03 クッキーは誰が作ったのか?
俺が屋敷に背を向けて、庭園に戻ってくると、何を勘違いしたのかオデットが嬉しそうに抱きついてきた。
「ほら、やっぱり。お姉さまより私の方が良かったのね。ここに来るお客様もみんな『オデットは可愛い』って仰るのよ。それに比べてお姉さまはね~・・」
と、オデットは意地の悪い嗤いをルーナに見せる。
このニヤリと人を不快にさせる嗤い。
以前の俺はこの笑顔を、可愛いって思ってたんだよね。
『オデットの無垢な笑顔が、眩しい』
なんてほざいていた俺、どこを見ていたんだ。
そして、ルーナの悲しげな顔を一瞥して、『鬱陶しい』と言い捨てたのは・・クズの俺だったな。
だが、今の俺は以前とは違う。
悪魔のようなオデットの笑みを、自分から切り離し、ルーナに手を伸ばした。
そして、オデットに釘を刺しておく。
「ごめんね。オデット嬢。俺の婚約者は君ではなくルーナ嬢なんだ。だから、気安く触るのはやめてくれないかな? きっと君だけの王子さまが現れてくれるよ。だから、ルーナを妬むのではなく、姉妹で仲良くしよう。それが君の幸せにも繋がるはずだよ」
言い方はつい、厳しくなるが、これでも精一杯優しく言ったつもりなんだ。
こんな小さな少女にと思うかも知れないが、数日前にこの女に裏切られたのだ。すぐに切り替えられる訳がないだろう?
しかし、一度は好きになった相手なのだから、オデットも今度はまともに生きて欲しい。
だが、オデットが簡単に更正するなんて思っちゃいない。だから、悪い芽が伸びて来たらすぐに一つ一つを潰して行かないと、どんな毒々しい花が咲くか分からないんだ。
まあ、一番の元凶は、ルーナの父と義母なのだが。
ルーナの実母が亡くなると、すぐに浮気相手のイレーヌと連れ子のオデットを連れ込んだヘルマンニ・カファロ伯爵。
その後、三人はルーナを虐げだしたようだ。
この状態からルーナを守るのは、難しい。
とにかく今はルーナの心を守ることが先決だ。
先ずオデットを退け、ルーナと仲良く庭園を歩き始める。
「アレクシス王子殿下、今日は屋敷までお越し頂きありがとうございます。それと・・・。私と歩いていて、嫌ではありませんか?」
微笑んでいるが、自信のなさが言葉の端々に表れている。
どうすれば、ルーナに自信を持って貰えるのか、俺は言葉を選んで話した。
「俺は君と話したかったし、歩きたい。だから、今楽しいよ」
ルーナの青白い顔に、少し薄い桃色がさしてくる。
良かった。
あの時エティエンヌ・モランルーセル王子に見せた笑顔には、ほど遠いが俺にも微笑んでくれるのが嬉しかった。
ルーナ、今度は幸せのまま、あのエティエンヌ王子に会わせてあげるからな。
それが俺に出来る君へのお詫びだ。
それまで、俺が守っててやるからな。
俺が決意を胸に秘めて、彼女に手を差し出すと、おずおずと手を乗せてくれた。
「よし、君のお気に入りの花を見に行こう」
「私が大好きなお花は・・・」
嬉しそうにルーナが指を差したが、その場所には、茎から切り取られて一つも花はない。きっと可愛い花が咲き誇っているときに切られたのだろう。土の上に花びらが沢山散っていた。つまり、花だけ無惨に切り取られたってことだ。
俯くルーナ。
「ここには何が咲いていたんだ?」
「小さな星の形をした可愛い花が咲いていたんですが・・・。どうやら、お花の時期は終わっていたみたいです」
無理に微笑むルーナが、痛ましい。
「今度来たときに、俺がその花をプレゼント出来るんだ。待っててくれる?」
ルーナは、嬉しそうに微笑み、頷いた。
王都の花屋全てかき集めて、プレゼントしてやるぜ!!
しかし、この屋敷のやつらは全て俺以下だ。つまりクズ以下ってことだ。
なんとか、ルーナをこの屋敷から救ってやりたい。
そう思った俺は王宮に戻ると、陛下の執務室に乗り込んだ。
「陛下!! お話があります。俺の話しを・・頼みを聞いてください」
直談判しようと、ランフランコ・オルランド国王の部屋に来たが、いつものわがままな頼み事と思われて、一睨みされて無視された。
「聞いて下さい。俺の婚約者のルーナ・カファロ伯爵令嬢のことなんです」
ここで、いつもの厄介事ではないと思ったランフランコ王が顔をあげた。
「おまえの婚約者がどうした? 気に入らないから変えろとでも言うつもりか?」
ああ、それは以前の人生で言いましたっけ?
