2話 小太郎、運命の相手と出会う
「気絶しているみたいっす。見た感じ外傷はなさそうですけど」
──あれ?
なんだろう、妙に心がざわつくのは……。
「若様、どうかしたんすか?」
「え?」
「だからどうかしたんすか?」
「べつにどうもしてない」
「それならいいっすけど……」
腑に落ちなそうな猪助を横目に、俺はあらためて牢全体を見る。
牢は一見するだけで単純な造りをしていた。申し訳ない程度に鍵はかかっているようだが、ここにいる者ならば居眠りしながらでも開錠できる代物だった。
「それにしても随分といい加減な作りね。どうぞ逃げてくださいって言ってるようなもんじゃない。それとも逃げたところで無駄だっていう自信の表れなのかしら?──ほら開いたわよ」
二秒もかからずに開錠した蓮華がそのまま中に入ろうとするのを引き留め、代わりに俺が前に進み出た。
「先に俺が見る。もちろん頭領として」
「は? なにそれ。全然意味わかんないだけど……」
不服そうな蓮華を無視してうつ伏せに倒れている少女の前に屈んだ俺は、少女を拘束している足枷を秒で外してそっと抱きかかえる。
「──ッ⁉」
少女の顔を見た瞬間体中を電流が駆け巡るような感覚に襲われた。同時に近所に住んでた才蔵兄ちゃんの言葉を思い出す。
それは俺がまだ影丸と名乗っていた幼少の記憶。
『影丸、恋──って知ってるか?』
『しってるよ。きのうばんごはんで食べた』
『それは鯉な』
『? なんかちがうの?』
『ピカチュウとライチュウくらい違う』
『ぜんぜんちがうね!』
『話が逸れちまったな。恋っていっても「あーもしかしたら私、あんたとのこと好きかもー?」なんてあやふやな恋じゃない。本物の恋ってやつだ。本物の恋ってやつはな、出会った瞬間運命みたいなものを感じるんだ』
『うーん、かげまるよくわからない』
『ははは。まだ影丸にはちょっと難しい話だったか。ただこれだけは覚えておけ。運命の相手に出会うと体中に電気が走る』
『でんき? らいとんの術でもくらったの?』
『そうじゃない。まぁその時がくれば嫌でもわかる。この間も忍がディオールのバッグがほしいっていうからさ、任務を掛け持ちして得た金で買ったさ。もちろん忍は大喜びさ。そしたら今度はバーキンのバッグをおねだりされちゃってな。へへっ。あいつ本当に甘えん坊なんだよ。さらに任務を掛け持ちしないと……』
才蔵兄ちゃん、これが運命ってやつなんだね!
未だ目を覚まさない綺麗な顔立ちをした少女は、年の頃は十代後半といったところ。俺はすかさず腰の忍具袋に手を伸ばし、気付け薬を取り出して少女の鼻に近づける。
少女は小さなうめき声を数度発して目を覚ました。
「………ッ⁉」
叫ぼうとする少女の口に人差し指を素早くあてがい、口元の頭巾を引き下げることであえて素顔を晒した俺は、風魔忍法〝イケボ〟を駆使して少女に話しかける。
「君を助けにきた」
そう言った瞬間、蓮華が鋭い声で言った。
「は? たまたま見つけただけでしょ。そんな話どこからどうひねり出したの? それとその気持ち悪い喋り方やめて」
「え? きもちわる……え?」
女子ってイケボ好きだよね?
才蔵兄ちゃんも女子はイケボ好きって言ってたし。
次第に状況を飲み込めてきたらしい少女は、視線をせわしなく左右に配りながら、
「ほかの、私と一緒に牢屋にいた人たちは!」
「すまない。間に合わなかった。助けることができたのは君ひとりだけだ」
「君ひとりだけってそもそもこの牢屋にはその子以外誰もいなかったし、お前ら誰も見つけてないよな?」
蓮華と段蔵が後ろでなにやらごちゃごちゃ言ってるが、それら全てを無視して俺は話を続ける。
「君はとても運が良かった」
「どうして私だけ助かって……あ、もしかすると……」
「その様子、なにか心当たりでも?」
俺がそう尋ねると少女は明らかに余計なことを言ったという顔をしていた。
俺はあえて気づかない振りをして少女の言葉を黙って待つ。
少女は僅かな逡巡を示したのち、
「私が回復魔法が使えることと関係あるかもしれません。同じ牢屋にいた人の怪我を治療していたら、それを見た魔族がかなり驚いていましたので」
どうやらさっきの連中は魔族らしい。
それにしても魔族に回復魔法か。
いよいよ異世界っぽいワードが出てきたな。
「あ、でも回復魔法が使えるといっても切り傷を直すとかその程度なんで」
なぜか慌てる少女を横目に、俺はあごをひと撫でした。
「なるほどそういうことか。どうやら色々と背景が見えてきたな……」
「え? 今の話で何の背景が見えてきたんすか?」
意味がわからないとばかりに猪助が蓮華に耳打ちする。
蓮華はうんざりといった表情で両腕を組み、わざと俺に聞こえるような声量で話し始める。
「あれは知ったかぶりしてカッコつけてるだけ。なんとなく匂わせるようなこと言っておけばできる風に見えるって本人的には思ってるのよ。あれで女が自分になびくと思っているところが痛々しいことこの上ない。笑えるほど短絡的な思考よね」
「ああ、ようするにいつもの病気っすか。たしかにあの子おしとやかそうな感じでいかにも若様の好みっすもんね」
蓮華も猪助も俺が頭領だってこと忘れちゃったのかな?
