17 少年は笑いを堪え
時々思う、
はるは馬鹿だって。
「はる?道はそっちじゃない」
「…そう」
「そう、じゃなく、知らないなら知らないって言えよ。っつーか、勝手に進むな」
「…だって」
「だってじゃねーよ。俺がナビしてるんだから、俺の後について来いって」
「…遅い」
「ちゃんと手紙を読んで間違わずに進まないとひどい罠に嵌まるんだって聞いたよな。だから仕方ないだろ。じゃ、お前読むか?」
「や」
「面倒なんだろ。じゃあ我慢しろ」
夕暮れ時から夜に移ろう時間帯に迷路のような薄暗い地下街で何をしているかといえば、地下に住む土神子に逢いに来たのだ。
土神子とはその土地土地を護る神であり、その土地の中では絶対的な力を持つ。
ただ、所謂一般に知られている神と異なるのは力がその治める土地に依存しており、滅多に守護地から離れる事はないし、離れたら殆ど力を使えない。
それに土神子は普段守護者として力を使う事はなく、土地の一大事にだけ強大で絶対的なその力を行使する、極めて温厚な性格だ。
土神子の住み処間での道が込み入っている事といったら。
俺がいなければはるには辿り着けなかったのではと思う。
歩く事、数刻。
罠に嵌まる事なく無事にしかしお互い飽き飽きしてきたころ、やっと社にたどり着いた。
「こんばんは」
靴を脱いで上がる。
ひんやりとした床。
人気は無いのに塵一つ無く。
扉の向こうに居たのは小さな子供だった。
「土神子様?はるひです。こんばんは」
はるがまず声をかけた。
「ありおみです。こんばんは」
俺も挨拶して頭を下げる。顔をあげると子供は俺達の目の前に音も無くやってきていた。
「こんばんは。はじめまして。私は土神子」
そういうと子供は俺達の手を引き中に入れた。
座布団が有り、どうやら座れということらしい。
腰をおろすと、温かいお茶が何時の間にやら出されていた。
「アンリとネルのお弟子さんなのですね。彼らは果たしてお元気ですか。」
最初に口火を切ったのはにこにこと笑う土神子だった。
「凄く、凄く、心配要らない程、元気、です」
はるが答える。
一見可愛い子供だが、その実恐らく見掛けの何百倍も年をとってそうで、侮れない。
しかし、はるはそんなこと全く気にしないのだろう。
「それは大変結構な事です。さて、貴方達はどうしていらっしゃったのですか?」
当然聞かれるべきだろう質問を土神子が投げ掛ける。
「この、土神子様の土地で、自然の理に従う魔女として生きる挨拶をしに。魔女はるひはこの地に害なす事なく、枯らす事なく、陰する事なく、惑わす事なく、ただこの地の理に従い流れに従い風に従い時節に従い、願わくばこの地に恵みをもたらさんことを」
はるの後に俺も言葉を続ける。
「この、土神子様の土地で、世界の理を求める魔法使いとして生きる挨拶をしに。魔法使いありおみはこの地を滅する事なく、疲弊する事なく、搾取する事なく、隠蔽する事なく、ただこの地の理を追求し流れを模倣し風を解析し時節を分類し、願わくばこの地に恵みをもたらさんことを」
土神子は幼さには似つかわしく無い神々しい笑顔で言った。
「若き魔女と魔法使い。この地は貴方がたを歓迎する。自然の恩恵は絶えなく貴方がたを包む事を約束しよう」
土神子は軽く両手を打った。
その瞬間、しゃらんと鈴の音が響いた気がした。
みると、土神子は神々しい雰囲気は消え無邪気な笑顔で笑っていた。
「有難う、土神子様」
はるも笑顔で御礼を述べる。
やっぱ可愛いよな、こいつ、とか思って見ていたら、どつかれた。
「御礼」
仕方無く居住まいを正して御礼を言う。
「有難うございます。以後よろしくお願いいたします」
土神子は笑って頷いた。
「では私から貴方がたにささやかながら一言を」
そう言うと土神子はまずはるの耳元で何か囁いた。
何を言ったのかはわからない。
はるの表情に変化は無く。
ただ、一瞬空気が揺れた気がした。
先見の得意とされる土神子の言葉である。
余計な事を言っていなければいい、と思う。
そして、今度は俺の傍に来て、耳打ちした。
「貴方は何かを失うのでしょう。私なんぞが言わずとも判っているのでしょうね。けれど、うまくいきますよ」
煩い餓鬼だ、そう心中で呟く。
はるの前では何もする気はないが。
きっと俺の気持ちなどお見通しだろうに無邪気な笑みを浮かべた土神子。
はるを見る。
先刻と変わらず笑っている。
なんだか疲れて溜息が零れた。
それから暫く三人で談笑していた。
正確には、二人が話し俺はそれを黙って聞いていだけだが。
どれくらいの時間が経ったのかはわからないが、土神子は帰りを促し始めた。
「さて、そろそろ闇の帳も下りきった頃ですね。これ以上は危ないですからお帰りなさい」
そう言って、土神子が戸を開く。
もとから薄暗かった道が真っ暗闇に包まれていた。
もう既に危険なのでは、という思いが過ぎった。
まぁ、はるを危険な目に合わせやしないが。
「土蛍が地上までしてくれますよ。着いていって」
土神子が手を開くと掌から淡い光が浮かんで俺達の足元を照らした。
「綺麗。有難う、土神子様」
はるが言う。
「私も御礼を言わせて下さい、はるひ、ありおみ。久しぶりに楽しい時を過ごせました、有難う。私の名は赤銅。またいらして下さいね」
そう言う土神子の様子が余りに子供らしく、神ってのはこんなもんか、と先程の苛立ちはどうでも良くなってしまった。
良かれあしかれ、正直で真っ直ぐな存在。
したい事をし、言いたい事を言う。
ただそれが厳しく優しい、のだろう。
自然のように。
「有難う、ではまた」
そう言うと俺は立ち上がり、はるも立たせ、土蛍の近くに寄った。
柔らかい光は雰囲気と揺れ、少しずつ動き出した。
そして、可愛いらしく手を振る土神子に見送られながら俺達は社を後にした。
漸く地下から地上に戻ると空はとうに暗く、細長い月がほのかに辺りを照らしていて。
「はる、こっち向けよ」
戯れに唇を重ねてみたり。
真っ赤に染まる頬。
それすらも愛しく。
無言で前を向き、すたすたと歩く彼女。
「はる、なぁこっち向けよ」
背中から全身から振り向かないという思いが伝わってくる。
「はる」
少しだけ困った声を出して。
「頼むから、こっちを向いてくれ」
うん、やっぱり振り向く。
時々思う、
はるはほんとに馬鹿だって。
切実に。
愛しく。
人の心中を察するのに長けた優しい優しい彼女は尚且つ俺にべた惚れで。
もう一度口付けて、抱きしめる。
真っ赤になりながらさりげなく抵抗している彼女はこの上なく可愛く。
「…おみ、何かあった?」
馬鹿だけど、とてつもなくかんがよく賢い少女。
彼女の優しさにただただ俺は笑いを堪え抱きしめる。
「ねぇ」
今のあまりの幸せさが。
微かな罪悪感すらも埋めつくし。
唇を唇で塞ぐ。
十六夜だけが見ていた。