ずっと好きだった幼馴染に恋人が出来た。
変わり映えのしない毎日に陰鬱とするようになったのは、いつからだっただろうか。いつも通りの朝。いつも通りの授業風景。そして、いつも通りの昼休み。
僕は一人、隅の席で母から受け取っていたお弁当を食していた。
高校生にもなって、クラスメイトは噂話や毒にも薬にもならぬつまらない話をけたたましい声で騒いでいた。
そんな連中の輪に、僕が交じることは多分これからも一生ない。交じりたくないと思っているわけではない。ただ僕は、大きな声で騒ぐのが好きではない。ただ、それだけだった。
騒がしいことが嫌いな僕は、周囲に対して思っていた。少しは静かに出来ないものか、と。高校生にもなって、恥ずかしい、などと思っていた。
「えぇー、じゃあ薫。恋人出来たんだ」
が、そんな周囲を見下す僕は、そんな彼らを馬鹿になんて出来ないくらい……取り乱した。
思わず、視線だけ黒板傍で机を囲んで昼ご飯を食べる女子陣に視線を寄越していた。その輪の中で、気恥ずかしそうに、嬉しそうに、頭を掻いてハニかむ少女の名前は……浅野薫。
僕と薫は、小さい頃からずっと一緒にいる腐れ縁。
またの名を、幼馴染。
そして僕は、そんな腐れ縁で幼馴染である薫に、恋をしていた。
そして僕は、そんな恋心を抱く少女の浮いた話に、ショックを隠すことが出来なかったのだ。
僕達の関係は、僕達の両親が新興住宅街に隣同士に家を建てたことをきっかけに形成された。東京都の隣県。そんな場所の更に街はずれに出来た新興住宅街は、当時三十代の僕達の両親のお財布事情を以て、少し無理をすれば手が届くくらいの、そして多少無理をしてでも手を出す価値のある、それだけの資産価値のある物件だった。
故に、僕達の出会い、関係は、運命と呼び難いものだった。でも、それから今日まで小学校、中学校、高校と一緒の学校に進み、その間も特段喧嘩もなく仲良く生活出来たのは、運命と呼んでも良いのでは、と僕は少し思っていた。
小さい頃から、僕は引っ込み思案な性格をしていた。公園に行けば、楽しそうに快活に遊ぶ同年代の子供達に声をかけられず、一人砂場でお城作りに勤しむ、そんな内向的な子供だった。
『何やってるの、タツロー君』
そんな僕にいつも優しく声をかけてくれたのが、薫だった。彼女は優しい人だった。僕が一人で寂しそうにしていれば声をかけてくれたし、遊びに誘ってもくれたのだ。
そんな少女に恋をしたのは、いつ頃の話だったか。
おぼろげに覚えているのは、まだ小さい頃、僕の両親が葬式で家を空けた時、僕が彼女の家にお泊りすることになった日のことだった。
『大丈夫だから』
幼稚園に入る前、それくらい小さかった頃の僕は、他人の家で泊まるのも、両親のいない場所で過ごすのも、あまり経験のないことだった。だから、情けなくも薫ちゃんの前で泣き腫らし、そうして彼女に慰められる時間を送った。
多分、その時だった。
献身的な彼女に。
両親以外に初めて頼れる人、と思った彼女に。
僕が、好意を持つようになったのは。
それからは、気付けば薫を目で追うようになった気がする。彼女に対してだけは内向的な性格も改善していたし、彼女といつまでもずっと一緒にいたいと思ったものだ。
『ねえ、達郎』
そして、僕達は一つの約束を交わした。
まだまだ小さい、確か小学校二年の時に交わした……今では時効になっただろう約束。
『あたしの恋人になってくれませんか?』
初めて聞いた彼女の敬語。頬を染め恥ずかしそうにする彼女に、僕は気付いていなかった。
ただ、僕はそれに二つ返事で応じることにした。それはただ……僕が彼女のことが、好きだったから。それだけだった。
でも僕は思っていたのだ。
いつまでも色褪せることのないその記憶は、僕の中には永遠に残り続けるだろうが……彼女の中で、同じだとは到底思えなかった。彼女は人気者だった。我が校内でも群を抜いた美貌と、愛嬌と、そうして親しみやすさと。
まさしく、人として大切なものを全て掌握したような……言いにくいが、僕とは正反対の人だった。
そんな彼女の微笑みをクラスの隅っこで見るようになったのは、いつ頃からだったか。
そんな彼女の微笑みが。
前まで独占できていた微笑みが……。
僕だけのものでなくなったのは、いつ頃からだったか……。
だから、僕は思ったのだ。
いつか、彼女は僕とのそんな幼少期の約束を忘れていくのだろう。
いつか、そんな幼少期の約束は彼女の中で思い出にも残らず、消え去っていくのだろう。
ただ、思ったよりもその時は早くやってきた。
やってきてしまった。
……気付いていないだけで、兆候はあったのだ。
高校に入り、彼女と一緒の時間は激減していた。前までは毎日会っていた。夕飯時になれば、僕達はどちらかの家に行き、ご飯を食べて、そのまま遅くまでどちらかの家で宿題をこなすことに耽っていた。
