21話 脅威! スラッジスライム
「小次郎ってたしか前に拾った子犬の名前だろ? え? お前にはあれが小次郎に見えてんの? ひょっとして何かヤバいもんでもキメてんのか?」
「そう言えば、異世界に来てからはキメてないっすね」
シャレで言ったらシャレにならない答えが返ってきた。なので、全力でスルーすることにしました。
「もしかして、あのイッヌにも同じ名前を付けたってことなのか? てか色んな意味で紛らわしいから、できれば違う名前にしてほしいんだけど」
俺が呼ばれたのかと思って返事をすると、小次郎を撫でながら俺の顔を見てニヤニヤする蓮華が思い浮かんだ。
絶対わざとだろ、あれ。
「ちゃんと世話するなら飼っても構わないけど、幻爺も変なところで横着するよな」
「そうじゃなくて、あの子犬が大きくなったんすよ」
「は? ……いやいやいや。どこの世界に一ヶ月見なかっただけで、あんなにでかくなるイッヌがいるんだよ」
俺がそう言うと、猪助は小さく肩をすくめて言った。
「どこの世界もなにもここは異世界っすよ。日本に月が三つありましたか? ないっすよね? 常識に縛られていると足元をすくわれっす」
ぐぬぬ。猪助のくせにもっともらしいことを言いやがって。てか、異世界に馴染むの早すぎだろ。
「ところでお前、鍬なんか持って何してんの?」
実はさっきから気になっていたことを聞いてみた。
「ジャガイモを作ろうと思って」
猪助の視線を追うと、一ヶ月前まで何もなかった場所に、それなりに広い畑が広がっていた。
「家庭菜園か。いいじゃない。せっかくだからジャガイモだけじゃなくて、ほかの野菜も育ててみたらどうだ? 俺的にはネギやミョウガなんかがいいと思うぞ」
死んだひいばっちゃまが、薬味は死ぬほど使えって言ってたし。
「なんでそんな面倒なことをしなきゃならないんすか」
猪助が意味がわからないとばかりに言う。
「なんでって、色んな種類の野菜を育てたほうが楽しいだろ?」
「若様は勘違いしてるっす。たまたまライムちゃんにフライドポテトの話をしたら食べてみたいってお願いされたから育てているだけっすよ」
誰? ライムちゃんって。
俺が困惑していると、猪助はやれやれって感じで口を開く。
「ファッション喫茶【このロリコンどもめっ!】に彗星のごとく舞い降りた超ド級の天使で、俺の一番の推しっすよ。若様のくせにそんなことも知らないんすか?」
「お、おう……」
少しでも感心した俺が馬鹿だった。
そんな俺にようやく気付いたらしく、幻爺が小次郎を連れてやってきた。
「フォッフォッフォ」
「うん、一ヶ月振りだね」
「フォッフォッフォ」
「うん、そうだね」
勘で会話をしながら、ハッハと息を継ぐ小次郎をまじまじと見る。
間近で見るとほんとにでかい犬だな。どう見ても虎くらいの大きさはあるぞ。いくら異世界だからって、一ヶ月そこらでこれとかやっぱおかしくない?
疑いを払拭できずにいる俺に、
「プロフェッサー・コタロウ。お久しぶりでございます」
ん?
今、小次郎が喋ったのか?
いや、まさか……。
「マスター・ゲンジイより鍛えられしこのコジロウ、今後はプロフェッサー・コタロウの手足となり、命果てるそのときまで仕える所存」
「……猪助がやってるのか?」
猪助は首を横に振る。
「じゃあ幻爺か」
「フォッフォッフォ」
ですよねぇ。
猪助が鼻ホジで、
「異世界だから犬も喋るっしょ」
「お前馴染みすぎだから!」
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俺は小次郎を連れて街に来ていた。
犬が喋ることに納得いかなかったのであとから調べたところ、やっぱり犬は喋らないことがわかった。そりゃそうだ。異世界だからってなんでもかんでもまかり通るわけじゃない。
ただ、そうなると必然的にある疑問が浮かんでくる。小次郎は本当に犬なのかという疑問だ。そして、疑問に対する答えに俺は思い当たるふしがある。
そう、異世界漫画によく登場するみんな大好きあの獣だ。
『小次郎って実はフェンリルだったりする?』
小次郎は首を傾げて、
『フェンリル? それはなんでござるか?』
あらためて聞かれるとフェンリルってなんだろう? 漫画によって解釈が全然違ってくるからなー。
うーん、しいて言うなら……。
『でかいオオカミ?』
『拙者、オオカミなどという群れなければ何もできない生き物ではござらん』
群れないと何もできない?
