13 前世のテストはいつも最下層グループだったな。
レンドル学園では、夏休み前のテストが始まろうとしている。
前世の俺は、王太子の俺様を落第なんてさせないだろうと高を括り、遊び呆けていた。
だから、成績の順位はどの教科も最下層グループにいた。
総合順位は下から数えて5番目キープ。
しかし、今世では必死に1位をキープしている。
2度目の人生で、2回も授業を受けていれば、簡単に良い成績を取れるだろうと思っていたが、そんなに甘くはなかった。
なにせ、1回目は殆ど授業を聞いてなかったし、元々頭の良くない俺は人の倍・・・いや、3倍勉強して漸く人並みなんだよ。
そんな俺が1位にいるのは、奇跡だ。
今回のテストも上位になれるように、目の下にハッカの香りを塗りつけて涙流して勉強をしている。
だが、もう限界だ。
少しだけ休もうとソファーにゴロンと寝転がった時、俺の部屋の扉がノックされた。
「兄上、僕です。兄上に勉強を教わりたいのですが、よろしいですか?」
声の主は、弟のダニエルだった。
「ああ、いいよ」
そう俺が返事をすると、嬉しそうに入ってくる。
その手には、山ほどの教科書とノートがあった。
俺はソファーから体を起こし、テーブルの上のコーヒーカップを少し脇にやる。
ダニエルと俺は2歳の年の差があるが、ダニエルが早生まれで学年では一つ下になる。
しかし、元々弟は頭が良く、俺に聞かなくても充分に上位にいるのだ。
そう言えば、前世では俺に勉強を聞いて来ること何てなかったな。
まあ、勉強最下層の兄には聞きに来ないか。
いや、そもそもダニエルが俺の部屋に入って来る事はなかったんだ・・。
そんな事を思い出していたら、
「兄上、ここの問題の解き方がわからないので教えて下さい」
とダニエルからの質問が。
意識を戻すと、昨年度勉強した教科書をダニエルが広げて、俺が答えるのを待っていた。
「ああ。この問題はね・・」とさらさらとヒントを与え、その先は自分で考えるように促す。
じっと俺の顔を見るダニエルに、俺は居心地の悪さを覚えた。
前は俺の事なんか全く無視だった。
なのに、今俺を見る目は自分で言うのもあれだけど、明らかに『尊敬の眼差し』って感じなんだ。
問題を解くダニエルに、同じクラスになったオデットの様子を尋ねてみた。
すると、おぞましい物でも見たような、顔面から涌き出る嫌そうな表情。
すぐにダニエルがオデットの事をどう思っているか分かった。
「あれは、色ボケしている勘違い女です。ルーナ様の妹なのでそれとなく、初めは興味を持って見ていたのですが・・・高位の貴族の男を見ればすり寄るんですよ。あれに引っ掛かる男は余程のバカですよ」
ぐっさーーーー。
心臓を短剣で抉られる程の衝撃だ。
そのバカって・・・俺だああああ。
さらに弟の攻撃は続く。
「あの女、大人しい子に面倒な刺繍をさせて、出来上がったらそれを男にプレゼントするんだ。さも自分が作ったようにさ、指に絆創膏なんかを張って頑張ったアピールしちゃって・・。婚約者がいるのに、あんなの見破れずにデレデレしてるなんて、クズだよ」
い・・息が・・息が出来ない!!
