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僕は祈りを終え、遺体を観察した。
「目立った外傷はないみたい……数か月は野晒しだったようだね」
目の前の遺体はすっかり干からびてミイラ化している。旅装らしき服もボロボロで見る影もなく、周りには装備品が散乱していた。
髪の長さや骨格から、かろうじて女性であろうと推測できた。
「鑑定しないのですか?」
レオナールの問いに、僕は首を振る。
「遺体を鑑定しても、名前はわからないんだ」
僕が便利屋を始めたての頃、遺体の鑑定を依頼されたことがある。
ダンジョンで全滅したパーティの遺体だったのだが、回収されたときにはどれが誰やらわからない有り様だったのだ。
僕は吐き気を押さえて鑑定した。
その鑑定結果は、どれも「人間の死体」。
このときほど己の能力に失望したことはなかった。
この干からびた遺体を鑑定した所で、身元はわからないだろう。だが。
「これ、冒険者カードだね」
僕は遺体の胸元から板切れを取り出し、袖口で汚れを拭った。
「……魔法使い、ララ。依頼主で間違いなさそうだ」
「ソウ、デスカ」
ジャックが暗い声で呟く。
「遺体がスカベンジャーにやられていないのも、腐り病患者の特徴と一致します。腐り病は【腐り王】の獲物の印。スカベンジャーは手をつけません」
と、レオナールが補足してくれた。
依頼主のララはゴーストであるはずだから、死んでいるのは当然のこと。当然のことなのだが、悲しさとも虚しさともいえない気持ちが心に満ちる。
「うぷっ」
「ポーラ、お前は見なくていい」
ポーラは口元を手で覆ったまま、首を激しく振った。
「いいえ、兄さん。私は見なくてはいけないの。僧侶の端くれとしても。故郷を同じくする者としても」
ルパートは目を見開いてポーラを見、次いでララに目を落とした。
「ヒドファン村には明日中に着くかな?」
僕の問いを、ジャックが通訳しモヒカンに伝える。
するとモヒカンは「ゴグッ」と頷いたあと、何事か話した。
「明日ノ日暮レマデニ着クダロウ、トノコトデス」
「よし。なら、故郷に帰してあげよう」
普段の冒険ならば、拾った遺体を抱えて移動するなんてリスクは負わない。せいぜい、身元の手がかりになりそうな物を持ち帰るくらいだ。パーティ仲間の遺体でさえ、状況によっては置き去りにすることもある。
強力な助っ人に護衛されている今だからこそ、できる判断だ。
「食料を入れてた袋に入るかな?」
「エエ、入ルデショウ」
「手伝います」
ポーラと一緒に遺体の手足をたたみ、そっと袋に入れる。持ち上げたララの体は、とても軽かった。
「ジャック、僕が背負おうか」
背負子を担いだジャックがキョトンとする。
「何故デス?食料ヨリズット軽イデスヨ?」
「いや、気分悪いんじゃないかなって。僕はこういうのわりと平気だし」
すると立ち上がったジャックが笑った。
「イエイエ。オ仲間ミタイナモノデスヨ」
夜明けと共に出発した僕達は、今日も順調に歩を進めた。危険を感じたのは、馬車を丸ごと拐ってしまえる大きさのヒュージコンドルに襲われたときだけだ。
だがそれさえも、ゴブリンソルジャー達が一斉に投げた槍の前に、あっという間に墜落してしまった。
そして、たなびく雲が赤みを帯び始めた頃。
僕達はヒドファン村のすぐ手前の丘までやってきた。
「いますね、うようよと」
僕の横で腹這いになったレオナールが言う。
「村の跡地をそのまま拠点にしてるのか」
「柵まであります……」
同じく腹這いのルパートとポーラも感想を漏らした。
「……これは作戦が必要だね」
僕は灰色の群れを眺めながら呟いた。
薄暗い中、作戦会議が始まった。
メンバーはモヒカンと僕達六人だ。
「ギゴッ、ゲッ、ゲッ」
「斥候ノ話ダト、ひどふぁん村ヲ根城ニシテルわーらっとハ、百カラ百二十匹、ダソウデス」
「ふむ」
