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僕は冷たい空気に身震いして、目を覚ました。
昼にも増して、山の朝は寒い。
山あいに射し込む朝日が、山肌に残る夜をゆっくりと朝に染め上げていく。
体を起こすと、ジャックと目が合った。
「オハヨウゴザイマス。眠レマシタカ?」
「おはよう。うん、寝た」
夜通し火の番をしてくれていたらしいジャックに頷きを返し、火の側に寄る。
「のえるサン、地図ヲ見テモラエマスカ?」
「ああ、そうだね」
ジャックから地図を受け取り、開く。
「……うん。上の山道に戻って、そのまま進めばよさそうだ」
「ソウデスカ、良カッタ」
「んむむ……」
ジャックの膝の上で寝ていたルーシーが、僕達の声に反応して唸る。
「イケナイ、モウ朝デスネ」
「そうだね。ルーシー、十字架の中で寝よう?」
ルーシーは寝ぼけ眼で僕とジャックの顔を交互に見て、イヤイヤをするように首を振った。
今は一人で寝たくないのだろう。
「のえるサン、肩ニ」
「仕方ないね」
僕がルーシーに背中を向けて座ると、彼女はぴょんと背中に飛び乗った。いつもの肩車状態ではなくおんぶ状態だが、僕と接触していれば問題はないか。
「よし、行こうか」
「ハイ」
まず、急な斜面を慎重に登り、山道へと戻った。
そこから曲がりくねった山道を登っては下り、下っては登りしながら目的地を目指す。
昨日、走り回ったせいで体が重い。
何も食べてないのでお腹も空いた。
「ソウイエバ」
「ん?」
「ごーすとッテ眠ル必要アルノデスカネ?るーしーハヨク寝マスガ」
「んー、必要はない気がするけど……習慣になってるのかな?ゴーストは昼間動けないから、眠くなるようになってるのかも」
「ナルホド」
「ルーシーは夜も寝るけどね」
「寝タイトキニ寝テ、起キタイトキニ起キテル気ガシマス」
「そう聞くと、なんだか羨ましいね」
その後も雑談しながら歩いていくと、午前のうちに地図にある目印の場所まで辿り着いた。
「崖っぷちの一本樫……これだな」
「見事ナ樫ノ木デスネエ」
「その見事な樫を背中に……あった」
崖ギリギリに生える樫の木と山道を挟んで反対側。
うっそうとした茂みの中に、細い道を見つけた。
まるで獣道のようなその道を進んでいくと、すぐに茂みを抜けて視界が開けた。
「おお!?」
「ホウ!」
そこには山の上とは思えない、平たい地面が広がっていた。
奥に大きなログハウスが立ち、その前はちょっとした広場のようになっている。その広場の三方向を山肌が囲み、残った一方は今やって来た茂みが塞ぐ。
なんだか秘密の避暑地といった雰囲気だ。
「ここだよね?」
「オソラク」
ログハウスに向かって歩いていく。
立派な木を何本も使ったログハウスは、見上げるほど大きかった。
「表札はないね……何て名前だったっけ?」
「まるきん夫妻デス」
「えっ、夫妻?」
「アノ本ハ、まるきん夫妻ノ共著ナノデスヨ」
「そうなのか」
慌てていて、しっかり見ていなかったらしい。
「ご在宅かな?」
僕は立派なドアノッカーを三度、叩いた。
「すいませーん」
今度はジャックが扉を直接叩く。
「イラッシャイマセンカー?」
ログハウスの中に人の気配はない。
ジャックと顔を見合わせていると、横から語気の強い声が飛んできた。
「貴様ら、何の用じゃっ!山賊かっ!」
見れば、麦わら帽子にカゴを背負ったお爺さんがこちらを睨んでいた。その手には草刈り鎌を持っている。
「あらあら。お客様かもしれないでしょう?そんな物騒なものはしまって下さいな」
お爺さんの後ろから、これまた麦わら帽子にカゴを背負ったお婆さんが歩いてきた。
「こんなとこに客など来るかっ!」
「うふふ。それはわかりませんわよ、あなた?」
痩せっぽちで気難しそうなお爺さんと、ふくよかで柔和な雰囲気のお婆さんは、揃って僕達の前までやって来た。
「まるきんゴ夫妻デスカ?」
「ほうらやっぱり。お客様ですわ、あなた」
「本当に客か!紛らわしい!」
お爺さんはカゴを下ろし、僕達を観察した。
「小僧にスケルトンに……背中のはゴーストか?」
「はい」
「珍妙な客じゃ。いったい何の用じゃ?」
「実は……」
僕はここへ来た目的を話し始めた。
ジャックの二つ名がコロコロ変わってしまうこと。
彼は変な二つ名ばかりで気にしていること。
そして二つ名の本でマルキン夫妻を知ったこと。
「ジャックの二つ名について助言を頂きたく参りました。どうか、ご教示下さい!」
そう言って頭を下げる。
「のえるサン……」
ジャックはそんな僕をしばし眺めていたようだが、思い出したように一緒に頭を下げた。
「ふうむ」
お爺さんはどこからか眼鏡を取り出し、じっくりとジャックを眺めた。
「【
……ん?
