14話 あの花が咲く沼でヌマリゲータと出会えたなら
リュウグウ花。
なんでも煎じて飲めば老化を緩やかにする効果があるらしい。健康サプリと同じくらいとても怪しげな代物だ。
主な顧客は上級貴族の奥方様らしく、ただでさえ高値安定なところに薬師を護衛できる冒険者が激減したことで、近頃は価格が暴騰しまくりだとか。
そんなリュウグウ花をゲットするべく、俺とフィアナはリュウグウ花が咲くという北の沼地を目指して絶賛歩いているのだが……。
「もう少しきびきびと歩けないのか? この調子では日が暮れてしまう」
「や、俺はともかくフィアナさんにそれを求めるのはちょっと」
「すみません……」
「チッ!」
なぜか俺たちと行動を共にしている女騎士の腕輪は、2級冒険者であることを示す銀色の光が輝いている。
以前蓮華の報告にあった第三大陸で一番強い冒険者、それがこのクレアというわけだ。
「北の沼地を住処にしているヌマリゲータは、生半可な冒険者では到底太刀打ちできない獣魔だ。お前はそのことを知ってるのか?」
「初耳ですけど……」
そんなアリゲーターの親戚みたいなやつなど知らんわ。
クレアは鈍色に輝く俺の腕輪を忌々しそうに眺めながら、
「そうだろうな。大方報酬に釣られたんだろうが、お前などヌマリゲータに一瞬で殺されてしまう。私があの場に居合わせたことに感謝するんだな」
いや、感謝しろって言われても……。
三行半を突きつける勢いで断ったはずなのに、強引についてきたのはそっちじゃないか。
そもそもついてくる理由がわからん……。
その後は会話らしい会話もないまま、俺たちは北の沼地に到着した。ちょっとした湖ほどの広さがある沼は、不気味なほど静まり返っている。
今のところヌマリゲータとやらはいなかった。
俺は全身運動を始めるクレアに念押しした。
「本当に報酬はいらないってことでいいですね?」
「くどいぞ。金がほしいわけじゃない。採取したリュウグウ花を少し分けてくれればそれでいいと言ったはずだ」
「あとから分け前を寄越せと言われても困るんで」
「そんなみっともない真似などできるか」
「額が額なんで──」
俺の言葉を遮ったのは、突き出されたクレアの左手だった。
「おしゃべりはここまでだ。おいでなさったぞ」
沼のいたるところからプクプクと泡が浮き始めると、全身黒光りのワニを大きくしたような獣魔が、次々と陸地に上がってくる。
ワニと決定的に違うのは、人間と同じく二足歩行をしている点だ。
「コタロウさん……」
俺の背中にそっと隠れるフィアナ。
そっかそっか、俺を頼りにしているのか。控えめに言ってかわいすぎるだろ! ここはフィアナの護衛として、不安を取り除いてやらねば。
俺は風魔忍法〝イケボ〟で、
「心配──」
「心配するな。我が剣と誇りにかけてお前たちには指一本触れさせはしない」
ちょっ⁉ それ俺のセリフだから!
てか男装の麗人然としたあんたが言ったらイケメンすぎるだけだろ!
俺が女だったら惚れるぞ!
恐る恐るフィアナの様子を窺うと、
「クレアさん、カッコいい」
ほらほらほらあ!
軽く頬を染めちゃってるじゃありませんか!
おのれクレアめ……。
クレアは腰の長剣を颯爽と抜き放つと、俺たちには速やかに隠れるよう命じた。
「それにしたってカッコよすぎだろ。どこの物語から抜け出た戦乙女だっつーの」
「そう言うコタロウさんはちょっとカッコ悪いです」
早々と適当な岩陰に身を寄せた俺に、同じく身を隠したフィアナがそんな身も蓋もないことを言ってくる。
くっそー、クレアさえいなければあの熱いパトスは俺のものだったはずなのに!
