12 侍女は身悶えする
ルーナは俯いていたせいで、自分が俺の自室に運ばれているなんて、思いもしていなかったようだ。
生徒が大勢いる中で、抱き上げたのだ。恥ずかしがっていて、顔も上げられないルーナを、俺の部屋に運ぶのは簡単だった。
ふっかふかのソファーに下ろし、ルーナの顔の近くにあった手をそっとずらす。
この時は、本当にルーナが赤面している顔を見たい、というイタズラ心だけだった。
ルーナの顔は、熱に浮かされたように瞳が潤み、頬はピンク色。そして、困った様なハの字垂れた眉。
その可愛らしさに俺の思考回路がショートした。
バチバチとどこかで鳴っている。
耳まで赤い。
その耳朶を触る。
ピクリとルーナの肩が跳ねた。
そのまま俺はルーナの頬を撫でるがきっと思考停止したままだったと思う。
ルーナは驚いて何か言い掛けて口を開いたが、つい俺はその唇にも触れた。
柔らかい。
ルーナの口許から目が離せなくて、俺は自分の口を近付けていた。
その時、ルーナの見開いた瞳に映った。
そうクズの顔が。
俺は何をしようとしていたんだ?
ルーナを今世では幸せにすると決めただろう?
エティエンヌ王子に手渡すまで、大切に守らないといけないのに、俺が汚すところだった。
危なかった・・。
唇に触りはしたが、キスはしていない。つまりはセーフだ。
これ以上ルーナの近くは、俺は制御できる気がしない。
俺はそう思ってルーナから離れようとした。
が、ルーナが俺のジャケットの裾を掴んで離さない。
何か言いたげな、縋る様な・・。
どうしたのだろう?
まだ心配なのかも知れないな。
「大丈夫だよ。噴水の件はルーナが何もしていないと証明されているし、元々ルーナがそんな事をしたとは誰も思わないよ。だから、安心して」
「・・・・。あの、私・・ダメなのでしょうか?」
ああ、きっとまだ自分の事を低く評価しているのだろう。
「ルーナは頑張っている。俺の自慢の婚約者だ。ダメなことは何一つないよ。寧ろ、ダメなのは俺の方だ」
「え?」
俺の言葉に驚いたルーナが、ジャケットを放した。
「君は皇太子妃教育も小さい頃から頑張ってくれている。それに、聖女の祈りも長い時間を掛けてしてくれている。俺は君の頑張りを見過ごす事のないようにどんな小さな事も見ているよ。だから、なにが起きても君の真実を見つけられる。安心して欲しい」
「アレクシス殿下・・。」
ルーナが俺に抱きついて離れない。
ヤバイ。
俺のこの部屋のソファーはでかい。
つまりこのまま押し倒せば・・・。
俺の欲望がルーナの幸せを壊してでも思いと遂げろを囁く。
そうだ、ルーナは俺の婚約者だ。
自分のものにしてなにが悪い!!
それに、キスぐらいならそこらの子供でもしているぞ!!
婚約者にその先をしても・・・。
「だあぁぁぁぁぁ!!!!」
俺はルーナを抱き上げて、自分の部屋を飛び出した。
そして、そのまま廊下を突っ走る。
止まってはダメだ。
止まったら、『引き返してベッドに押し倒せ』という不埒な俺が唆して来る。
着いた・・・。
着いてしまった。
俺は勝ったのだ。
ルーナの寮の入り口に着いて、俺はルーナをそっと立たせた。
「今日は疲れただろう? 色々と厄介な事に巻き込まれたが、明日から何事もなく過ごせるようにしておくから安心してね」
俺は急に温もりがなくなった体を寂しく思いながら、そこで別れた。
そして、俺はその日の夜に熱を出した。
初夏とはいえ、噴水に入り濡れたズボンと靴のままでいたのだから、冷えて当然だ。
しかも、ルーナの事で熱くなったり冷や汗をかいたりして、精神的に疲れたのかも知れない。
しかも弱っている俺に追い討ちをかける侍従のトーニオ。
「今日の
「アレとは?」
アレが分からず聞き返すと、トーニオがわざとらしい大袈裟なため息を俺に聞かす。
「ルーナ様が『私ではダメですか?』と尋ねられた時の、殿下の返事ですよ」
「ああ、あの時の会話か。だから、ルーナはちゃんとやっていると励ましたではないか。それのどこにクソ長いため息をつく要素があるのだ?」
「そうじゃなくて・・殿下がキスしようとしてたでしょ?」
トーニオの言葉に狼狽した。
「おお俺はキスなんて、してないし、しようともしてない。それにその時お前いなかっただろう? どこで見てた? いや、あの時部屋に居たのは・・・」
俺はハッと振り返ると、澄ました顔の侍女が立っている。
トーニオに筒抜けだったのか・・。
いつにも増してトーニオの口調が強めだ。
「いいですか? 殿下の悪い所はルーナ様の事になると、慎重になりすぎる所です。もう少し積極的に動いて下さい。でないと私どもも我慢の限界です」
後ろの侍女もうんうんと頷きながら体を
虫が服の中に入ったのか?
何が限界なのか分からない。
考えると頭痛がしてきた。
「・・・悪いが、頭痛がしてきた。一人で寝かせてくれ」
これ以上、訳の分からないお説教を聞いていると余計に熱が上がる。
そう頼むとトーニオが、珍しくにっこりと微笑みながら「分かりました。今日はごゆっくりおやすみ下さい」と不気味なまでに優しい言葉を言って出ていった。
「不気味だ。この後眠れない程、沢山の書類を持ってくるのではないだろうな?」
そう思いながら目を瞑ると、すぐにうとうとし始め、眠りに就いたのだった。
誰かが俺の手を優しく撫でている。
その温もりが心地よい。
撫でられる度に体の辛さが消えていく。
前世の記憶が甦った。
ルーナが俺の婚約者と決まるもっと前、俺は王宮の庭園で走り回って転けて、膝を思いっきり擦りむいた。
皮膚の間に砂利が入り、しかも血が沢山出ていた。
チビの俺は、わんわん泣いていた。
あの時、傷口の回りを優しく撫でて治してくれた子がいたな。
侍女の格好をしていたから、王宮の侍女だと思っていたが、おかしくないか?
傷が魔法で治せるのは聖女だけ。
ああ・・・。
あの時傷を治してくれていたのは、ルーナだったのか。
幼くて何も知らない俺は、死んでやっとあの時の恩人を思い出せたのか。
「おれは・・本当に・・・だめな奴だな・・・ルーナ・・・ごめん」
夢現で前世のルーナに謝った。
「アレクシス殿下はダメではありませんよ。それに何をそんなに苦しんでいるのですか? 今だけは何も考えずにゆっくりとお休み下さい」
暖かな声が俺の手を擦っている。そこから、優しい春の風が全身に吹いているように気持ち良くなる。
「ああ、やっと・・・やすめ・・る」
その声に『休んで』と言われたら、全部許してもらえた気になって、ホッとした。
そして、俺が深い眠りに就く前に、俺の額に柔らかいものがそっと触れた。
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