<< 前へ次へ >>  更新
127/207

125

「おっと。ヘザー、鑑定眼鏡を持っててくれい。落としそうじゃ」

「はいはい、あなた」


 ヘザーさんに鑑定眼鏡を手渡すと、エドガーさんはジャックを連れて広場の真ん中へと歩いていった。


「ジャック君とルーシーちゃんは、ノエル君の使い魔なのかしら?」

「はい。僕は彼の二つ名が変わっても、さほど気にしないのですが……」


 そう答えると同時に、僕のお腹がギュルルッと大きな音を立てた。


「あらあら。司祭様はお腹が空いてらっしゃるようね?」

「し、失礼しました」

「いえいえ。何かつくるわね?ちょっと待ってなさいな」

「いえ、お構いなく」


 ヘザーさんは僕の言葉を笑顔で聞き流し、ログハウスへと入っていった。

 ヘザーさんの姿が消えると同時に、広場からエドガーさんの大声が響く。


「よおーし!まずは走り込みじゃっ!」

「エエー?」

「文句を言うなっ!これが一番手っ取り早いのじゃ!ほれ、走れいっ!」


 そう言うと、エドガーさんは草刈り鎌を振り上げて、ジャックを追いかけ始めた。


「ヒッ、ヒイィィ!」

「ほれほれっ!全力で走らんかっ!」

「のえるサン、助ケテー!鎌持ッタ老人ガ追イカケテキマスゥー!」

「……見ればわかるよ」


 僕は玄関前に腰かけて、しばらく広場の様子を眺めていた。

 ヒィヒィ言いながら広場を走り回るジャック。

 たまに足並みを緩めようものなら、草刈り鎌が迫るので休む暇もないようだ。


「あらあら。走り込みから始めたのね」


 ログハウスからバスケットを持ったヘザーさんが出てきた。そして僕の横に腰かけ、バスケットから分厚いサンドイッチを取り出した。


「はい、召し上がれ」

「なんだかすいません……押しかけといて食事まで」

「若い子がそんなこと気にしてはダメよ。年寄りが若い子のお世話をするのは、それが楽しいからなのよ?」


 そう言ってにっこりと笑うヘザーさん。

 僕は差し出されたサンドイッチを受け取った。

 層を成すレイタスに、薄切りの真っ赤なマトマに、細切りのロキャットに、色鮮やかな何かの野菜のピクルスに……とにかくたくさんの食材が挟まれた、野菜多めのサンドイッチだ。

 僕は空腹に負け、思いっきりかぶりつく。

 ほおばった口の中で、色んな味が混ざり合った。

 ソースはかかっていない。

 ピクルスの酸っぱさと、パンに薄く塗られたバターと、あとはたくさんの野菜の味。

 優しくて、太陽の味がするサンドイッチだった。


「むぐ、美味しいでふ」

「そう?うふふ、よかった」

「質問しても、むぐ、いいですか?」

「ええ、どうぞ?」


 ヘザーさんはティーポットとカップを取り出し、紅茶を注ぎながら答えた。


「二つ名って、特殊な効果がありますよね?」

「あら、よくご存知ね?」


 そう言って、ヘザーさんはティーカップを差し出した。


「ありがとうございます。ジャックは今の二つ名になってから、奇妙な能力を得まして」

「そう、なるほどね……私達夫婦は、ほとんどの二つ名に何かしらの効果があると考えているわ」

「ほとんど、ですか?」

「よくわからない二つ名もあるの。ジャック君の二つ名もそうだけど、おかしな二つ名が世の中にはたくさんあるから」


 ジャックの二つ名歴を知る僕は、深く頷いた。


「そういえば。新しい二つ名を得た場合って、前の二つ名の効果は消えるのですよね?」


 するとヘザーさんは眉間にしわを寄せた。


「難しい質問だけど……おそらく累積するわ」

「えっ。そうなのですか?」

「以前、知り合いの二つ名を変えたことがあるの。二つ名が【器用な】の大工さん。その方はとても腕のいい大工さんだったのだけど、高所作業中に転落して大怪我してしまったの」