でも、今回は違う。
「いえ、そうではありません。陛下が俺の婚約者に彼女を選んだのは、聖女だからですよね?」
無言で頷く陛下を見て、話しを続ける。
「しかし、彼女は実家で聖女らしい扱いを受けていません。それどころか、家族としても見られていない。あのままではいつか、倒れてしまいます。どうぞ、王宮に連れてくる許可を出してください」
俺は必死にだった。
以前、高価な冠を頼んだ時よりも真剣に頼んだ。
だが、その願いは法的な理由で、あっさり却下。
「ルーナ・カファロは12歳だ。聖女と言えど、まだ親の許可なく屋敷とは別の場所で暮らせる年齢に達していない。」
「じゃあ、いつまで待たせるんですか? 人間には希望が必要なんです。せめてそれを教えてください」
「ふっっ。お前が人の心配か。よいか、学園に入るまでは親の監督責任があり、それ以降は本人の意思で寮に入ることが出来る。つまり、16歳までの辛抱だ。その間ルーナ嬢の希望にお前がなればいい」
「分かりました。彼女と(エティエンヌ・モランルーセル王子との)結婚まで、全力で守る、守って見せる」
俺が長年苦しめた彼女への罪滅ぼしと、俺が壊し掛けた王国を救ってくれた恩返しはそれくらいしか出来ない。
決意固く、陛下に言い切ったところ、珍しく父が褒めてくれた。
「うむ、やっと誠実に人と向き合う事をわかったようだな。これからもその調子でな」
大きな手で俺の頭をポンッと叩いた。
思い出す限り、父がそんなことをしたのは初めてだったような気がする。
ルーナと顔合わせの後も、ルーナがあの屋敷で孤立をしてしまわないように、度々俺は訪問を繰り返していた。
オデットにも、同じ過ちをさせないようにと、『このままでは君はダメだ』と何度も道徳心に訴え掛けたが、彼女の心に届くことはなかった。
それどころか、俺が言えば言うほど、ルーナへの攻撃が酷くなるので、中止した。
そうして、2年経っていた。
いつものように、予定していた日に、カファロ伯爵家に着くとどうも屋敷内の雰囲気が重苦しい。
嫌な予感がして、ルーナを一番に探す。
リビングで待っていたルーナの頬には、たった今傷付けられたと分かる赤い引っ掻いたような傷跡があった。
「どうしたのだ?」
その生々しい傷が痛そうで、触れる事も躊躇われる。
俺はルーナに尋ねたのだが、答えたのは彼女の義母のイレーヌだ。
「この子ったら、廊下を走っていて、転んでローチェストに頬を打ち付けたのですわ。全く行儀が悪くて困っておりますのよ」
ホホホホと扇で口許を隠し、高慢に嗤うイレーヌは、強くルーナを見据え、余計な事を言わせない、ねちっこい視線をルーナに向けていた。
この間にオデットが再び俺に突撃をかましてくる。
「そんな事よりも、アレクシス様。ほら、これを見て下さい」
そこには香ばしい匂いのクッキーが、皿に並べられていた。オデットはどうだ!!と言わんばかりに、微笑んで見せる。
「今日、アレクシス様が来ると聞いていたので、私、頑張って作ったんです」
ここで、イレーヌもオデットの株を上げようと、もうプッシュ。
「この子は、容姿だけでなく、料理も上手なのですよ。朝から頑張って焼いたこの子のクッキーをどうぞ、お召し上がり下さい」
俺にとって、この出来事は以前に体験済みだ。
以前の俺の台詞は・・・
ルーナが転んだと聞かされて、
『お前は本当にどんくさい女だな』と、怪我をしたルーナを嗤うという、吐き気がするクズっぷりだ。
そして、オデットが作ったとされるクッキーを食べて、
『美味しいぞ。流石はオデットだ、すごく美味しい』と、何枚も食べて満足していた。
あの時に戻れる奴がいるならば、俺に『目を覚ませ!!』と往復ビンタをかまして欲しい。
再び同じことを見せられて、ため息が出る。
俺は、自信満々な笑顔を向ける二人の間をすり抜けて、リビングのソファーに物音も立てず、じっと俯き座っているルーナの前に跪く。
そして、ルーナの頬に手をやり、彼女の頬の傷を確かめた。
「これは酷い・・。俺の婚約者の傷の手当てが先だ。ルーナを王宮の専属医師に診せる」
前世は全く鍛練をせず、腕っぷしは弱く二歳年下の弟に、打ち負かされていたが、今世ではルーナを守るためにそれなりの努力をしている。
俺は、ルーナをお姫様抱っこで持ち上げた。
俺の力で持ち上げられるのか不安だったが、軽々持ち上げられた。日々の鍛練の成果もあるのだろうが、それよりも彼女の体重が恐ろしく軽かったのだ。
思いきり力を入れて持ち上げたので、少しルーナの体が浮き上がったほどだ。
軽い、軽すぎるだろう。
よく、女性に「重い?」と聞かれて「羽根のように軽いよ」と答えながら、腕がプルプルと震えている男を見たことがあるが、本当にルーナは羽根のように軽いのだ。
俺は馬車にルーナを乗せ、侍従のトーニオにクッキーを持ってくるように頼んだ。
クッキーは間違いなくルーナが焼いたものだ。オデットにお菓子が作れる訳がない。
だが、既にトーニオの手には紙に包んだクッキーが握られている。
近くで、事の成り行きを全て見ていたトーニオは、すでに奴らの手からクッキーを回収済みだった。
なんて、できる侍従なのだ。
彼を追い出した前世の俺!
彼のキレキレの動きを見て、反省しろ!!