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「ん、飲めるニャ」


 リオはそう言って手を振り、水気を切った。

 お許しが出たので、僕も湧き水に手を入れる。温度差のせいだろうか、手が痺れるほど冷たく感じた。そのまま両手ですくい、口へ運ぶ。


「……ぷはっ、美味しい」


 暑さに干からびつつあった全身に、じんわりと水分が染み渡る。


「ところでさ、この近くなんだよね?リオが全滅しかけたのって」

「よくそんなとこまで覚えているニャ」


 リオは少し驚いて、記憶を辿るように宙を見つめた。


「あの頃は、まさに《テレポーター知らず》だったニャ」


 そう言って、リオは自嘲気味に笑う。

 ちなみに《テレポーター知らず》とは、宝箱の罠で最も恐ろしいとされる転移罠(テレポーター)を知りもしない癖に、どんどん宝箱を開ける冒険者のこと。そこから、無知で無謀な冒険者を指す言い回しになった。


「全滅しかけたときなんて、岩屋のことを何にも知らなかったニャ。この暑さも、火蜥蜴(サラマンダー)のことも、ミノタウロスの縄張りであることさえも……」


 そこまで話して、リオが口に手を当てた。


「ニャッ!?アタイ、火蜥蜴のこと話してないニャ?」

「うん?聞いてないね」

「アタイとしたことが。うっかりしてたニャ……」


 ガックリと肩を落としたリオだったが、すぐに気を取り直し、説明を始めた。


「この岩屋には、火蜥蜴というモンスターが出るニャ。奴らには手出し無用ニャ」

「ソンナニ強イノカ?」


 ドミニクの問いにジャックが口を挟む。


「我々ガ火葬サレチャウッテコトジャナイデスカ?」

「まあ、今回はそれもあるニャ。でも理由は別ニャ」

「と、言うと?」

「火蜥蜴は炎の精霊ニャ。精霊ってのは意識の底で仲間同士が繋がってるニャ」


 意識の底で繋がる。司祭感応みたいなものだろうか。


「つまり。一匹見かけて攻撃すると、エリア内の火蜥蜴が押し寄せてくるニャ」

「ウヘェ」

「それは危険だね」

「危険なんてもんじゃないニャ。ちょっとした集団暴走(スタンピード)ニャ。精霊には手を出さない。これは冒険者のセオリーニャ」


 ギルドの冒険者マニュアルには載っていない、高レベル冒険者の経験則。

 とても大事なことを教わった気がした。


 十分な休息を取った僕達は、再び探索へと戻った。

 この階層でも頻繁にミノタウロスと出会したが、問題なく対処できた。僕なんてほとんど魔法を使っていないほどだ。

 ひやっとしたのは一度だけ。

 岩壁に張り付く火蜥蜴を見たルーシーが、ふらふらっと近寄ったのだ。

 赤く揺蕩(たゆた)うように光る火蜥蜴は、熱心に見つめるルーシーなど気にも留めず、岩壁にじんわりと溶けていった。

 そして十三階の下り階段手前に到達した。

 岩屋に入る前にそうしたように、リオが説明を始める。


「十四階、十五階は迷いの回廊と呼ばれるニャ。アタイが先導するから、絶対離れちゃ駄目ニャ。特にルーシー、マリウスは心するニャ」

「うーい!」

「ウィィ……鹿、棚、稲」


 問題児二人が素直に応じる。

 ……まあ、応じた所で予想外の行動に出るのが、問題児たる所以(ゆえん)なのだが。


「アノウ……」


 おずおずとジャックが手を上げる。


「何ニャ?」

「昨日見タ地図ハ、迷イノ回廊ト言ワレルヨウナ物デハアリマセンデシタガ」

「そう言えば……」


 あのとき、店舗スペースを探す為にじっくりと地図を眺めたが、迷いやすい構造とは思わなかった。むしろシンプルな造りだったと思う。


「んー、まあ、それは下りればわかるニャ。それよりも、モンスターについて話すニャ」


 リオは背を丸め、皆の顔を見渡した。僕達も釣られて背を丸め、リオを中心とした輪が狭まる。


「迷いの回廊には色んなモンスターがいるニャ。でもその中で好戦的なのは二種類。この二種類には最大限の注意が必要ニャ」


 リオの真剣な顔つきに、僕達の間に緊張が走る。


「まずアンシーンストーカー。その名の通り、透明でほとんど見えないニャ。気づかないうちに忍び寄ってきて、後ろからブスー!ニャ」

「ヒエッ」

「こわいねー」


 ジャックとルーシーから怯えた声が漏れる。


「そしてレッサーデーモン。これも名前からわかる通り、デーモン種ニャ。本来、十六階から先に出るモンスターなんニャけど、たまに十五階にも入り込むニャ。数次第ではアタイらでも危険ニャ」


