5話 道中は危険がいっぱい
廃村を出発した俺たちは、ミザリの街を目指してのんびりと山道を歩いていた。
青葉と湿った土の匂い。遠くには雪を頂いた山々。満開に咲く薄桃色の花が林立する光景に、そろそろ桜が咲く時節だなと風魔の里を思い浮かべる。
「今ごろ里は若様が突然いなくなったことで大騒ぎになってるでしょうね」
空の荷車を引く猪助が思い出したように言い、段蔵が続く。
「修練場には俺たちしかいなかったわけだし、神隠しにあったと思われていてもおかしくはないな」
修練場で早朝の稽古に励んでいたとき、突然視界が漆黒の闇に染まった。地に足がついている感覚もないまますぐに意識が飛び、ようやく意識が戻ったときにはあの有様だった。
「べつに小太郎様がいなくても大騒ぎなんてしないでしょ。だっていてもいなくても変わらないんだから」
「俺、頭領。風魔の頭領だよ?」
「フォッフォッフォッ」
なぜか竹とんぼを作っている幻爺を横目に、俺は先代の風魔小太郎である親父のことを思い浮かべていた。
「親父殿はまだまだ元気だし、実際俺がいなくても困ることはなさそうだ」
隠居する年齢でもないのに第24世風魔小太郎の名を継がせたのは、絶対に楽をしたいだけだと俺は思ってる。ここ最近は屋敷に仕える女中の尻を変質者まっしぐらな顔で追いかけ回しては、蹴っ飛ばされている姿しか目にしていない。
ほんと親父も大概だよなぁ……母さんはなにがよくてあんな親父と結婚したんだ? 女中を追っかけ回す親父をいつも楽しそうに見てるだけだし……。
俺が深い溜息をこぼしていると、
「多分胡蝶あたりは必死になって小太郎様を捜していると思うわよ」
蓮華がさらりと聞き捨てならないことを言った。
胡蝶は風魔の里でも指折りの器量よしで知られている。言い寄ってくる男だってひとりやふたりじゃないはずだ。
そんな彼女が自分のことを必死になって捜しているだって?
「それってどういうことかな?」
ちょっとドキドキしながらも表情だけは努めて冷静を装いつつそれとなく聞き返す俺に、
「頼んだ屋根の修理を中々してくれないって会うたびに愚痴ってたから」
「……あ、そういうことですか」
「そういうことって小太郎様はどういうことだと思ったの? ねぇねぇ教えて?」
ニヤニヤと俺を見てくる蓮華をひっぱたきたい。
しばらく道なりに進んでいると、前を歩いていた蓮華が道端にちょこんとしゃがみこんだ。
「小太郎様、みてみて」
タンポポの綿毛のような植物を手にした蓮華は、艶のある唇を綿毛に寄せると瞳を不自然なまでに潤ませてフーっとする。
綿毛はフワフワと空を舞った。
「どう?」
「や、どうって聞かれても引くくらいに似合わんとしか思わんが」
「なんでよ!」
運命の人であるフィアナが今の蓮華と同じことをしたら、きっとメテオ級の破壊力があるだろう。要するに萌え死ぬ。黙っていれば蓮華も美人枠に属しているのだが、口の悪さと気の短さが全てを台無しにするというお手本のような存在だ。
性格って顔以上に大事だよね。
「今から殴る。抵抗はするな」
「普通するよね⁉」
小気味よく繰り出されるジャブをひたすらかわしていたその時、人とも獣とも違う妙な気配を感じて気配のする方向に視線を向けると、そびえ立つ岩壁に張り付くようにしてそいつはいた。
「なんだありゃ⁉」
段蔵が素っ頓狂な声をあげるのも無理はなかった。
一言で言い表すと、アリが巨大化してカニのハサミを無理矢理つけちゃいました的な感じ。どこかのマッドサイエンティストがアリとカニを合成したらこんなのができちゃいましたてへぺろって言ったら無条件で信じてしまいそうだ。
「これがフィアナの言ってたアレっすかね?」
「ああ、多分話に聞いてたアレだな」
アレアレってNGワード的なゲームでもしているのか?