 そこまで話して、ヘザーさんは紅茶を口に運んだ。


「怪我自体は治ったのだけれど、心の傷が治らなかったの」

「心の、傷?」

「彼の二つ名が【高所恐怖症】になってしまったわけ」

「ああ……なるほど」

「これでは仕事にならない、ということで私達を頼ってきたの。私達はひたすら細かい作業をやらせたわ。食事と睡眠以外、ひたすらね。そして無事、【器用な】の二つ名を取り戻したの」

「おお、素晴らしい」


 僕は感嘆の声を上げたが、ヘザーさんは難しい顔のままだった。


「でもね。治ってなかったの、高所恐怖症」

「ええっ?」

「二つ名とはその人の特徴そのものなの。二つ名を上書きしても、前の特徴まで消えるとは限らないというわけ。だからジャック君の……二つ名の効果は誘引効果かしら?それは新しい二つ名を得ても変わらないと思うわ」

「そうですか……ん?ジャックの二つ名の効果が何故わかるのですか?」

「もちろん、これよ」


 そう言ってヘザーさんは、鑑定眼鏡をトントン叩いた。


「二つ名の効果までわかるのですか?僕の鑑定より上だ……」

「そんなことないわ。この鑑定眼鏡でわかるのは、種族に二つ名、そして二つ名に対する解説だけ。物体に関しては名前も出ないわ」

「そうなんですか……それでも凄いなあ」

「うふふ。かけてみる?」


 僕はヘザーさんから鑑定眼鏡を受け取って、かけてみた。そしてそのまま、ジャックを見つめた。


 種族スケルトン【未確認発光物体(UFO)ジャック】


「ん?解説とは?見当たりませんが……」

「二つ名の部分に焦点を当ててみて?」


 言われた通り二つ名をじっ、と見ると。


 未確認発光物体(UFO)――その不可解な光は人を惹きつけてやまない。


「おおー」

「見えたかしら?」

「はい。でも、何て言うか……曖昧な解説文ですね」

「うふふ、そうなのよ。だからよくわからない二つ名は、解説を読んでも意味がさっぱりわからないの。もっとわかりやすくして欲しいわね」

「ですよねえ」


 ヘザーさんと談笑していると、エドガーさんだけがこちらに戻ってきた。ジャックはまだ、ヒィヒィ言いながら走り続けている。


「儂にも茶をくれい」


 エドガーさんは麦わら帽子を脱いで、額の汗を拭う。


「はいはい」


 ヘザーさんが新しいティーカップを取り出して、紅茶を入れた。


「はい、どうぞ」

「うむ。んぐっ、んぐっ……ぷはあ、生き返るわい」


 紅茶を一気に飲み干したエドガーさんは、走るジャックを見つめた。


「これで得られる二つ名って、【快足】とかですか?」

「いや、それは足の速い者につく二つ名じゃな。これで得られるのは【がんばり屋】【努力家】【スタミナのある】といったところじゃな」


 それを聞いて、僕は唸った。


「ううむ……」

「なんじゃい、どうかしたのか?」

「ジャックってスケルトンですから、そもそもスタミナ無尽蔵なんですよね。今もヒィヒィ言ってますが、別に疲れてはいないです。努力してるとも言えないような……」

「何っ!?それを早く言わんかっ!」


 エドガーさんは僕を叱ると、ジャックを手招きして呼び寄せた。


「お主、疲れとらんのかっ!」

「エエ、マア。すけるとんデスカラ」

「ならばヒィヒィ言うんじゃないわっ!紛らわしいっ!」

「ヒイッ、スイマセン……」

「まあまあ、あなた落ち着いて。別のアプローチを試しましょう?」

「うむ、そうじゃな……よし、中に入れ!次は筆記問題じゃっ!」

「エエー」

「ええい、いちいち文句を言うなっ!」


 エドガーさんは嫌そうなジャックを引きずって、ログハウスの中に入っていった。


 ジャックの二つ名特訓は屋内に舞台を移した。