 デーモン種と出会す可能性もあるのか。見たことのない僕にとっては、未だ想像上の存在である。悪辣な顔で嗤うデーモンを思い浮かべ、僕はブルリと震えた。



 リオを先頭に階段を下りる。

 岩を乱雑にくり貫いたような岩屋と違い、冷たい石壁が整然と並んでいる。しんと静まる回廊からは、全く生物の気配が感じられない。


「……あれ?」


 僕は昨日購入したばかりの地図をくるくる回して確認する。


「むう?リオ、この地図間違ってる」


 地図が正しいなら、今下りてきた階段からは前方に一本、左右に一本ずつの計三本の通路が伸びているはず。しかし、左右の道はあるが、前方の道はない。代わりに右後方に一本通路がある。


「間違ってないニャ」

「でも、現に……」

「ん~、ジャック。ちょっとその通路を進んでみるニャ」

「エエッ、一人デデスカ?」

「ちょっとだけニャ」

「……チョットダケデスヨ?」


 リオの指示した右後方の通路へ、ジャックは渋々歩きだす。


「ドコマデ進メ、ヘブッ!?」


 通路へ入ろうとしたジャックが、見えない壁にでもぶつかるように何かに阻まれた。


「エッ、エッ?……アレ?」


 ぶつかった拍子に尻餅をついたジャックが、見えない壁をペタペタと触る。その壁を横から見たり、下から覗き込んだりしてから、ジャックが振り向いた。


「のえるサン!コレ、絵デス!」

「えっ、絵?」


 僕の口から間の抜けた返事が溢れる。


「オオッ、確カニ絵ダナ」


 ドミニクが見えない壁を乱暴に叩く。

 僕も近寄って観察してみる。

 確かに絵だ。

 あまりの出来の良さに、まるで透明な壁に見えるが、角度を変えて見れば絵であることは明らかだった。


「トロンプルナールの仕業ニャ」


 リオが腕組みして話す。


「トロンプ……ルナール?」

「別名、騙し絵ギツネ。こうやって壁にイタズラするニャ」

「いたずら、デスカ……妙ナもんすたーガイルノデスネエ」


 尻餅をついたまま、ジャックが騙し絵を見上げる。


「縄張りを守る為だと言われているニャ。それ以外に害はないから放っとくニャ」

「と言うことは、前方に通路がないのも?」


 僕の言葉に、リオは首を振った。


「それはまた別ニャ。その通路があるはずの壁を鑑定してみるといいニャ」

「わかった。んー、この辺かな」


 僕は地図を片手に、本来通路がある方向の壁を鑑定した。


 種族ウォーリー


「種族が出るってことは……モンスター?」

「そうニャ。擬態壁とか壁モンスターとか呼ぶニャ」

「コレガ……もんすたーナノデスカ」


 ジェロームが、問題の壁をサーベルで突っつく。


「地図を見る限り、前方の通路を行くべきだと思うけど。どうする?戦う?」


 僕も杖でツンツンしながらリオに尋ねた。


「ほぼ壁だから倒すのはひと苦労ニャ。攻撃なんてしてこないから、退かせばいいだけニャ」


 そう言って、リオは壁を激しく蹴り始めた。


「ほら、お前らもやるニャ」


 リオに誘われ、スケルトンズも加わった。何故だかルーシーも混じって蹴る仕草をしている。

 ガンッ、ガンッ、と蹴られる度に揺れる壁。特にドミニクの蹴りは重く、壁の破片がバラバラと落ちる。

 やがて軋むような音がして、壁は開き戸のように片方が下がり始めた。


「ん、もういいニャ」


 蹴るのを止めても壁は勝手に下がっていく。やがて完全に壁が開くと、その奥に通路が姿を現した。開ききった壁は、通路の壁にぺたりとくっついて動きを止めた。


「さて、迷いの回廊と呼ばれる理由。わかってもらえたかニャ?」


 リオが、まるで学校の先生のような口調で話す。


「エエ、十分ワカリマシタ」

「かべさんけるのたのしい!」

「これは迷っちゃうね」

「ココノもんすたー、オモシレエナ!」

「奥様ノ見識ノ広サ、感服致シマシタ」

「絵ヒャヒャ!ゲラゲラゲラ」


 それぞれの素直な反応を見て、満足げに頷くリオ。


「迷わないよう、アタイにしっかりついてくるニャ!では出発!」

「「ウーイ!!」」


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