どっちかっつーと、孤高ってイメージが強いけど。
『オオカミを否定してるけど、オオカミはイッヌの祖先だぞ』
『イッヌなど人族に尻尾を振るしか能がないゴミ屑。カワイイアピールを見ると反吐が出る。一緒にされると甚だ迷惑でござる』
『や、だってイッヌでしょ?』
『違うでござる!』
違うのかよ!
『オオカミでもないイッヌでもない。じゃあなんなの?』
『コジロウでござる。マスター・ゲンジイが付けてくれたでござる』
いや、それは名前でしょうに。
自分でも何者かわからないってことか?
ちなみに唇の動きだけで会話を行っているので、街行く人たちが俺たちを不審がることはない。
「見て見て。あのおっきなワンちゃん、すっごいモフモフなんだけど」
「わたしモフりたい!」
どこからともなく現れた女子たちが、わきゃわきゃ言いながら小次郎を撫でまわし始めた。
『ちょっ! 人族の分際で勝手にモフってんじゃねえ!』
「ワッホワホ言っててヤバい♡」
「この極太眉毛? これもヤバいんだけどー♡」
『それに気やすく触れるな! マスター・ゲンジイが描いてくれたものだぞ!』
幻爺が描いたんかーい!
今の今まで面白模様だと思ってた。
『プロフェッサー・コタロウ、この人族を食い殺す許可を!』
『出せるかそんな許可! 女子たちが飽きるまでその場でステイだ』
『ぐぬぬ……』
その後小次郎をモフリまくった女子たちは、ホクホク顔で去って行く。
「ワンちゃんまたねー」
「またモフらせてねー」
『二度と我の視界に入るなこのクソビッチどもがッ!』
どうでもいいけど口悪くね?
ござる口調はどうした。
『人族が嫌いか?』
『嫌いでござる。プロフェッサー・コタロウも見たでしょう。あの遠慮のなさを。好きになる理由がないでござる』
『俺も人族だぞ』
俺がそう言うと、小次郎はフッと鼻で笑う。
『プロフェッサー・コタロウが人族? それは何の冗談でござる』
『や、冗談じゃないけど。え? もしかして魔族と思ってる?』
俺たちは魔族によって召喚された身。そして、イッヌは人間の1億倍の嗅覚を持つと言われている。小次郎がその辺りを感じとっているとしてもおかしくはない。
『──なるほど、そういうことでござるか』
どゆこと?
勝手に脳内保管したらしい小次郎は、納得顔でうなずいていた。
『拙者はマスタ・ゲンジイに見出され、そして鍛えられました。プロフェッサー・コタロウのためならば、いつでも命を捨てる所存』
『なぁ、その無駄に高い忠誠心はどっから来てるの? もしかして忠誠心高くないと死んじゃう呪いとかにかかってる?』
蓮華に小次郎の爪の垢を飲ませたいくらいだ。
『マスター・ゲンジイよりプロフェッサー・コタロウが成した数々の伝説、拙者耳にタコができるほど聞き申した。もう尊敬しかないでござる』
小次郎がキラキラとした眼差しを向けてくる。
いや、俺が成した数々の伝説ってなんだよ。まるで身に覚えがないんだが。それに蓮華もそうだけど、何で小次郎まで幻爺と会話が成り立つんだ?
