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8話 ブラックシャドウ

 三つの月が妖しく輝き、夜空に薄い雲が漂っている。草木は静かに、そして深く眠り、砦の周囲はひっそりとした静寂に包まれている。

 バードロック砦の司令官であるキースがふと目を覚ますと、明らかに兵士でない男が枕元に立っていた。


「──ッ⁉」

「騒ぐな。騒げば命はないと思え」


 見たこともない異質な黒装束を身に着けた男の声は、静かだが有無を言わせない迫力があった。抗うための剣は手元になく、たとえ剣が手元にあったとしても斬りかかったら最後、返り討ちで終わると本能が告げていた。


 キースは素早く二度頷くことで抵抗の意思がないことを伝えると、黒装束の男は手にしていた何かを突きだした。


「これが何かわかるか?」

「……それはッ⁉」


 わからないはずがない。見間違うはずもない。窓越しに届く淡い月あかりに照らされたそれは、これまで自分たちを散々苦しめてきた魔将バルガ、その首だった。


「状況を理解したようだな」

「……魔将バルガを殺せるやつなんているはずがない」


 リーンウィル王国の切り札であった炎の勇者は魔王にあっさり殺された。星光教会を守護する聖輪騎士団、そして精鋭たるナイン・オブ・ラウンズも全滅したと聞いている。手練れの冒険者もそのほとんどは魔族の手にかかって殺されたらしい。 

 それだけに人族を蹂躙じゅうりんし続けてきた憎きバルガの首が眼前あってなお、にわかには信じることができなかった。


 黒装束の男の声が冷たく響く。


「だがお前の目の前に現実がある。それが全てだ」

「……現実は理解した。しかしバルガの首を俺に見せつける理由がわからない。お前の目的はなんだ?」


 自分の命がほしいのならとっくに奪っているはず。懸賞金がほしいのであれば、わざわざ危険を冒してまで砦に忍び込む必要はない。冒険者ギルドに持っていけばそれで済む話だからだ。それだけに男の意図がまるで読めず、キースの困惑は増すばかりだった。

 黒装束の男は言う。

 

「俺の目的などどうでもいいこと。お前はただ俺の言うことを愚直に実行すればそれでいい」


 キースは黒装束の男を刺激しないようベッドからゆっくり上半身を起こし、


「一体俺になにをしろと言うのだ?」


 黒装束の男は指を三本立て、


「三日後、お前たちの王をこの砦に呼び寄せろ」


 黒装束の言葉に、キースは一瞬声を失った。


「何を言うのかと思えばよりにもよって王をこの砦に呼べだと? 王をなんだと思ってるのだ? とても正気とは思えん」


 たとえ無能でも王は王。一介の臣下にそんな真似などできるはずもない。仮に実行できたとしても、王が砦に来ることは絶対にない。


「お前の価値観などどうでもいい。目前に迫る脅威を取り除いてやろうと言ってるんだ。そう邪険にするもんじゃない」

「目前に迫る脅威だと? ……どこまでこちらの事情を知ってるのだ?」


 黒装束の男はキースの質問には答えず、


「バルガの首を王に届けろ。そして俺の言ったことを余すところなく伝えるんだ。三日後、また来る」


 偵察に出している部隊から、魔王軍の先遣隊がバードロック砦に姿を見せるのは四日前後との報告を受けている。これは最新の情報でありすでに箝口令も敷かれている。兵士でもない者が知っているわけがないのだ。


(だがこの男は確実に知っている)


「お前は……お前は一体何者だ?」

「──ブラックシャドウ」


(え? なんで声質が急に変わったん……)


 異音とも呼べない異音が聞こえたような気がしてキースは反射的に顔を上げるも、目に映る天井におかしなところはない。


(気のせいか……)


 視線を元に戻したときには、ブラックシャドウと名乗った男の姿はどこにもなく、ただバルガの首だけが冷たい床に転がっていた。



 


 東の空が白み始めようとしていた。

 

 