段蔵と猪助が言ってるアレとはもちろんアレのことだ。
「こっちに向かって来るみたいっすね」
巨大ハサミアリは八本の脚を巧みに操りながら危なげなく岩壁を降り、俺たちの行く手を阻むように立ち塞がった。
「──蓮華」
「嫌よ」
まだ何も言ってないんすけど。
それにしても……。
ハサミを大きく広げて威嚇する巨大ハサミアリの姿はアメリカザリガニを彷彿とさせ、思い出したくもない記憶が強制的に呼び起こされる。
それは俺が影丸と名乗っていた幼少のころ……。
『このザリガニちゃんは大きく手を広げているよね。なんでかわかる?』
『わかんない。れんかちゃんはわかるの?』
『もちろんわかるよ。──教えてほしい?』
「おしえておしえて!」
『これはね、影丸様と仲良くしたいから握手をしようってポーズなの』
『そうなんだ! ぼくもザリガニちゃんとなかよくしたい』
『じゃあ握手をしようか』
『うん!』
『影丸様のほうが手が大きいから人差し指で握手ね』
『こう?』
『いい感じよ。そのままザリガニちゃんの手に人差し指を入れて……』
アメリカザリガニに指をはさまれ泣いている俺の横で、蓮華はヒーヒー言いながら違う種類の涙を見せていた。
「……なによ、なんか言いたいことでもあるわけ?」
「べつに……」
「ないならとっととアレをどうにかして。頭領の役目でしょ」
獣魔を倒すことがなぜ頭領の役目なのかはわからないが、もし頭領として見本をみせろということなら、やりたくはないけどやらざるを得ない。
嫌々ながら俺が動こうとしたところ、段蔵が待ったをかけてきた。
「若が出張るまでもありませんぜ。俺が相手をします」
「え? いいの?」
「若が暴れたらこのあたりの地形がめちゃくちゃになりますから。無駄な自然破壊はよくありませんぜ」
「や、めちゃくちゃにならないから。そんなベジータみたいな力ないから」
猪助も段蔵も俺のこと過大評価しすぎでしょ。
そんなチート級の力があったら、とっくにラプラス相手に無双してるって。
「まぁ若は手を出さんといてください。たまには可愛い後輩たちに手本を見せなきゃならんので」
言うや否や、段蔵は威嚇を続ける巨大ハサミアリに向かって駆け出す。
「後輩に手本を見せるのはいいけど報酬はちゃんと山分けだからな」
「え……?」
やっぱり。はなからそれが狙いだったか。
ていうか昨日決めたことをもう忘れたのかよ。
街に行くにあたってフィアナから服装は早めに変えたほうがいいとの指摘を受けた。理由はかなり悪目立ちすると予想されるから。
そうは言っても先立つものがないとどうしようもないわけで、そのことをフィアナに言うと、獣魔を討伐して冒険者ギルドで換金すれば服くらいは問題なく買えるはずだと実にバーサーカー的なアドバイスをいただいた。
「ちゃんと山分けだからな!」
完全に聞こえているくせに聞こえてない振りをする段蔵は、叩きつけられるようにして振り下ろされたハサミを危なげなくかわすと、そのまま懐に滑り込むのと同時にヒヒイロカネで作られた双節棍が巨大ハサミアリの側頭部を強打した。
「ギギギッ!」
勢いまま身体をぐらりと横に傾けて、巨大ハサミアリは衝撃音を響かせながら地面に倒れ伏す。泡を吹いている様はまさにカニのごとしだ。
威嚇するように動いていた大あごは次第に緩慢になり、ついには動かなくなった。
「ま、ざっとこんなもんですね」
双節棍を首にかけ、余裕しゃくしゃくな顔で戻ってくる段蔵の姿に、
「最小限の動きだけで仕留めちゃうところがさすがの段蔵さんっすね」
猪助が賞賛の声を上げるその横で、すかさず異論を唱える蓮華がいた。
「17秒もかかるなんて、アリンコ相手にしては遅すぎるんじゃないの? 私なら10秒で終わるけど」
蓮華はいちいち噛みつかないと気が済まないのだろうか。きっと前世は狂犬だったに違いない。
「ふっ。蓮華の言う通りかもしれないな」
さすがは段蔵といったところ。煽り耐性とスルースキルを獲得しているようで、猪助のように怒る様子も見せず、まさにクールな大人の対応だった。
さすがの狂犬もこれ以上は噛みつけないらしく、ひたすら悔しがっていた。
「よし、こいつを荷車に乗せて先に進もう」
歩みを再開して間もなく、蓮華が荷車越しに疑わしい目を俺に向けてきた。
「なにかご不満でも?」
「こんな毒にも薬にもならないようなものがほんとに売れるの?」
「こんなものでも売れるのが異世界ってところなんだよ」
アレあらため獣魔は畑の作物や家畜、人間や魔族も平等に喰らうらしい。今でこそ侵攻してきた魔族と戦ってはいるが元々冒険者ギルドは獣魔を倒すために存在している。まぁこれも異世界あるあるだ。
「異世界ねぇ。実際フィアナに騙されてるんじゃないの?」
「なんでそんなこと言うんだ? 何かと気を使ってくれていい娘じゃないか」
しかも運命の相手だし。
俺の言葉に、蓮華は呆れの溜息をこぼして言う。
「あの娘多分私たちに隠し事をしてるわよ」
「それはくノ一としての勘か?」
「そんなところね」
うーむ。それだと一概に否定はできん。
蓮華は色々とアレなところもあるが、一流の忍びであることは疑いようのない事実。任務で死線を何度も潜り抜けているし、そんな蓮華の勘働きは獣以上とも評されている。
「それを言うなら俺たちだって素性は隠しているし、フィアナが俺たちに隠し事をしちゃいけないなんてルールもない。それに女は隠し事のひとつやふたつあったほうがミステリアスでいいじゃないか」
たとえば俺に対する秘めた恋心とかな!
「これだから脳みそがゴミ溜めの男は……」
聞きました?
あれが風魔の頭領に対するセリフかしら。
「ま、まああれだ。今は軍資金を手に入れることが先決だろ? 段蔵がほとんど体を傷つけずに倒してくれたおかげで、もしかしたら高く買ってくれるかもしれない」
「傷がないと値が上がるってこと?」
「その通り。場合によっては武器とか防具とかの素材になったりもする。たとえば熊の毛皮なんかも傷がないと高く売れるだろ? それと一緒さ」
そして、ギルドの受付嬢に尊敬の眼差しを向けられるまでがデフォだ。
「フォッフォッフォ」
俺と蓮華の会話を遮るかのように、幻爺が飛ばした竹とんぼが空へと舞い上がっていく。
間もなく山道は下り坂に差しかかろうとしていた。