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「走れ、走れ!」
殿のルパートから、檄が飛ぶ。
その前を走る僕とポーラは、息も絶え絶えだ。
楽器を抱えたレオナールや、食料山積みのジャックよりも遅いとは。帰ったらもう少し鍛えよう、と心に決める。
後ろから近づいてくる羽音は、一匹二匹のものではない。はっきりとは見えないが、そこかしこにいるようだ。
「っ!来たぞ!」
ルパートの声に振り向く。
そこには真っ黒な仔犬サイズの蜂が群がっていた。
「種族ブラックホーネット!毒針に気をつけて!」
僕は鑑定結果を叫んだ。
背負子を下ろしたジャックが、ルパートの横に並ぶ。
だが、多数の黒蜂は僕達の周りをグルグルと飛び回り、的を絞らせない。こうなっては前衛も後衛もなくなってしまう。
「くそっ!」
「ヨッ、ホッ!」
ルパートとジャックが武器を振るうが、全く当たらない。ジャックの剣はともかく、ルパートの手斧では厳しいだろう。
「皆さん、耳を塞いで!」
レオナールの叫び声に、僕達は耳を塞いだ。
同時にレオナールは、リュートを大音量でかき鳴らす。それはおよそ楽器の出しうる音量ではなく、恐らくは吟遊詩人のスキルか何かだろう。
黒蜂達は音の波に翻弄され、フラフラと宙を漂い始めた。
「今だ!」
「ハイッ!」
ルパートとジャックがふらつく黒蜂を落としてゆく。レオナールも小剣で加勢するが、数が多すぎる。
「ルーシー、お願い!」
「ほいほーい」
十字架から出たルーシーが肩に乗る。
ルーシーと合唱するのは、こういうときにうってつけの魔法だ。
「「天上に響くは楽神の竪琴!爪弾く音色は瞬きて、邪を払う光芒とならん!【スターライト】!」」
詠唱を終えると、僕の周りにこぶし大の眩い光球が発生した。その数十四個。
「行けっ!!」
腕を振ると、ポロン、ポロンと柔らかい音と共に光球が飛び出した。光球は光の尾を引きながら黒蜂を追う。美しい曲線を描きながら、十四匹の黒蜂に次々と命中した。
ジャック達が残りの数匹を屠り、ようやく一息つく。
「良イジャナイデスカ、【すたーらいと】!」
興奮気味にジャックが言う。
「威力はないけど、手数が多くてオトク感があるね」
「いやあ、素晴らしい魔法でしたよ!」
レオナールが顔を紅潮させて、僕を誉めた。
「何より詠唱が素晴らしい!楽神、竪琴、爪弾く!私も唱えてみたいものです!」
なるほど、興奮しているのは詠唱に音楽関係の言葉が出てきたからか。吟遊詩人のツボを刺激したらしい。
「私、何もしてない……」
一方、ポーラがしゅんとしている。
「お前は僧侶なんだから、後ろで見てりゃいいんだよ」
ルパートがポーラの肩を抱こうとするが、彼女はその手を振り払った。
「兄さん、いつもそう!私だって戦えるんだから!」
ポーラの剣幕に、今度はルパートがしゅんとしてしまった。
「オ二人ハ、日頃カラぱーてぃヲ組ンデイルノデスカ?」
「おう、そうだぜ」
ジャックの問いにルパートが答えた。
「私、最近冒険者になったばかりなんです。いざパーティを探そうと思ったら、兄さんが俺と組むべきだって。自分のパーティは抜けてきたからって言って強引に……」
「エエエ」
「それはちょっと」
「感心しませんね」
全員が否定的な様子に、ルパートは心外そうだ。
「なんでだよ!兄が妹を守っちゃ悪いのかよ!」
「いや、ポーラも一人の冒険者なんだから、もう少し彼女の意思を尊重しないと」
「ソウデスヨ。自由ニぱーてぃ選ベナイナンテ、可哀想デス」
レオナールがポン、と手を打った。
「それなら、他のパーティメンバーを入れてみてはどうです?」
ルパートが鼻息荒く、反論する。
「悪い男にでも引っ掛かったらどうするんだ!」
「ホラ、ソレガ過保護ナンデスヨ」
「それじゃ、ポーラはルパート以外と組めないよ?」
「レベル差だってあるのでは?それではポーラは成長できませんよ」
「むううう」
僕達三人の指摘に、ルパートは腕組みして呻った。
「じゃあ、兄さん。次の戦闘では私も戦うからね?」