「ところでどう見ても十匹はいますよ」
「そうみたいだね」
「そうじゃなくて、クレアさんはああ言ってましたけど、一緒に戦ったほうがよくないですか?」
「や、変に逆らってあとから難癖つけられても困るだろ? 2級冒険者のクレアパイセンに従っておくのがベターだ」
「コタロウさんがそう言うなら……」
わかる、わかるぞ。
俺への信頼がぐらぐら揺らいでいることが。
「ま、あの程度の相手なら俺が手を貸すまでもないっしょ」
意識をクレアに向けるフィアナに、俺の呟きは届かない。
ヌマリゲータは標的を定めたらしく、隠れた俺たちを捜す素振りも見せずに、ヒギヒギと気味の悪い声を上げながら、クレアとの間合いを徐々につめていく。
「ウインドエッジ」
クレアの言葉に呼応するように、手にしている剣が緑色の光を放つ。
おお!
あれはきっと剣に魔法を付与したんだな。
初めて本格的な魔法を目にして俺が興奮している最中も、クレアは拳と尻尾による波状攻撃を危なげなくかわしながら、硬そうな皮膚に覆われたヌマリゲータを次々に斬り払っていく。
クレアが五体目を仕留めたところでいよいよ勝てないと判断したのか、ヌマリゲータは我先にと沼地に逃げ込んだ。
ふぅと息をついだクレアは、剣を鞘に納めた。
「油断はできないがしばらくは大丈夫だろう。今のうちにリュウグウ花の回収作業を始めてくれ」
ここからはフィアナの出番だ。
ちなみに素人がリュウグウ花を摘み取ると、五分とかからず枯れてしまい効能も消え失せてしまうらしい。花を枯らさずに持ち帰るためには上級薬学を修めたフィアナの知識と技術が必要不可欠とのこと。
どうりでクレアが自分で採取しないわけだ。
さっきまでの戦闘が嘘のように、沼はその静けさを取り戻している。
「──いい子だな」
額に汗を滲ませながらせっせとリュウグウ花を摘むフィアナを眺めていると、クレアが聞き捨てならない言葉を呟いた。
「やらんぞ」
「ん? もしかしてコタロウの彼女なのか?」
カ・ノ・ジョ! なんて素敵な響き!
「今のところは彼女じゃない」
俺は今を強調した。
「……そうか」
おい、俺を憐れんだ目で見つめるのはやめろ。
「それにしてもよく彼女を守ったな」
「は? 側にいただけでなにもしてないんだけど」
ヌマリゲータを殺ったのはあんたやん。
ひょっとして高度な嫌味でも言われてるのかな?
「そうじゃない。さっきも言ったことだがヌマリゲータは5級のしかも冒険者なりたての人間がどうこうできる獣魔じゃない。普通の5級ならヌマリゲータの姿を見ただけで逃げだしているところだ。そういう意味だとコタロウは普通じゃないのかもな」
「ひょっとしてけなしてんの? 泣くぞ」
「褒めてるんだよ。──お、そろそろ終わりそうだな」
あらかじめ用意しておいた竹籠の中には、ただの一つも枯れることなく、みずみずしさを保ったリュウグウ花がこんもり積まれていた。
「これで最後です」
額の汗を袖で拭い、ふぅと息を吐くフィアナ。
そんな彼女を見てふと思う。
俺、なんもしてなくね?
