキルでジャックを鑑定した。
種族スケルトン【ジャッ
……なにこれ?