09 赤い窓、軍服
「つまらない、つまらないよ、はるひー」
林檎が寝台の上で暴れ騒ぐ。
「林檎、それ私のベッド」
そう、林檎には林檎用の寝台を用意してるのにも拘わらず、私の寝台に潜り込み寝るのだ。
「はーるー、ねぇ、ひまー」
最近意思の疎通がかなり上手くいくようになった。
そしたら林檎はいい話し相手ができたと思っているらしく、ここぞとばかりに喋るのだ。
実は、うるさい。
…嬉しいけど。
「ねぇ、飽きたんだ、ねぇ、毎日毎日ずっと閉じこもっているばかりだから」
因みに、林檎は私が返事をしてもしなくても構わず喋り続ける。
聞いてるってわかるから、それでいいのだそうだ。
「だって毎日ひどい雨だから、出れないよ」
そう返事しながら外を見遣るとやはり雨。
しかも『ぽつぽつ』どころじゃなく『じゃーじゃー』とまるでシャワーだ。
なのに林檎はしつこくいう。
「違う、はるひ。『出れない』じゃなく『出ない』だ」
限りなく正論のように聞こえるけど断じて違う。
「違わないよ。こんなひどい雨なら出れない。風邪ひく」
そう返しても林檎は譲らない。
「傘させばいい。シャワーだと思って帰ったら暖かくしたら大丈夫、だから」
考えてみればここ三週間全く林檎は外に出ていない。
中途半端に強い魔力を秘めた林檎はまだ一人で出歩くには早いからと機会を見計らっていたら、連日の雨で出れなかったのだ。
鬱憤が溜まるのも仕方ない三週間。
ひどい、ひどい雨だけど。
仕方ない。
私も行きたい、し。
「わかった。散歩行こう」
傘をさし、合羽を着て完全防水。
林檎は槍のような雨にも関わらずたったか走ってゆく。
人影の無い街。
雨は確かにひどいけど、段々心が浮足立ち、雨音が音楽に変わり始めた。
「探険しよう」
どちらともなく言い出し、今まで行ったことの無いような路地にどんどん入って行った。
住宅街があり、図書館や美術館を過ぎ公園を横目に歩く。
暫くいくと並木路の坂があり少し小降りになった雨のなか黙々と進んだ。
やがて小綺麗な洋風の建物が並んでいて、でも欧州には珍しい木造で。
まるで旧い時代の映画のセットのよう。
「林檎、綺麗だね」
ぽつり呟くと林檎が尻尾を揺らし賛同する。
ずっと進むと、ふと目に飛び込んで来た真っ赤なものに目を奪われた。
何だろう。
よく見ると、窓だった。
欧州でよく見掛けた出窓。
こんな真っ赤なものは始めてだけど。
ただあんまり綺麗だから、立ち止まって見取れてしまった。
林檎も隣に並ぶ。
するとそこに人影が見えた。
と思うや否や窓が開かれた。
雨はいつの間にか止んでいる。
見上げる私。
清々しいまでに真っすぐな視線に射られる。
「貴殿ら何をしている。晴れやかな空の下、うろつくのは危険だ」
静かだが、よく透る声が予想外の事態にぼんやりしている私に降り注ぐ。
「雨に隠れて動くならともかく、晴天が続くからといって油断してはならない。」
この人は言葉はなんかおかしい。
そう思うけれど、頭は不思議とぼんやりしていて。
突然、サイレンが鳴り響いた。
「いけない!貴殿、中に入るんだ」
そう叫ぶや否や若い軍人は出窓を閉めた。
このサイレンは悪い事の予兆で、逃げなければと思う。
でも、足が動かない。
自分のものではないみたいに。
ガチャ。
人形のような私の目の前の扉が開かれた。
そこにはあの出窓の所にいた軍人が立っていた。
「ほら、おいで、危ない」
差し延べられた手。
投げ掛けられた声。
鋭いけれど優しくて。
無意識のうちにふらりと足が動く。
「はるひ、取るなら、おみの手を」
林檎の声が聞こえた。
姿を捜す。
見つからない。
「はるひ、ここ」
どこ?
見つからない。
ねぇ。
「呼んで、名前」
声だけが。
「おみ!林檎!」
夢が醒めたように。
目の前におみが傘をさして立っていた。
広い傘は二人を裕に守り。
そして何故か私は傘を持って折らずびしょ濡れで。
「はる、帰るぞ」
そう声をかけられても、足が動かず、ただ切ない気持ちで一杯だった。
そんな私を見て、おみが手を引いてくれた。
触れた瞬間に切なさは消え、足が動き出した。
沈黙を優しく包む雨。
温かい手。
「あ、そういえば、林檎は?」
「林檎?あいつなら家に居る」
「俺を呼びに来たんだよ」
「呼びに?それでなんで…」
「あいつは外に出るなって言われていたにも関わらずしょっちゅう寝たふりして外に出ていたんだよ。
にも関わらず、こんな天気と魔力の不安定な日にお前まで巻き添えにして外にでやがって。
案の定、ただでさえ不安定な魔力が林檎に引きずられて乱れてな。
眠っていた想い出をたたき起こしたのさ」
「想い出?ってさっきの人?」
「恐らくは。俺はそれに巻き込まれていないから、見ていないんだ」
「そうなんだ。若い軍人の人が…」
「俺には森の中でぼーっと突っ立ってるお前しか見えなかったがね」
「森?」
「ああ」
「でも確かに赤い出窓の綺麗な洋館が有ったの」
「そうか」
「本当に本当だよ」
「ああ、そうかも知れない」
「本当だって」
「わかってる。でも、全部森の記憶さ」
「…」
家に帰ると林檎が呪文と魔法陣でがちがちに固められたケージに入っていた。
中には十数日分の餌。
きっとこれが無くなる頃には魔法が切れて外に出られるだろう。
「ごめんなさい、はるひ」
本物の犬のように首輪をつけられた林檎がしおらしく謝ってきた。
「うん、いいよ」
「じゃあ…」
「駄目。おみの魔法陣は強力だから私はさわれない」
くうーん
「しおらしくしても無理」
くうーん
ということで、暫く林檎は箱詰め生活となった。
森の記憶は結局はなんだかわからないままだけど、あれ以来二度と赤い窓と軍服には出会えていない。
あの時感じた切ない思い、いつか空に帰りますように。