「さて、あの男は俺の思惑通りに動いてくれるか」


 というか動いてくれないと最悪無報酬で働くことになる。

 そうなったら絶対文句言われるしなぁ……。


 バードロック砦を眼下に見ながらそんなことを考えていると、俺の護衛のためについてきた蓮華が腹に手を当ててうずくまっていた。


「どしたん? 腹でも痛いのか?」


 そう声をかけた途端、


「むり! もうむり! お前は一体何者だ? ──ブラックシャドウ、キリッ! ブラックシャドウってなに! ねえ小太郎様ブラックシャドウってなんなの! 黒い影なの! 影は黒いもんでしょ! そんなパワーワード卑怯だわ! し、しぬぅ。このままだとあだじ笑いじんじゃううぅぅ!!!」


 涙目でヒーヒー言いながら地面をバンバン叩く蓮華。


 ……もうこいつはここに埋めてしまってもいいんでなかろうか。



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 三日後。


 いよいよ魔王軍の先遣隊がバードロック砦の目と鼻の先にまで迫り、砦を守る兵士たちの緊張と不安は否応なしに高まっていく。

 その兵士たちとは別に屈強な近衛兵に守られながら椅子にふんぞり返るこの男こそ、リーンウィル王国の統治者──ジェスター王その人である。


「おい、ブラックシャドウとやらはまだ来ないのか!」


 苛立った王の言葉に、近衛兵の視線は自然とキースに集まっていく。

 キースは魔将バルガの首を(ともな)う形で王に拝謁(はいえつ)し、自身の身に起きたことを包み隠さず話した。

 王は最初、断固として砦に行くことを拒否していた。説得を重ね、最終的には渋々ながらも了承したわけだが、説得が功を奏したと言うよりは王自身が追い詰められている自覚があるからだろうとの結論に至り、そして今につながっている。


「たとえいかなる理由があろうとも王をこれ以上ない危険にさらしたことは事実。もしその男が来なかったら命の保証はないと思え」


 近衛兵を束ねる隊長であり、腐れ縁の仲でもあるマインが凄みをきかせてくる。


「そんときは煮るなり焼くなり好きにしてくれ。抵抗はしない」


 どのみち砦が落ちたらリーンバレス王国はおしまいだ。

 王に殺されるのも魔族に殺されるも、どちらも等しく死であることには変わらない。覚悟などとうにできているが。

 

 (それにしても本当に遅い。俺はいいように踊らされただけなのか? いや、そんなことをしてあの男になんのメリットがある。あの男は、ブラックシャドウは三日後に来ると確かにそう言った。──いや、しかし……)


 ブラックシャドウが現れる気配は一向になく、空が徐々に赤みを帯びていく。あと数時間もすれば夜を迎えるだろう。

 

「どうやら一杯食わされたようだな。──キース、覚悟はできておろうな」


 王がキースに対し隠すことのない殺意を向けてきたまさにその時だった。


「もう来てるっす」


 近衛兵の一人から発せられた思いもよらない言葉に状況が一変する。


「何者だ!」


 マインが王を庇うように前面に立つ。近衛兵に囲まれた声の主は、しかし動じた様子を一切見せることなく王に話しかけた。


「みなさんお待ちかねのブラックシャドウっすよ~」


 場違いなほど飄々(ひょうひょう)とした態度。まるで世間話でもするかのような口調からしても、枕元に立ったあの男とは明らかに違う。

 だがブラックシャドウと名乗ったからには、あの男と無関係であるはずもない。


「ふざけた真似を……来ていたのならなぜさっさと姿を見せぬ! どれだけ余を待たせたと思っているのだ!」

「あれ? 時間までは約束していないっすよね?」


 ブラックシャドウは悪びれもせずに言う。

 王はブラックシャドウを睨みつけながら、


「──貴様、どういう了見でいまだ立っている?」

「は?」

「は? ではない! 貴様の目の前にいるのは第三大陸を統べる王であるぞ! さっさとひざまずかんか!」


 臣下でも臣民すらでもないであろうブラックシャドウに対してひざまずくことを強要する王を見て、キースは乾いた笑いを堪えることができなかった。

 が、すぐにその笑いを消すことになる。目ざとく気づいたマインに睨まれたからではない。ブラックシャドウの雰囲気が先程までとは明らかに変わったからだ。

 

