04 王子は早く大人になりたい
俺は王宮に着くと、ゲスト室にルーナを運び、すぐに王宮専属医師を呼んだ。
医師の診察結果は、やはり鋭利な爪で引っ掻かれた傷跡だと判明。
俺はオデットがやったのだと思っていたが、大人の爪だというのだ。
それならば、彼女を傷付けたのは義母のイレーヌか。
恐ろしい剣幕で怒鳴り散らされて、怪我を負わされて、どんなに辛かっただろう。
頬にガーゼをつけたルーナは痛ましかった。それに、この豪華なゲスト室で、心許なく小さく座っている彼女は、今にも消えそうだった。
ルーナの隣に座り、手を握る。
何とか元気付けたかった。
「痛かったね。怖かったね。でも大丈夫だよ。傷が治るまでここに泊まれるように陛下に頼んだからね。安心してくれ」
「そんな、私のために・・」
申し訳無さそうな彼女。どうすればリラックスしてくれる?
「俺は君の婚約者だよ。君を守る義務がある。それに君の未来をずっと見守れる権利もあるんだ」
俺が、強くルーナの手を握ると、彼女の瞳が潤み、頬が真っ赤になり震えだした。
「どどど、どうした? 手に触れたのが嫌だったのか? それとも強く握って痛かったのか?」
あたふたする俺に、侍従のトーニオそっと俺に耳打ちした。
「アレクシス殿下、ルーナ様は感動と恥ずかしさで赤くなっておられます」
「そ、そうなのか? それなら、良かった」
安心したが、握ってしまった手をどのタイミングで放してよいのか分からず、そのまま握ったままにする。
「そうだ、君が焼いてくれたクッキーに、合う紅茶を淹れよう」
すぐに俺は銘柄を侍女に言う。
そして、指示通りに侍女が紅茶を運んでテーブルに置いた。
おずおずとルーナが俺に尋ねた。
「あの・・どうしてそのクッキーを私が焼いたものだと?」
「ああ、それは・・・なんとなく君が焼いたのだと分かったよ」
前世で、オデットが料理なんて一つも出来ないと知ったからだとは言えない。
俺は何となく、で誤魔化した。
「ああ、やはりとっても美味しい。君の優しさがクッキーに込められているよ」
俺は本当にこのクッキーが好きで、オデットによく作ってくれと頼んでいた。
その度、ルーナが作らされていたのか。なんて阿呆なのだろう、俺。
ルーナは俺が食べているのを嬉しそうに見つめている。
その瞳と合うと、ルーナは急いで目を逸らした
「あの・・本当にこの紅茶にクッキーが合いますね。初めてなのに、アレクシス殿下は流石です」
「・・・・。」
しまった。そうだ、これが今世で初めてルーナにもらったクッキーのはず。
うっかりしていた。
前世、このクッキーを食べる時には、この紅茶と決めていたから、うっかり今回も迷わず決めてしまった。
「俺は・・・」
言えない・・・。
前世のクズな人生を、ルーナに打ち明ける勇気がない。
俺が言い淀んでいると、ルーナがクッキーを一つ摘まんで、俺の口近くにもってきた。
え?
これは、『あーん』なのか?
さっきまで、うじうじと考えていたのに、一気に脳内にピンクのお花がひらひらと舞う。
ルーナの手から、直接食べたクッキーの美味しい事。
サクサクと幸せそうに食べる俺を見て、ルーナは固まっていた。
しまった。俺が顰めっ面になっていたからクッキーを差し出しただけだったようだ。
なのに、勝手に『あーん』だと俺は勘違いして浮かれたなんて恥ずかしすぎる。
俺は自分の顔が熱くなるのを感じた。きっと耳まで赤いはず。
急にルーナが「ふふふ」と笑った。
ルーナの笑顔・・・。貴重なものが見れた。これだけで今日はよく眠れそうだ。
そんな楽しい時間はあっと言う間に過ぎていく。
窓の景色は、赤く染まりつつあった。
窓の様子を見たルーナの顔から、微笑みが消える。
余程カファロの屋敷に帰るのが、憂鬱なのだろう。
「ルーナの傷は深く、暫く王宮医師による治療が必要だと思う。だから、そのように手配をしてくれ」
壁に立っていた侍女が、「かしこまりました」と返事すれば、てきぱきと動きだした。
瞬きをしながら、今の出来事を理解できないルーナが、ポカンとしている。
「あ、あの、本日このように遅くまでお邪魔してしまい、私はもう・・」
「帰るなんて、悲しい事を言わないでくれよ。それに、本当にここにいた方が傷の手当てもきちんとできるだろう? 綺麗な顔に傷が残らないように、しっかり治療をした方がいい」
ルーナの口から、『帰る』と言う前に、必死で王宮にいるように説得した。
でないと、彼女のように気を遣う人は、王宮に滞在することを望まないだろうから。
オデットは、『帰れ』と言っても帰る素振りもなく、王宮にしがみついていたな。
