16 クズとバカ
エティエンヌ王子の影武者となっている者の安否を気遣うも、俺はモランルーセル国に入国するとすぐに、湖の浄化を優先させた。
そのために、すぐにエティエンヌを初めとする一行を、湖に直行させる。
普段ならば、穏やかで美しい湖畔の景色が望めるのだろう。だが、辺りから禍々しい気配がを覆っているせいか、空気は澱み息苦しい。
湖の表面は、一見すると水草にも見える黒い物が覆うように広がっていた。
「国を出る時には、こんなにも覆い尽くしていなかったのだが・・」
エティエンヌは、その増殖の早さにショックを受けている。
「大丈夫ですわ。この程度なら、3日もあれば完全に消滅できます」
ルーナが珍しく、強気な発言だ。
みると、黒い水草のようなものは、ルーナが歩き岸に近付くだけで、ざざざと音を立てて沖に逃げて行く。
逃げる水草など見たことがないぞ。
そのおぞましさに、俺は身震いした。
しかし、ルーナはその気持ち悪い水草には構うことなく、どんどん近付く。そして、湖水に手を入れると、遠くまで視野を広げ見渡す。
その瞬間、一気に水面の
葉先の色が黒から黄色に変わっている。
さらに力を込めようとするルーナを俺が止める。
「これ以上の無理はダメだ」
いつもなら、俺の言う事を素直に聞いてくれるルーナがこの時は、手を振り払う。
「まだやれます!」
俺を振り切ってさらに浄化をしようとした。
ルーナの魔力切れが近い事は、青白くなった肌の色でも分かる。
「ルーナ!! やめろ!!」
俺はつい怒鳴ってしまった。
なのに、まだ浄化を止めないルーナを乱暴に抱き上げ、岸から離れた。
このままでは、絶対にぶっ倒れることは間違いないんだ。
顔色の悪いルーナを見てついイラついて、俺は声を荒げてしまった。
「何をそんなにむきになっているのだ。いい加減にしろ!!」
俺のきつい口調にルーナがしゅんとなった。
瞳に涙まで溜めて・・。
「ち、ちがう。怒るつもりはなかったんだ」
必死に言い訳をしたが、ルーナは口を閉ざしてしまった。
ここでちゃんと俺がルーナに、どうしてそんなにムキになっているのか聞けば良かったのかも知れないが、時間がなかった。
ルーナの事も気になるが、バデウースのことも気に掛かる。
優先順位はこの場合はバデウースだろう。
思惑以上の浄化作業の実績を手に入れた俺は、ルーナと向き合う時間を後回しにして、急ぎモランルーセルの王都に馬を走らせた。
バデウースの動きが気になる中、馬車でゆっくり向かうことも出来ず、ルーナはトーニオの乗る馬で来るようにし、俺は一人で胸の寂しさを抱えながら馬を走らせた。
魔力切れを起こしてまで頑張るルーナを見て、苛ついたのは確かだ。
エティエンヌのためにそこまで頑張るのか?
嫉妬する立場じゃない事だって分かっているし、そもそも、これは嫉妬じゃない。
エティエンヌにルーナを渡す気でいたよ。
でも、エティエンヌが現れるのが早すぎて、心の整理が出来てなかっただけだ。
だって、エティエンヌが現れるのは、もっと後のはずだっただろう?
こっちも準備がいるんだ。
それに、ルーナもルーナだ。
張り切り過ぎなんだ。
俺の呟きは馬の駆け足で掻き消されていた。
イライラが収まらない。
トーニオがレモンを丸噛りしたような顔で見てくるのも苛立っている原因だ。
モランルーセルの王宮に馬で乗り付けると、先に走っていたエティエンヌが門番に叫ぶ。
するとすぐに大門が開かれ、俺たちは止まることなく城内に駆け入れた。
モランルーセルの王宮は、全て木造の2階建てで、広い中庭を囲んで建物が建てられていた。
なので、門を潜ると一人の男が、若い男を今にも剣で斬ろうと構えているのが丸見えだった。
俺はエティエンヌの馬を抜き、男が振り下ろした剣を、自分の剣で止めた。
そして、すぐに馬の背から飛び下り斬られそうになっている若い男を庇うように前に立つ。
剣を止められた男は苦々しく俺を睨んで叫ぶ。
「
髪の毛も眉も真っ赤な男こそ、バデウース第一王子だ。
短絡そうな顔をしているな。
俺はバカにするようにゆっくりと名乗った。
「ふっ。俺はオルランド王国のアレクシスだ。貴国のエティエンヌ第二王子の要請を受け、聖女ルーナと湖の『
俺は嫌みったらしく、おつむの軽そうなバデウースに、わざわざ勿体つけて説明がてら言ってやる。
「おおお
「バデウース殿下!!!」
もうその手は使えないと、バデウースの侍従が言葉を止める。
そりゃそうだ。
バデウース派のシナリオでは、飲み水を汚染し他国へ逃げたエティエンヌを断罪するはずが、既にそれを浄化して帰って来ているのだから、今更その話を押し通すには無理がある。
しかし、「うぬぬぬ」とバデウースはまだ何か言いたいようなので、面白そうだし、話を振ってやった。
「で、貴殿はその男に剣を向けていたが、何故斬ろうとしていたのだ?」
侍従に止められたのにも拘わらず、バデウースは待ってましたとばかりに口を開ける。
「この男は、エティエンヌが国を捨てていった証拠の男で」
バデウースの侍従は、頭の悪い主に顔を顰めた。
「ほほー。しかし、貴殿の弟は国を捨てたどころか救うために戻ってきているぞ? しかも問答無用で大切な証人を裁判もなく、いきなり死罪にするのがこのモランルーセルのやり方なのか?」
俺はバデウースの顔を見ずに、この計画を企てた真犯人の侍従の顔を睨みながら話す。
「兄上、遅くなりましたが此度オルランド王国のお力添えを頂き、ルーナ様を我が国にお連れすることが出来ました。皆の者、浄化に協力していただけることになった、オルランド王国の皆様に、くれぐれも失礼のないように」
エティエンヌは、バデウースの侍従に向かってさらに一言。
「分かったなクジヌー」
クジヌーと呼ばれたバデウース王子の侍従が、見事な作り笑顔で頷く。
「勿論です。我が国の救世主の皆さんです。精一杯のもてなしを考えております。また、お噂のアレクシス殿下に自らお越し頂けるとは、是非我がバデウース殿下と語らって頂きたい」
なるほど・・・。
クズな俺とバカな
低レベルな話し合いになりそうだな。それも面白そうだ。
「実のある話が出来そうだな」
俺がクジヌーに爽やかな笑みで返すと、奴はひくひくとひきつった笑いに変わる。
どうした?
是非機会を作ってもらいたいものだ。
「で、いつにするのだ?」
クズとバカが話す内容なんて、楽しみだろ?
クジヌーが手を上に挙げて「ハイハイ、降参です」と首を振ってバデウースを連れて建物の中に消えていった。
それにつられて、慌ててバデウース陣営の連中も消えていく。
自分から言っといて、その態度はなんなのだ?
あの侍従の振るまいに文句を言いたいが、エティエンヌに余計な時間を掛けてしまうのでやめにしよう。
しかし、危なかった。
まさか、裁判も受けさせずに王子の影武者をすぐに殺そうとするなんて。
悪くて牢屋に入れられる程度だと思っていたが、甘かった。
もう少し遅ければ、あの若者は殺されていた。
あー、驚いた。バカのやることはクズのやることよりも、思い付かない行動をするのだと、肝に銘じておこう。