味方の増えたポーラは、嬉しそうに腰のメイスを抜いた。
「ポーラ、それとこれとは別ですよ?貴女は僧侶なのですから、何もしてないのは、むしろ喜ばしいことです」
「そうそう。たまに前衛でメイス振り回す僧侶さんいるけど、真似しちゃ駄目だよ?僧侶さんが倒れたら一瞬で全滅の危機だからね」
僕とレオナールの窘めに、ポーラはまたもやしゅんとしてしまった。
その日の夜。
いつものように焚き火を囲む。
僕は地図を開き、ため息をついた。
「遅レテイマスネ」
「うん」
初日の夜、順調に行けばと話した五日目がもうすぐ終わる。特別、何か問題があったわけではない。道の悪さと会敵の多さのせいだ。
道程も半ばを過ぎたが、食料に不安が残る。
「墓鴉にロングレッグスパイダー、大肉蝿に今日のブラックホーネット。スカベンジャーが多いのが気になるね」
スカベンジャーとは腐肉食モンスターのことだ。
「確かに多い。しかし、それを【腐り王】の影響と考えるのは早計でしょう」
レオナールがリュートをポロン、と鳴らす。
毎晩、自然に始まる音楽は、不安な旅路にささくれ立つ気持ちを優しく宥めてくれる。
ルーシーはこの時間になると、リュートの真ん前に陣取って心地よさげに揺れている。
「そもそも、そこに生物の営みがあればスカベンジャーはいるのです。むしろ【腐り王】の侵攻よりずっと前、開拓が始まる以前の状態に戻りつつあるのでは」
「なるほど……」
「あの、ノエルさんの依頼のことなんですが」
僕とレオナールの会話が終わるのを待っていたのか、ポーラが話しかけてきた。
「ララさん、でしたか?どんな方だったのですか?」
「僕も聞き込みで得た情報くらいしか知らないけど。それでもいい?」
ポーラはこくん、と頷いた。
「幼い頃に【腐り王】の侵攻が起きて、家族を失いレイロアの孤児院に。ちょうどポーラの年頃に冒険者になったらしい」
「私達兄妹に似てますね」
「そうだね。彼女はパーティに恵まれ、初めは順調だったらしい。でも、彼女は腐り病に犯されていた」
「腐り病ってたまに聞くけどよ、どんなんだ?」
ルパートが干し肉を齧りながら聞く。
するとレオナールが歌うように説明を始めた。
「腐り病。【腐り王】の影響で四肢に障害が出る病のこと。病の進行は【腐り王】が滅びても続き、やがては手足が全く動かなくなる。『キュアウィルス』でも治療できないことから、厳密には病ではないと言われている」
「へえ、怖いな。でも、それだけで死に至る病ではないのか」
「ええ。【腐り王】の侵攻の外で発病することから、捕食の為の足止めではないかと言われています」
「かっ!やっぱりろくでもねえな、【腐り王】」
【腐り王】に対し怒りを顕にするルパート。逆にポーラは恐怖を拭えないようだ。
「それで……ララさんはどうなったのですか?」
青ざめた顔で続きをせがむ。
「冒険者になれば嫌でも運動するから、快方に向かうのではと思っていたみたい。でも現実は逆だった。満足に動けないララを、毎回背負って冒険するわけにもいかない。最終的にはララ自らパーティを抜けたらしいね」
「そう……ですか」
ルパートがポーラの肩を叩く。
「心配すんな!お前が動けなくなっても、兄ちゃんは毎回背負って冒険行くぞ!」
「もう!そういうことじゃないの!」
怒りつつも、ポーラは少し嬉しそうに見えた。
「ンッ?」
「あれ?」
「どうしてお歌やめるの?」
突然止まったリュートの音に、僕達の視線がレオナールに集まる。
レオナールは今までの戦闘中にも見たことがない、真剣な顔つきだ。
「足音が聞こえます」
「モンスターか?」
ルパートの問いを片手で制し、レオナールは耳を澄ます。
「二足歩行。多数……捕捉されています!」
同時に全員が立ち上がり、荷物をまとめる。
手早く済ませたルパートが、焚き火に土を蹴り入れながら愚痴る。
「ちっ!寝かせてもくれねえのか!」
「レオナール、多数ってどのくらい?」
「二十から三十といった所でしょうか」
「三十!?ソレハ不味イ!」
焚き火が消え、闇が降りる。
暗闇の中、ザッ、ザッ、と不安を煽る足音が響いてきた。