俺って・・前世は間違いなく、弟にクズだと思われていたことを確定だ。
い・・今は違う。
そうだ、今は違うぞ。
俺が急に立ち上がったもんだから、ダニエルが驚いた。
「どうしたのです?」
「いやー・・・なんでもない。少し体をほぐそうと思ってな・・」
俺はストレッチを始め、冷や汗を隠す。
「でも、マルルーナの嘘を信じ込んで、自分の婚約者に確かめようともせずに婚約者を蔑ろにする男が多いのです。全く同じ男として許せませんよね?」
ダニエルよ。それ以上は俺の心臓が、もたない・・。
グサグサ刺さる言葉に、ストレッチでは隠しきれない汗が額から伝う。
「ホントに・・コまッたモのダなぁ・・」
片言の台詞を言うのが精一杯だ。
「でも、先日の噴水の事件での、兄上の動きに、僕は感激しました。オデットを助けながらも、ルーナ様を一番に寄り添い、さらにルーナ様の疑いも公平な采配で晴らす、あの手腕が最高でした」
元々がクズの俺を、疑いもしないキラキラな目で見ないでくれ。
頼む、俺はその称賛されるに値しない人間なんだ。
「ははは」
乾いた笑いしか出てこない。
「兄上がレンドル学園に入って、テストで一番をずっと取っているので、僕もと思ったのですが・・・恥ずかしながら初めてのテストは3位でした。兄上には足元にも及びません」
ダニエルは頭を掻きながら、恥ずかしそうに笑う。
「ダニエル、順位なんて関係ないよ。その時に自分が出きる事を精一杯頑張ったかどうかさ。どうだ?悔いが残らないように、俺と一緒にもう少し勉強するか?」
話題を変えたくて、勉強の方に促した。
「はい、兄上と一緒に勉強できるなんて、嬉しいです!!」
ダニエルが嬉しそうに問題に取り組む姿は、俺が以前感じなかった兄弟の絆を感じる。
弟ってこんなにも可愛い存在だったんだな。
前は同じ所に住んでいたのに、俺も弟に興味もなかったし、ダニエルも俺を軽蔑して避けていたから、全く会う事がなかった。
今こんな風に過ごせて、暖かなものを感じる。
この関係を壊さないように、今度は気をつけよう。これは記憶が戻った時から気を付けていたことだった。
「ずっと以前の話ですが、宮殿に魔物が入り込み、僕に襲いかかった事があったでしょ?」
急にダニエルが話し出す。
「う~ん・・あったかな?」
あったような、なかったようなはっきりと思い出せない話だ。
「あの時、兄上が自分の腕を噛ませて、僕を守ってくれた姿が忘れられないんです。僕はへたり込んでいたというのに、身一つで僕の前に飛び出した兄上は、僕のヒーローです」
ああ、思い出した。記憶が戻ったばかりの時に、兎に角出来ること全て、がむしゃらにやり直したいと思ってて、ダニエルとの関係も少しはよくしたいと思ってた矢先の事件だった。
「あの時の俺は、無我夢中で何も考えてなかっただけなんだよ。褒め称えられることなんて、してないんだが」
そう言っても、ダニエルはその時の事を思い出して、とても嬉しそうだ。
そう言って話していたダニエルが、ちらりと俺を見てテーブルの上の教科書を急に片付けだした。
「ん? どうしたのだ? もう勉強を終わるのか?」
俺が聞くと、ダニエルが下を向いて答える。
「つい、兄上がお優しいので、甘えてしまいました。お喋りして兄上の勉強の邪魔をしていると気がついたので、自室に戻ります」
ダニエル付きの侍女が頷いているところを見ると、あまり長くここにいては俺の邪魔になると目配せして注意でもされたのだろう。
2歳年下の弟のしゅんとしている姿は、まるで構ってもらえなくなった子犬みたいで微笑ましい。
「俺は休憩するつもりだったので、ダニエルがここに来てくれて、いい気分転換になったよ。だから、全然いてくれてもかまわない」
俺の言葉にダニエルの顔に喜び色が広がる。
「っじゃあ、もう少し一緒に勉強していいですか?」
「ああ、かまわない。寧ろ一緒の方がやる気になる」
俺が言い終わらないうちに、ダニエルは隣でもう一度勉強を始めた。
ここで、俺はダニエルの一人称について、違和感を感じ考えた。
確か、ダニエルは前世では今のように『僕』と言わず『私』と言っていた。
しかも、ダニエルの教育係も以前は厳しいと言われた家庭教師だったが、今は緩い感じの家庭教師だ。
ああ、そうか・・。
俺があまりにも頼りないから、次男も抜かりなく厳しく育てる必要があったのだ。
何時でも俺とすげ替えれるように。
それに、ダニエルがこんなにも俺に甘えて来れる環境は、弟にとっても良いに違いない。
きっと前世では、クズ兄貴に頼らず面倒な派閥を黙らせて、自分が王太子に相応しくならねばならないと気を張っていたのだろう。
前世では気苦労をさせてしまったなと、反省する。
今度はいくらでも俺を頼ってくれ。
どんと受け止めて、一杯甘えさせてやろう。
兄としての自覚が芽生えた俺は、少しでも成長できたかな?