……まぁ考えても無駄だな。
『なんか小次郎の正体とかどうでもよくなってきた』
『気にしたら負けでござる』
『それ、お前が言う?』
ギルドの扉を開けながらくれぐれも喋るなよと、目だけで念押ししつつ中に入る。すると、いつもは閑古鳥が鳴いてるギルドが、多くの冒険者で混み合っていた。
「珍しいこともあるもんだな」
受付カウンターに目を向けると、婚活受付嬢と悪役受付嬢が忙しそうに冒険者の対応をしている。
このギルドってワンオペじゃなかったのね。
「何かあったのか?」
たまたま近くにいた5級冒険者に声をかけると、
「ジュエルスライムが大量に発生したんだ」
興奮気味の冒険者は「母ちゃんと息子に久しぶりに美味いもんを食わせてやれる」と言いながら、受付前にできた行列の最後尾に並ぶ。
何やらおいしい依頼が出たようだが、今のことろ金には困っていない。
今日俺がギルドに来た理由の一つは、冒険者のランクを上げるため。そのためには等級ごとに決められた獣魔を倒す必要がある。
ランクを上げて「あなたって高ランカーなのね、素敵♡」って言われたいわけじゃない。どうも高ランカーでないと手に入れることのできない情報なり禁書的なものがあることを、星都の情報収集で掴んだからだ。
そしてもう一つの理由、小次郎を使い魔として登録するためである。使い魔として登録しておけば、その存在が公式に認められ、万が一にも獣魔として処分される心配がない。
当然小次郎が人族に害をなせば、そのまま俺の責任ということになり、小次郎共々処罰の対象となる。
呪文のように「マーマンヒレステーキ、マーマンヒレステーキ」と唱える冒険者の後ろに俺も並び、そして待つこと20分。
「悪役受付嬢に呼ばれませんように。悪役受付嬢に呼ばれませんように。悪役受付嬢に──」
俺の必死の祈りが神に届き、
「次の方」
声を発したのは婚活受付嬢だった。
いや、ほんと悪役受付嬢じゃなくてよかったわー。
最悪並び直すことも考えてただけに、俺はホッと胸を撫で下ろす。
「わたしだってジュエルスライム捕まえたいのになんで仕事しなきゃなんないのよ……」
そんなことをブツブツ言いながら、婚活受付嬢は恨みがましい目を俺に向けてくる。
いや、そんな目で見られても困るわ。
婚活受付嬢は俺の顔を見ようともせずに、
「ジュエルスライムの討伐は──」
「や、使い魔の登録をお願いしたいんだけど」
俺が食い気味に否定すると、婚活受付嬢はようやく顔を上げて俺を見た。
「は? 使い魔? ジュエルじゃないの?」
俺は無言で脇に立つ小次郎を指差す。小次郎を一瞥した受付嬢が、舌打ち交じりで後ろの棚に手を伸ばし、一枚の紙ぺらをカウンターに叩きつけた。
「記入して。それとカード」
言われるがまま懐から登録カードを出すと、受付嬢はひったくるように俺から登録カードを奪い取り、水晶玉に突っ込んだ。
「こっちはジュエル祭りで忙しいんだからちんたらしない。ほら、さっさと記入して」
なんか最初に会ったときの印象と全然違うな……。
そんなことを思いながらペンを走らせていると、
「10……9……8……」
謎のカウントダウンが始まる。
十秒以内に書けってか!