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日が茜色に染まり始めたころ。
ようやく見慣れた外壁が見えてきたところで、俺は道中ずっと気になっていた疑問をクレアにぶつけることにした。
「ところでそんなに老化が気になるお年頃なの?」
クレアは呆れたような表情を浮かべて、
「コタロウは私をいくつだと思ってるんだ。さすがに老化を気にするような年齢じゃないぞ」
やっぱそうなのか。いや、さすがにおかしいなとは思ったんだ。俺より二つか三つ上くらいにしか見えないもんな。
ただクレアが否定したことで、別の疑問が出てくる。
「じゃあどうしてリュウグウ花が必要なん?」
「コタロウに教える義理はないな」
即答だった。
まぁ教える義理はないわな。
「どうしてですか?」
すかさずフィアナが尋ねると、クレアは渋々と話し始めた。
「リュウグウ花は老化を緩める働きがある。だがそれはちょっとした副次効果にすぎないんだ。リュウグウ花はとある薬草と香辛料を調合することで本来の効能を発揮する」
「それは初耳です」
仮にも上級薬学を修めているフィアナが知らない効能なら、きっと凄いものではなかろうか。
驚くフィアナに、クレアは自信満々に言う。
「知らないのも当然だ。私が育った村のみに伝わる秘伝の製法だからな」
秘伝の製法か。ちょっと興味はあるけど、濁しているくらいだから聞いても絶対に教えてはくれなそうだ。
「何事もなく無事に帰ってこられてよかったです」
夕焼け越しに門が見えてくると、夜に備えて閉門の準備に取り掛かる警備兵たちの姿がちらほら。
ちなみに日が落ちると同時に門は固く閉じられてしまう。
獣魔や魔族が蔓延るこの異世界ではごくごく当たり前の光景だ。
「フィアナのおかげでなんとかギリギリ間に合いそうだ」
クレアが笑みを交えて言う。
「よくわかりませんが間に合ったのならよかったです」
「今は無理だが日を改めて礼はさせてもらう」
「そんなのいいですよ。クレアさんのおかげで問題なく採取できたんですから」
フィアナは笑顔を見せながらクレアの申し出を固辞した。
俺を見るクレアは言いにくそうに、
「一応コタロウにも礼は言っておく。べ、べつにお前たちと出会えて幸運だなんて思っていないからな」
クールビューティーのクレアは軽度のツンデレさんでした。
「ではまたな」
門をくぐるとクレアは別れの言葉を口にし、足早に雑踏の中へと消えていく。
「しかしなんだかよくわからんうちに終わったなー」
そんな感想をこぼしているとフィアナがくすりと笑った。
「依頼完了の報告をするまでは終わっていませんよ」
それな。
今回の報酬金額は100万ルーラ。
とは言っても働いたのはフィアナで、俺は何もしていない。当然報酬は全て彼女のもの。取り分を主張するつもりはさらさらなかった。
ま、今回はチュートリアルってことで。
▼
「今日は活きのいいGエンジェルの肉が入ったよー」
Gエンジェルの肉ってなんだよ。
もう字面がおっかねー。
買い物客で賑わう商店街をのんびり歩いていると、前方から見知った顔がやってくる。
「ゲンちゃんってとってもカワイイ。私、ゲンちゃんの彼女に立候補しちゃおっかなー」
「抜け駆けはよくない! 私だってゲンちゃんの彼女になりたいもん」
「フォッフォッフォッ」
化粧派手めな綺麗系お姉さん二人に腕を絡まれた幻爺とすれ違う。
「はは……おじいさんモテモテですね」
ほんとになんであんなにモテるんだろう……? 金は俺の飯屋で使いきったはずなのに……。
まさかこれが都市伝説の一つに数えられるモテ期ってやつなのか?
いやでも……。
商店街を抜けてギルドのある通りに入ると、見世物小屋と思える方向からやたらと歓声が上がっていた。
これまた嫌な予感がする……。
「随分とにぎやかですね。ちょっとだけのぞいてみませんか?」
「報告するまでは依頼継続中だからさっさとギルドに行こう」
帰るまでが遠足理論で応戦するも、フィアナにはまるで通じなかった。
「えー。私、すごく気になりますー」
俺の手を掴んだフィアナは見世物小屋へと強引に引っ張っていく。
手から伝わってくる温かさに、甘酸っぱいドキドキとか青春っぽさを感じてひとり見悶えていると、それら全てをぶち壊すほどの馬鹿でかい声が聞こえてきた。
この声は……。
「はっはー! どうしたフェルナンデス! まさかそれで終わりではないだろうな!」
「グオオオオオッッ!」
人混みをかき分けながら柵越しにいやいや覗き見ると、なぜかふんどし一丁姿の段蔵が、これまた2mは優に超えているであろう熊と相撲をとっていた。
どうやら賭け事が行われているらしく、観客は異様な盛り上がりをみせていた。
「あいつなにやってるんだよ……」
「おや、ダンゾウさんのお知合いですか?」
話しかけてきたのはシルクハットのような帽子を被った興行主らしき男。
俺が渋々ながらもうなずくと、男は満足そうに相撲を眺めながら、
「スモウというらしいですね。突然フェルナンデスとスモウをとらせろと言ってきたときはまるで意味がわかりませんでしたが、ここ最近の不景気を吹っ飛ばすくらい今日はガッポリ稼がせてもらっています」
「まぁ熊と素手で戦うやつなんて普通いないしな」
呆れる俺の言葉に、興行主が我が意を得たとばかりに食いついてきた。
「そうなんです! フェルナンデスと素手で戦える人間なんて冒険者でもいません。だからこそエキサイティングなんです! 相手の体を地につけたほうが勝ちという単純明快なルールがまたいい。面白さに拍車をかけてます」
この男は一体何を言ってるんだ?