黙って聞いていればディスられ放題なんだけど……。
いくらラブ&ピースで知られている俺だって怒るときは怒るんだからな!
「とにかくここを離れよう」
情報源が死に絶えた今、これ以上魔族と関わるのは得策じゃない。それ以上に大事なことは今なら憧れだったあの行為。そう、お姫様抱っこプラス鉄板のセリフを自然にできるということだ。
「え……?」
少女はびっくりした表情を俺に向けながら、
「あの……自分で歩けますので……」
「軽いな、ちゃんと飯食ってるか?」
「ええと、そういうことじゃなくてその……」
もう、恥ずかしがっちゃって。
俺は白い視線を浴びせてくる部下をものともせず、出口に向かって堂々と歩いた。
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建物は丘の上に建っていた。そして、眼下に広がるのは灰色で染まる奇怪な森。空では見たこともない巨大な鳥が数羽連なって、月の光を浴びながらゆったりと飛行している。
あらためて異世界と感じさせるには十分すぎる光景だった。
「ねぇあれ見て。月が三つもあるんだけど……」
「それっておかしなことですか?」
蓮華の言葉を聞いて、少女が不思議そうに口を開く。
当然少女が俺たちの素性など知るはずもない。少女に素性を明かすつもりもまたない。たとえ運命の相手であっても俺たちの素性を明かせば後々余計な厄介事に巻き込まれる可能性があるからだ。
俺は目配せで蓮華の口を封じつつ誤魔化すように言った。
「助けたついでだし家まで送り届けるよ」
感謝の言葉を信じて疑わなかった俺の予想に反して、あろうことか少女は帰ることを拒否してきた。
「なにか帰りたくない理由でも?」
「私は魔族に捧げる生贄なんです。魔族に生贄を捧げることで私のいた村はどうにかこうにか存続を許されてきました。もし私が戻れば村に迷惑をかけます。元々私には身寄りもいませんし、どうせ帰ったところでなんで逃げ出したんだと村人たちから責められるのが目に見えてます。良くてそのまま追放。最悪見せしめで殺されるかもしれません」
少女の身に起きたことだというのに、その言葉はまるで他人事のようだった。話を聞く限り、この少女の境遇はあまり恵まれたものではなかったらしい。
しかしあれが魔族だって言うなら定番の冒険者や勇者だって当たり前にいそうなんだけど。
「誰も助けに来なかったの?」
尋ねると少女は沈んだ声で言う。
「冒険者の皆様が助けに来てくれましたがほとんどは返り討ちにあったと聞いています。炎の勇者様が魔王に殺されてからはもう誰も……」
つまり人間が魔王に追い詰められているのがこの世界の現状ってことか……。
それにしても冒険者はともかくこの世界の勇者ってのはそんなに弱いのか? 魔王に負ける勇者って正直どうなのよ。そこはせめて相打ちでしょうに。それとも魔王が飛び抜けて強すぎるのか?