「多いですね……」
こちらはゴブリンソルジャー三十二匹に会議メンバーを加えた三十九人。およそ三倍だ。
「でもよ、弱そうに見えたぜ?あいつら普通のゴブリンより小さいだろ?」
ルパートの発言にモヒカンが答える。
「ゲッゴグッ、ガッ、ゲギグ」
「ごぶりんそるじゃーダケデモ蹴散ラセル。ダガ、ヤツラハ
「呪い……死神病のことだね」
「オソラク」
ジャックが頷く。
「ですがノエルは『キュアウィルス』を使えるのでしょう?」
レオナールの問いに、僕は眉を寄せた。
「『キュアウィルス』は魔力消費が激しいんだ。感染者が増えると間に合わなくなる」
「むう、そうなのですか」
「あの」
ポーラが手を挙げた。
「ワーラットと交渉はできないのですか?ララさんの遺品だけ探させて欲しい、とか」
「ギギッ」
モヒカンが首を振った。
「ゲゴ、ギグガ、ゴッ」
「無理ダ、ヤツラハ非常ニ好戦的デシツコイ、ト」
「私も聞いたことがあります。彼らは行動範囲にいる他種族に容赦しない。どんなに被害が出ようとひたすら襲ってくるそうです」
「そう、ですか」
モヒカンとレオナールの言葉に、ポーラは静かに
ワーラットを思いやっての発言ではないだろう。これから起きる大規模な戦闘が恐ろしいのだ。
「ドチラニシテモ放ッテハオケマセン。我ガ
これはジャックの言う通りだ。たとえ依頼の件がなくとも、対処すべき状況だと言えるだろう。
「大丈夫だって。お前は兄ちゃんの側にいろ」
ルパートが優しく言うが、
「いやいや、ポーラは後ろに控えるべきでしょう?」
「そうだよ。僕は攻撃魔法も撃つから、ポーラが回復の要になる。前衛のルパートの横になんか置けないよ」
と、またしても僕とレオナールに否定され、ルパートはしょんぼりとしてしまった。
「とにかく、ダメージを押さえて効率的に倒さないといけない。作戦を立てよう」
僕の言葉に全員が頷く。
「『みすと』ハドウデス?アレナラわーらっとノ視界ヲマトメテ奪エマス」
「う~ん、味方も見えないよ?同士討ちが恐くないかな?」
「アア、確カニソウデスネ」
モヒカンが僕を見る。
「ゲゲゴ、ガクギグ?」
「我ラヲ足止メシタ魔法ガ良イ、ト言ッテマス」
「『マッドハンド』だね。あのときより敵の数がおおいからなあ」
「でも足止めできたら楽ですよね。あとはゴブリンソルジャー達に私が戦闘用の歌を聞かせて……」
そう言ってレオナールがリュートを撫でた。
「そっか!吟遊詩人の歌には応援効果があるんだったね」
「応援効果って何だ?」
「兄さん……そんなことも知らないの?味方にとって、有益な補助効果のことよ」
ポーラが口を尖らせて説明した。
「まあまあ。応援効果って我々吟遊詩人の歌か、踊り子の踊りくらいですからね。知らないのも無理ないですよ」
「魔法ニハナイノデスカ?ソノ応援効果ッテ」
ジャックに問われ、僕は〈リィズベル魔法知識事典〉を流し読みしたときの記憶を探る。
「魔剣士の付与魔法とか近いかな?でも対象が自分だけだから、応援効果とは言えないね。対して、詩人の歌は聞こえる味方全てに効果がある」
「ホホウ!」
感嘆の声を上げるジャックに、モヒカンが話しかけた。
「ググッ、ギッ、ギゲ」
「エー、被害ヲ押サエテ戦イタイ。ヤツラヲ誘キ出スベキダ、ダソウデス」
「それがいいね。その上で足止め、殲滅かな」
「ギッ、ガゴグ?」
「ドウヤッテ誘キ出ス?ト、言ッテマス」
「……それについては考えがある。思いつきだけど。囮役にピッタリの人物もいるしね」
にっこり笑う僕を見て、ジャックは肩甲骨を抱いて震えた。
「……何ダカ嫌ナ予感ガシマス」
作戦決行の時間。
日はすっかり暮れ、天上には月が輝く。
役割分担を終え、それぞれが息を潜めて持ち場に待機する。
僕も仕込みを済ませ、茂みに身を伏せた。
そして、丘の上の目立つ場所には囮役の人物。
月明かりに照らされて一人佇むその者は。
「ヤッパリネ」
ジャックだった。