何故わかる?
もしやこのお爺さん、司祭なのか!?
「ぬっふっふ……何故わかるか不思議そうじゃな。その秘密はこの眼鏡じゃっ!!」
お爺さんは眼鏡を指差し、得意気に胸を張った。
「眼鏡が……」
「何ナンデス?」
僕とジャックが首を捻ると、お爺さんは嬉しそうに何度も頷いた。
「聞いて驚くな!これこそは〈グレゴリーの遺産〉の一つ、〈鑑定眼鏡シリーズ・モデル面接官〉じゃ!」
「へえー」
「フーン」
「な、何じゃお主ら……まさか、かの大錬金術士ヒュー=グレゴリーを知らんのか!?」
僕とジャックは、再び首を捻る。
「なんか凄そうな人っぽい?」
「デスネエ」
「ふ、ふ、不勉強が過ぎるぞ、貴様ら!」
「あらあら。今の若い子はヒュー=グレゴリーなんて知りませんよ、あなた」
「むううっ」
顔を真っ赤にして怒っていたお爺さんだったが、諦めたように大きなため息をついた。
「で、お主らはどうやった?」
「ハイ?」
「何がですか?」
「お主らは何故、二つ名がわかるのかと聞いておる。〈鑑定眼鏡シリーズ〉を手に入れられるようには見えんしの」
「アア、エエト……コチラノのえるサンガ司祭ナノデ鑑定すきるガ使エルノデス」
「司祭!?」
「あらまあ!」
マルキン夫妻は揃って驚愕の表情を浮かべた。
「お主のような若造が司祭とは!これは恐れ入ったわ!のう、ヘザー!」
「ええ、ええ!素晴らしいわ!あなた!」
まるで宝物を見つけた子供のようにはしゃぐ夫妻。
司祭と明かして、こんなに好意的に受け入れられたのは初めてじゃないだろうか。
「ではお若い司祭殿に、改めて自己紹介しよう。儂は二つ名研究をやっておるエドガー=マルキンじゃ」
「同じくヘザー=マルキンですわ。どうぞよろしくね」
「じゃっくデス」
「ノエルです。背中の彼女はルーシーといいます」
「うふふ。かわいいゴーストさんね」
ヘザーさんが孫を見るような目で、背中のルーシーの顔を覗きこんだ。
「ジャックとやらの望みは、二つ名がコロコロ変わることと妙な二つ名ばかりで嫌だ、ということじゃな?」
「ソウデス!……ドウニカナリマセンカネ?」
神に祈るように両手を合わせ、懇願するジャック。
「わからん。じゃが、コロコロ変わるのであれば、まず普通の二つ名に変えてみればどうじゃ?」
「オオ!デキマスカ?」
「無論じゃ。だてに研究しとらん……やってみるか?」
「ハイ!」
「ようし、ついてこいジャックとやら!」
「ハイッ!!」