まぁどちらにしても今の俺たちには関係ないし、今後も関わるつもりはないけど。今の話を聞いたら余計だ。
少女はバツが悪そうに笑いながら、
「せっかく助けていただいてこんなことを言うのは大変失礼ですけど、多分ほんの少し寿命が伸びただけですから」
少女の境遇に対して俺が同情することはない。任務の過程で似たような話は腐るほど見聞きしてきた。目の前の少女だけが特別なんてことはないのだ。世界は常に残酷で満たされている。
そう、この少女に対して今の俺ができることといえば────。
「俺たちはこのあたりの地理に詳しくない。どこか腰を落ち着ける場所に心当たりがあれば教えてほしいんだけど」
「落ち着ける場所ですか?」
少女は視線を宙に漂わせ、
「ごめんなさい。廃村くらいしか思いつくところが……」
廃村か……。
うん、悪くないな。
「その廃村までの道案内を頼んでもいいか?」
少女は控えめにコクリとうなずく。
廃村と言うのでもっと荒れ果てた感じを想像していたが、実際案内された廃村といえば人が住んでいてもおかしくない雰囲気を醸し出していた。
「意外に綺麗じゃない。ほんとにここ廃村なの?」
俺と同じ感想を口にした蓮華の疑問に、少女は淡々と答える。
「この村は魔族に生贄を差し出すことを拒否して逃げ出したんです。その日のうちに村人はひとりを除いて魔族に掴まったと人づてに聞きました。それが今から二ヶ月前の話です」
「随分と詳しいっすね」
猪助の言葉に、少女は自虐的な笑みを浮かべて、
「そのひとりが私ですから」
なるほど。どういう経緯かは知らないけどこの少女はただひとり難を逃れた。その後は今の村で暮らしていたが生贄に選ばれて体よく村から追い出されたと、まぁ大体そんなところか。
「あらためて助けていただきありがとうございました。では私はこれで……」
俺はそのまま立ち去ろうとする少女の背中に向けて、
「どこか行くあてがあるのか?」
わかっていながらあえて聞くと、
「…………」
案の定、無言の答えが返ってくる。
「行くあてがないからしばらく俺たちとここにいないか? 実は俺たちも諸事情で帰るところがないからしばらくここにいることに決めた。君一人くらいなら魔族の手から守ることも……って、んだよ?」
蓮華に強引に腕を掴まれた俺が、物陰に強制連行される。
蓮華は明らかに怒っていた。
「なに怒ってんの?」
「怒るに決まってるじゃない。いったいどういうつもりよ?」
「どうってしばらくはここで生きていくんだから拠点は必要だろ?」
「そんなことはどうでもいいの」
いや、どうでもよくはないだろう。
拠点の重要性を蓮華ほどの忍びがわからないはずないんだけど。
「なんでたまたま拾っただけの、縁もゆかりもないあの娘をあたしたちが守らなくちゃいけないのよ。ここは風魔の里じゃない。未だ右も左もわからない異世界なんでしょ。この際はっきり言うけど守られたいのはチワワ系のあたしも一緒だから」
「や、蓮華はどう見ても餓狼系じゃん」
俺が食い気味でそう言うと、蓮華がズイっと顔を寄せてきた。
「ちょっと、あたしが餓狼系ってどういう意味よ!」
「怖い! 近い! とっても頼りになるって意味だから! 右も左もわからない異世界だっていうなら、今の彼女は俺たちにとってこの世界のことを知る唯一の情報源だろ。協力的だし手元に置いておけば何かと役に立つ。頭領といしての判断を下したにすぎない」
蓮華は粘りつくような白い視線を俺と少女に向けながら、
「もっともらしいこと言ってるけど、どうせあの娘のことが好きになっちゃっただけでしょう? わかってるんだから」
「さっき知り合ったばかりの子をか? おいおいおい、冗談はそのうっすい胸だけにしてくれ──って痛ってえええええっっ⁉ 暴力はやめたまえ暴力は!」
「殴られるようなこと言ったからじゃない!」
言ったか?
うん、確かに言ったな。
反省。
ジンジンする頬を擦りながら平謝りしていると、蓮華が無言で俺の腰に手を回してグッと引き寄せてくる。
一体何をするつもりなんでしょう?
「あのー蓮華さん?」
「どうせあのけしからんおっぱいに顔をうずめてフガフガしたいだけでしょ? そんなことくらいあたしがいくらでもしてあげるわよ。ほらほら!」
「違う! 違うの! そんな雑な感じじゃ嫌なの! もっとそこはかとなくふあっとしていて、それでいて心の芯からほっくりするやつなの! そんなツルペタゴリゴリの偽物じゃないの‼」
「おい、今ツルペタゴリゴリの偽物って言ったか?」
「言ってません」
「絶対言ったよな?」
「絶対言ってなかとです」
蓮華のネックハンキングからようやく逃れた俺が息を整えていると、背中をちょんちょんと突かれた。
「幻爺どしたん?」
「フォッフォッフォッ」
だからフォッフォッフォッだけじゃわからんて。
ん? あれは……。
一難去ってまた一難。
どうやら招かざる客が来たらしい。