「──俺がかしずく相手はひとりだけ。お前じゃない」


 これまでの飄々とした態度は霧散し、口調も一変した。


「ッ! 王である余に逆らうつもりか!」


 王は怒りを露わにして叫ぶ。その声には明らかな震えが混じっていた。


「素直に助けてくれと願えばいいものを無駄に逆らっているのはお前のほうだろう。あまり図に乗るな」

「貴様こそ図に乗るな! これだけの兵士を前にして無事に帰れると思っているのか?」

「簡単なことだ。なんなら今からやって見せようか?」

「なっ……⁉」


 ブラックシャドウの言葉がはったりではないことは、キースにはわかりすぎるくらいにわかる。それほどの威圧感がブラックシャドウの身体から滲み出ていた。

 ひりつく空気のなか、ブラックシャドウはあからさまに溜息を吐いた。


「お前が態度を改めないつもりなら俺はこのまま帰らせてもらう」


 一切の躊躇(ちゅうちょ)なく立ち去ろうとするブラックシャドウにさすがの王も焦りを覚えらしい。王は見たこともないほど顔を真っ赤にしながらも立ったまま話すことを許し、ブラックシャドウを追い払うように手をひらひらとさせた。


「もういいから魔王軍をさっさと倒しにいけ」

「王ってやつはみんなこんななのか? 本当におめでたい頭をしてる。お前ごときが俺に命令できる立場にあると思うなよ」


 凄むブラックシャドウは、手にしている槍の柄をドンと床に叩きつけた。王はビクッと身体を震わせ、近衛兵たちは焦りながら槍を構え、ブラックシャドウに穂先を向ける。

 慌てたキースが止めるよりも早く、ブラックシャドウが口を開いた。


「ひとつ芸を披露しよう」


 キースも、ここにいる誰もが唐突なシャドウの言動に困惑を覚えていたのは間違いないだろう。

 ブラックシャドウは無造作に槍を放り捨てると、十字のような形をした奇妙な物体を懐から取りだす。職業柄、それが投擲武器だとすぐにわかった。


 ブラックシャドウはキースから見て左、緊張した面持ちで槍を構える三人の近衛兵に目を向けた。


「動くなよ」


 ブラックシャドウが腕を一振りすると次の瞬間には槍の穂先が全て砕かれ、代わりにブラックシャドウの放ったそれが深々と突き刺さっている。

 近衛兵は小さな悲鳴を上げて尻餅をついた。


「楽しんでもらえたようでなによりだ」

「貴様……それで余を脅しているつもりなのか?」


 ブラックシャドウは王の言葉を無視して話を続けていく。


「あらためて不安を解消するための条件を伝える」


 歯噛みする王にブラックシャドウが示した条件は一つ。砦に迫る魔王軍を退けるにあたり、100億ルーラの金を用意しろというものだった。

 王は弾かれたように玉座から立ち上がった。


「ひゃ、ひゃくおくだとおおっ⁉」


 間もなく室内はどよめきで満たされる。

 ブラックシャドウが金銭を要求してくることは、数ある可能性のひとつとして考えていた。

 金で済むなら冒険者と変わらない。キースとすれば後腐れもなく望むところではあったが、それでも突き付けられた金額は予想のはるか上をいっていただけに、ドケチで知られる王がブラックシャドウの条件を飲むとはとても思えなかった。


「ふざけるのも大概にせい! 100億も出せるわけがなかろう!」


 キースが考えていた通り、王は即座に拒否してみせる。


「むしろ出さないことを俺は望んでいる。魔族に殺されるお前の最後を間近で楽しむことができるからな」


 冷酷無比なブラックシャドウの言葉が、この場にいる全員を凍らせた。


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