熊に相撲のルールが理解できるわけ……ないよな?
だがここは異世界。ひょっとすると……。
「あの熊、ルールを理解しているのか?」
尋ねると、興行主はハハハと笑って、
「そんなわけありませんよ」
おい!
「是非明日もダンゾウさんに来てほしいのですが……」
いや、そんな目で俺を見ても知らんがな。
フィアナは興奮したような声で、
「ダンゾウさん、あんな大きい熊なのに全然負けてないですよ。すごいですね」
「ほら、もう行くよ」
面倒事が起こる前に、俺は名残惜しそうなフィアナを連れて見世物小屋を後にした。
▼
「私も長年受付嬢をしていますがこれほど完璧な状態で保存されているリュウグウ花は初めて見ました」
そう言って感嘆の吐息を漏らすのは、悪役受付嬢でなく初対面の受付嬢だった。
もしかしてギルドってワンオペなの?
「確認ができましたので報奨金をお渡しします。お間違いないかご確認ください」
目の前にどさっと置かれたのは金袋。
持つとずっしりと重い。
言われた通り早速中身を確認する。
たしか金貨一枚が10000ルーラだから…………あれ? なんか多くない?
何度数えてもやはり5枚ほど多い。
顔を上げると、ニコリと笑う受付嬢がいた。
「多い、ですよね?」
「このご時世に、ましてやこれほどのリュウグウ花を持ってこられた冒険者です。今後とも良いお付き合いをしたいのでそのままお納めください」
つまり色をつけてくれたってことか!
「ギルド長に知れたら怒られちゃいますから、くれぐれもこのことは内緒ですよ」
そう言って、受付嬢はウインクした。
これだよこれ。
俺がギルドに求めていたのはこういう直球ドストレートな受付嬢だよ。
婚活受付嬢や悪役受付嬢なんかじゃない。
「では遠慮なくいただきます」
「はい、いただいちゃってください」
俺は手にした金袋をそのままフィアナに渡した。
「え?」
「や、俺なんもしてないから」
「い、いやいやいや。散々お世話になっておいてもらえませんよ」
慌てたフィアナが金袋を突っ返してくる。
「あいつらに口酸っぱく働けって言っておいて、今回何もしなかった俺がその金を受け取ったら色々と問題があるから」
今日のことがバレたらそれこそ蓮華あたりに『忍びからヒモにジョブチェンジですね!』なんて言われかねない。
「それはクレアさんがいたから結果的にそうなっただけで……そ、それにほら、行きも帰りも籠を背負ってくれたじゃないですか。ね?」
籠って……。
荷物持ちにすらなっていない重さだったんですけど。
「どうしても納得がいかないんなら給金ってことにしてくれてもいいからさ」
「そういうわけにはいきません」
フィアナは執拗に食い下がってくるが、俺としても折れるつもりはなかった。
「はぁ……これ以上言っても無駄みたいなのでやめておきます」
「そうしてくれると助かる」
「ふふっ。コタロウさんって意外と真面目なんですね。じゃあ今日の夕飯は私にごちそうさせてください。ちなみに拒否権はありません」
そう言って、微笑むフィアナ。
意外というのが微妙にひっかかるけど、お言葉に甘えて夕飯はゴチになりますか。