「こ、これでいいか?」
勝手に始まるカウントダウンのプレッシャーってすごくない? 従う必要なんてまるでないのに、妙に焦っちゃうところが。
「はい終わり。──次の方」
俺は追い立てられるようにカウンターから離れた。前回は忍び装束だったこともあってか、婚活受付嬢が俺のことに気づかなかったのは幸いだ。
『ん? どしたん?』
気づくと小次郎が婚活受付嬢を激しくにらみつけていた。
『プロフェッサー・コタロウに対する数々の無礼な発言、もはや許すことなどできぬ。ということであの人族を食い殺す許可を』
『だから出さんわ!』
あらためて掲示板のランク別指定獣魔リストを確認した俺は、小次郎と共に南に広がる平原に向かった。
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雲がゆったりと流れ、心地よい風が吹く昼下がり。
木立の陰に潜む俺と小次郎は、指定獣魔の一匹、スラッジスライムを視界に収めていた。
「あれがスラッジスライムか……すぐに見つかったのはラッキーだったけどどうしよう。実際に見ると触りたくないくらいには気持ち悪いぞ」
最弱獣魔に認定されているラブリースライムなら子供たちのおもちゃだが、あのスライムはそうじゃない。5級冒険者最初の壁と言われているらしいスライムだ。
大きさは百人乗っても大丈夫なほど。体は青みがかった透明で、その中心部分はヘドロっぽいのが常に渦を巻いている。
骨っぽい残骸が見えるからあれが消化器官か?
だとすると飲み込まれたら最後、きっとドロドロに溶かされてしまう。
「プロフェッサー・コタロウ、ここは是非拙者にお任せを」
俺の前に出た小次郎が、自信満々にそう言ってくる。
「それは願ったりかなったりだけど大丈夫なのか?」
幻爺が鍛えたようだし問題ないとは思うけど……。
「あの程度の獣魔、瞬殺でござる」
「そこまで言うなら任せるけど、あの体に取り込まれると多分溶けると思うからから気をつけろよ」
「心配ご無用!」
小次郎はスラッジスライムに向かって颯爽と駆けだした。そこに恐れを抱く様子は微塵もない。
小次郎は相手に攻撃を定めさせないためか、体を左右に大きく振りながらスラッジスライムとの距離を縮めていく。
ここまで攻撃意思を見せないスライムスラッジは、体を上下にたゆらせていた。
「我が名は風魔最強の忍犬コジロウ! いざ、尋常に勝負!」
やっぱ犬なんかーい!
「プロフェッサー・コタロウに栄光あれーっ!」
そういうの恥ずいから、ほんとやめてくれ。
地面を蹴り上げ跳躍した小次郎は、スラッジスライムの頭上から襲いかかった。
こと戦闘において、死角を狙いにいくのは正しい。が、そうはいっても相手はスライム。人間のように頭上が死角とは限らないわけで。
「コジロウの名において命ずる! とこしえの闇へと帰れ! 風魔忍法シャインフラッシュううううううう!」
そんな厨二病全開の風魔忍法はない。それにやってることはただの噛みつき攻撃だし。
それでも小次郎の牙がスラッジスライムになんなく突き刺さり、小次郎の体はスライムの体内にゆっくり沈んでいく。
「…………」
「…………」
飲み込まれてるじゃん!
スラッジスライムの体内でゆっくり攪拌される白目の小次郎。
俺は慌てて月光刀を抜き放ち、スラッジスライムに斬りかかった。
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「終わったことをいつまで引きずってもいいことなんてひとつもないぞ。だから元気出せよ、な?」
「……もう、忍犬やめる……」
討伐の帰り道。
ずっと無言状態だった小次郎が、ぽつりとそんな言葉を口にした。
「や、最初から上手くやれるやつなんていないし、なんなら俺もそうだった。それに動きだけは中々のもんだったぞ」
「……それ、ほんまけ?」
小次郎が潤んだ目で問うてくる。
「ほんまほんま。てか、今回は相性が悪すぎた」
なにせ月光刀で斬りつけてもビクともしなかった相手だ。小次郎を強引に引きずり出したあと、火遁の術で焼き尽くして何とか事なきを得た。
「忍びの道は一日してならず。だから簡単にやめるなんて言っちゃ駄目だぞ」
「……拙者、もう少しだけ頑張ってみる」
「おう、俺もできる限り協力するからさ」
「プロフェッサー・コタロウが協力してくれるなら、百万の軍を得たに等しい」
ようやく小次郎の顔に明るさが戻り、足取りも軽くなった。
頭が禿げあがった小次郎を見つめながら、俺はひとり確信する。
こいつは絶対にフェンリルじゃない、と。