「私のような者がここに泊まるなんて、恐れ多いです。それに身分も伯爵ですし・・・。見た目も・・」
侍女の中には、伯爵の身分の女性も大勢働いている。
その彼女達にお世話されるのは、正直、今のルーナにとって居心地が悪いのかも知れない。
しかし、慣れてもらわないとな・・。
「君は俺の婚約者だ。それに、聖女だよ。いつか王家(この国ではないが)に嫁ぐのだから緊張しないようにね!」
彼女がエティエンヌ王子に嫁いだ時のためにも、しっかりと王家の作法に慣れていた方がいい。
「・・・はい」
彼女は小さな声で返事をした。
彼女の傷が目立たなくなってきた頃、周囲の目を憚って部屋で食事をしていたルーナに、一緒に食事をしようと誘った。
断られるかと思ったが、ルーナはコクンと頷く。
俺はガッツポーズ。
それを見た侍女は、すすすっとルーナを隣のドレッシングルームへと連れて消えていった。
ルーナは、何故隣の部屋に連れていかれるのか、分かっていないようだった。
俺は耳を澄ませて、ルーナと侍女の会話に意識を集中させると、ルーナの慌てている声と侍女の称賛と激励の声が聞こえる。
俺のサプライズのドレスに戸惑っているんだな。
カファロ家では、ルーナの見映えが悪くなるように、色白の彼女に白い色で少し大きめの服をわざわざ着させている。
それは、彼女の細さと顔色の悪さをより目立たせて、貧相でみすぼらしく見せる為だ。
彼女のドレス姿が楽しみだ。
俺がワクワクしていると、ドレッシングルームの侍女の感嘆の声が盛大に漏れてくる。
「んまあァァァァ!!なんて事 この体型にこのドレス!!最高ですわぁぁぁ。早くアレクシス殿下に見せてあげましょう!」
俺の期待値は最高である。
だが、全然出てくる気配がない。
どうやら、ルーナが恥ずかしがって、中で立て籠っているようだ。
待ってらんねー
俺はドアをコンコンと叩き、出てくるように促す。
「ルーナ、俺にその素敵なドレス姿を見せてくれないか?」
「・・・・。」
返事はなかったが、その代わりにドアがガチャッとなり、観念したルーナが出てきた。
「うっっっ・・・・」
俺の胸に誰か杭を打ったのか?という程の衝撃を受ける。
白い肌にえんじ色のドレス。ドレープたっぷりのドレスの装飾は銀色のラインストーンチェーンで控え目に。
だが、彼女の薄い水色の髪の毛をアップにしたことで、控え目が色気に変わってしまった。
これは、人に見られたらヤバイ。
誰でも、惹き付けられてしまうぞ。
現に俺は分かっているのだが、目が離せない。
「もう、アレクシス殿下。早くルーナ様に感想を仰ってあげて下さい」
侍女に急かされて、彼女を見ると、恥ずかしそうに、不安そうに、俺の言葉を待っている。
「す、すまない。あまりにも綺麗で見惚れてしまった。今日は二人での食事だから、気負わず楽しく食事をしよう」
本当に二人だけの食事で良かった。
こんなに美しいルーナを夜会なんぞで紹介したら、俺の心が休まる日がなくなる。
そう思いつつ、ルーナにエスコートのために手を出す。
彼女の柔らかな手が俺の体温の上に乗る。
少し緊張しているのか、手先が冷たい。
「二人っきりだからね」と安心してもらえるように笑いかけると、ようやく微笑んだ。
勿論、俺も二人きりで良かったと安堵している。
彼女との食事は、緊張したが楽しかった。
大人しいルーナが、侍女と刺繍をしている話や、王宮図書館で見つけた物語が面白いと話す彼女は、とても穏やかで優しい顔をしている。
食事の所作も美しく、あの家でよくこれほどのマナーが身に付けられたものだと感心する。
オデットに至っては、家庭教師をつけてもらっていたにも拘わらず、どこか下品な所作が目についていた。しかし、そこは恋は盲目でスルーしていた。
このままずっと、ルーナを王宮に留めたいが、そろそろカファロ伯爵から、娘を返せと催促が煩くなってきた。
怪我の治療の為といっていたが、もうこれ以上引き伸ばせない。
食事の終わりに、「カファロ家から、ルーナを返してくれと手紙が何通もきている。俺はルーナがここにいてくれると嬉しいのだが、無理なんだ。すまない」
ルーナは驚く様子もなく、首を横に振って俺に感謝を述べた。
「このように素晴らしい体験をさせて頂き、アレクシス殿下には感謝しかございません。私も殿下のお側を離れるのは・・っらぃですが・・。これ以上ご迷惑をお掛けすることは出来ません。明日、家に戻ろうと思います」
ルーナの口から辛いという言葉が聞けたのは嬉しいが、王宮から家に戻すというのは俺も辛かった。
だが、ルーナも14歳。
親の了承なくいくら王子でもこれ以上は、引き留められない。
俺は引き裂かれる痛みを感じていた。