 かなり大きな木製のテーブルの上で、ジャックはヒィヒィ言いながら問題を解いている。

 問題は専門的な知識は必要ない、いわば謎なぞのようなものばかりだそうだ。

 僕とヘザーさんはテーブルの端に陣取り、遠目にジャックの様子を眺めている。


「これで得られる二つ名って?」

「【聡明な】【賢い】【とんち者】あたりね。ノエル君、食後のデザートはいかが?アップルパイがあるけど」

「いや、そこまでして頂いては……」


 するとジャックの前に座ったエドガーさんから声が飛ぶ。


「ヘザーのアップルパイは絶品じゃ!食っとけ!」

「そうなのですか?ではいただこうかな」

「はいはい。ちょっと待っててね?」

「のえるサン、楽シンデマスネ……ずるイ」

「よそ見をするなっ!集中せんかっ!」

「ヒイッ!……コレ難シイノデスヨ……」


 机に向かうジャックをぼんやり見ていると、背中から眠そうな声がした。


「……ここ、どこ?」

「ん、まだ寝てていいんだよ、ルーシー?」

「んーん、おきる」


 ルーシーは僕の肩を伝ってぐるりと回り、膝の上にちょこん、と座った。


「あのお爺ちゃん、だれ?」

「エドガーさん。ジャックに特訓してくれてるんだよ?」

「ふーん」

「めんこいゴーストさんや、こんにちは」


 エドガーさんが初めて見せる優しい瞳で、ルーシーを見つめた。


「ん、こんちは!」

「ほっほっ、元気がいい!いい子じゃ」


 デレッとしたエドガーさんを、ジャックが恨めしそうに睨む。


「ズイブン態度ガ違イマスネエ」

「当たり前じゃろう?ほれ、集中せいっ!」

「ハイハイ……」


 ジャックが再び問題に目を落とすと、ヘザーさんが戻ってきた。


「あら、ルーシーちゃん?起きたのね」

「お婆ちゃん、だれ?」

「私はヘザーよ。ルーシーちゃんもアップルパイ食べる?」


 ルーシーはテーブルに置かれたアップルパイを身を乗り出して凝視した。


「食べる!」

「あら?でもゴーストだから食べられないわね?どうしましょうか」


 ヘザーさんが困った顔で僕を見る。


「あ、ではルーシーの前に置いてもらえますか?」

「ええ、それは構わないけど……」


 ヘザーさんはアップルパイを切り分け、僕の分とそれより小さいルーシーの分を並べて置いた。

 ルーシーは鼻がくっつくほど顔を寄せ、うっとりしたり、笑顔を浮かべたりしている。


「これは……ルーシーちゃんは食べているの?」

「食べている気分なんでしょうね。彼女はこれで楽しめているようです」


 普段、ルーシーは食事を求めない。

 飲み食いしないゴーストなのだから当然なのだが、甘いものには興味を示したりする。

 そういうときはこうやって目の前に置くと、ルーシーなりに食事を楽しむのだ。

 一種のお供えものなのかな?と僕は考えている。


「どう?美味しい?ルーシーちゃん」

「ん、おいしい!あまくていいにおい!」


 にっこり笑うルーシーに、ヘザーさんの目尻が下がる。


「おい、ヘザー。たまに鑑定眼鏡でチェックしておいてくれ。まだ早いが、一応な」

「はいはい。そうですね、あなた」


 そしてヘザーさんが鑑定眼鏡をかけてジャックを見つめた。


「あらっ?」

「どうしました?」


 僕が聞くと、目を見開いたヘザーさんが答えた。


「もう、二つ名変わっているわ」

「何っ!」

「ホントデスカ!?」


 エドガーさんとジャックが、同時に立ち上がる。


「ちょっと眼鏡を貸せっ!」

「はいはい」


 エドガーさんが鑑定眼鏡を引ったくるように受け取り、すぐにジャックを鑑定眼鏡で見る。

 僕も自前のスキルでジャックを鑑定した。


 種族スケルトン【ジャッ(きゅう)さん】


 ……なにこれ?


<< 前へ次へ >>目次  更新