でも今では、そんな薫との時間は……どちらかの家で食べる夕食の時くらいになった。前みたいに一緒に勉強しようと僕は彼女に言うのだが、どうも毎夜用事があるらしく、断られ続けていた。
今思えばあれは……。
楽しかったあの頃が、あの時間が……酷く懐かしい。
……どうして。
どうして、薫は僕を捨ててしまったのだろう。
女々しい思考に陥って、まもなく僕は気付いた。
捨てた、のではない。
元々僕達は、恋人でもなければ許嫁でもない。将来を誓い合ったわけでもなければ、結ばれる運命の元にあったわけでもない。
元々、結ばれる運命なんて、なかったのだろう。
……でも。
でも、仮にそんな運命になかったとしても、僕にはこれまで何度も何度も……何度も、チャンスはあったはずなのだ。
内向的な性格だから。
騒ぐことが嫌いだから。
そんな言い訳染みた考えで、目の前に転がってくるチャンスを棒に振ったのは僕なのだ。
好意を抱いていたならば。
一生一緒にいたいと思っていたならば。
変わる決断を、どうして出来なかったのか。
その癖、努力を怠って、捨てられたと騒ぐだなんて……。
……なんて、おこがましいのだろうか。
自室。
そろそろ夕飯時だと言うのに、腹は空いていなかった。元々小食ということもあるが、今日はいつもの日ではなかった。
一階のリビングから、香ばしい匂いが漂っていた。
……いつもなら。
これまでなら。
そろそろ、薫が僕を呼びに部屋にやってくる頃だった。
でも……。
もう、これからは……彼女は我が家にやってこないだろう。
トントン
扉がノックされ、開かれた。
母だろうか。
そう思った僕は、目を疑った。
「達郎、ご飯だよ」
そこにいたのは。
僕の部屋の扉を開けたのは……。
薫だった。
どうして。
どうして……まだウチに来るのか。
恋人が出来たのに。
好きな人が出来たのに。
どうしてウチで、夕飯を食べるつもりなのだろうか。
「うん」
様々な気持ちが入り混じり、僕は結局、全ての言葉を引っ込めた。整理のつかない頭で尋ねて、失態を犯すのが怖かった。
夕飯は、コロッケだった。薫が、一番好きなメニューだった。
「美味しいっ」
微笑む薫。
「ありがとう。ウチの男どもはあまり美味しそうにご飯を食べてくれないから、薫ちゃんにそう言ってもらえると本当嬉しい」
そんな薫に、母が微笑んだ。
いつも通りの我が家の食卓の光景だった。
母がいて。
父がいて。
僕がいて……薫がいる。
いつまでもこんな光景が続けばいいなと思っていた。
でも、もうこの光景も終わる。
そう思っていた。
なのに、未だこの光景は続いてる。
どうして。
どうして、この光景は続いている……?
薫には恋人が出来た。好きな人が出来た。想い人が出来た。
その人と結ばれることがあるのかはわからない。でも、間違いなくわかったことがある。それは彼女が、僕なんかにこれから目線を寄越してくれることは多分ないこと。
彼女は人気者だ。
女子からは頼られ、男子からは見惚れられるそんな人。
皆が彼女を頼る。
皆が彼女を必要とする。
僕とは違い……薫は、皆に好かれているのだ。
だから彼女がもう僕を見てくれることなんて……!
「薫、ちょっといい?」
積もった感情が爆発したのは、夕飯を食べ終わってすぐだった。
美味しそうにご飯を食べていた薫を呼び止めると、薫はえーと唸った。
「まだご飯食べてる」
「早く食べて」
「ゆっくり食べたい」
「……じゃあ、部屋にいる」
悶々とする気持ちで自室に戻り、一人頭の中を整理していた。でも浮かんでくる感情も言葉も、さっきまで浮かべていたものと何ら差支えはなかった。
トントン
ただ少し間が空いたせいで、僕の中で良心が芽生え始めていた。このまま彼女と話して、彼女を傷つけないことが出来るだろうか。
多分、無理だった。
溢れる感情はもうせき止められない。溢れる気持ちは、もう悲壮めいている。
もう、無理だ。
……でも。
……僕は別に、彼女を傷つけたいわけではなかったはずじゃないか。
「どうしたの、達郎?」
扉を開けて、顔だけひょこっと覗かせた薫に、僕は言葉を引っ込めた。彼女を傷つけたくなくて、引っ込めた。
「誰なんだ?」
……ただ、せめて教えて欲しかった。
「お前の恋人って……一体、誰なんだっ!?」
一体、誰が薫のお眼鏡に叶ったのか。
一体、薫は誰のことが好きになったのか。
それさえ聞けば……聞ければ、多分、諦められると思った。
そんな僕の気持ちを汲んで、薫は相手を教えてくれるらしかった。
……薫が指さした人は。
「ん」
僕だった。
「……ん?」
僕は首を傾げた。
毎夜一緒に夕飯食ってる時点でな。
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