10話 ハイパーインフレ
幻爺と蓮華が偵察から戻ってくる。
黒焦げ状態の魔族にいち早く気づいた蓮華は、目を丸くして言った。
「これ、小太郎様と段蔵だけでやったの?」
「いや、ちょっと違うな」
「違うってどういうことよ」
「段蔵がひとりで殺ったんだ。俺はライブ配信に専念していたからな」
「──は?」
俺は蓮華と幻爺に起こったことをありのまま話した。
「たった数分で……? これっぽっちも信じられないんだけど」
「フォッフォッフォ」
段蔵に疑いの目を向ける蓮華。
胸を張った段蔵は得意げに、
「ま、俺の美技が炸裂したらこんなもんよ」
「そういえば幻爺、さっきの話ってほんとなの?」
「フォッフォッフォ」
「ちょっと信じられないけど幻爺が嘘をつくとも思えないし……」
「フォッフォッフォ」
「え⁉ 疾風と楓って付き合ってるの? だって楓は幼馴染の六郎といい感じだったじゃない」
「ちょっと待て! 蓮華、幻爺のフォッフォッフォがわかるのか⁉」
「うっさい! くそっ。あたしの情報網に引っかからないなんて、疾風も楓もいい度胸してるじゃない。里に戻ったらイジり倒してやるから覚悟しておきなさい」
「俺の美技……」
ん?
なんで段蔵ちょっと寂しそうなんだ?
まぁフォッフォッフォの件はとりあえず後回しでいいか。自分自身で証明させたほうが蓮華も納得するだろう。
「蓮華、あのでかい木に向かってかまいたちを放ってくれ」
「突然なによ」
「いいから」
蓮華は意味がわからないとこぼしながら風遁かまいたちを放つ。その刃のように鋭い風が大木を切り裂き、まるで裁断されたかのように木々が次々と倒れていく。まるでドミノ倒しのような様は見ていて圧巻の一言だ。
蓮華は自分の手を不思議そうにジッと見つめている。
ここに至って俺は確信した。
「これってどういうことよ?」
「異世界だと術がハイパーインフレを起こすみたいなんだ。理由は謎だけど」
俺も二人が戻ってくる前に少しだけ試してみたが、ドン引きするくらいのハイパーインフレだった。
「へぇ……」
なにその邪悪極まりない笑みは。
蓮華がそういう顔をするのは不安でしかないから本当にやめてほしい。
「まぁとにかくそういうことだ。さすがの魔王軍もこの惨状を見れば大人しく退くかもしれない」
「つまり様子見をするってこと?」
「契約は砦に迫る魔族を排除することであって殺すことが目的じゃないからな」
少なくとも俺がこの有様を目に見たら調査だけして迅速に退く。用心を怠れば死を呼び込むことにつながるからだ。
だが、蓮華は反論の言葉を口にした。
「残念だけど多少警戒はしても進軍そのものはやめないと思う。魔族たちの会話を盗み聞きしたんだけど笑っちゃうくらい人間を舐め腐っていたし。砦の攻略もどこかお祭り気分って感じに見えたもん」
言われてみれば先遣隊もこれから戦をおっぱじめようというのに気負いみたいのはまるで感じなかったな。
「まぁあの程度の魔族に追い詰められているくらいだから舐められるのも無理はないけど」
「言葉が通じるイコール思考までが俺たちと考えるのはちと危険ですぜ。人間と魔族は基本別物と考えたほうが無難でしょう」
段蔵も蓮華と同意見か。
上忍の二人が同じ見立てなら、それはきっと正しいのだろう。
「ま、それならそれでいいさ。遅かれ早かれ対処することに変わりはないし」
俺たちは林立する巨樹の上にそれぞれ陣取り、魔王軍の本隊を待ち構える。
黒煙は今も激しく立ち昇っていた。
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「これは……」
肉の焼ける臭いが周辺一帯に充満している。
予想もしていなかった光景を目の当たりにし、魔将イメルダは続く言葉が出てこなかった。
「頑強な魔族の体を炭にしてしまうほどの異常な高火力……五竜の中でも最高火力を誇る赤竜の仕業で間違いはないかと」
消し炭の死体に手を触れながら側近が確信をこめて言う。
イメルダは側近の言葉を即座に否定した。
「赤竜がこの地にいたという報告は上がっていない」
獣魔の頂点に君臨する存在、天災の化身とも呼ばれる竜の仕業なら被害がこうも局所的であるはずがない。周辺の森全てが焼き尽くされていてもおかしくないはずだ。
「赤竜でなければ一体誰がこんな真似をできると言うのです。……まさかイメルダ様が懸念されていた!」
「ああ、勇者の仕業で十中八九間違いないだろう」
勇者の存在がイメルダの中で俄然現実味を帯びてくる。そうでなければ先行させていた部隊がこうも短時間で壊滅するはずがない。
「勇者……勇者だとして──このまま進軍を続けますか?」
「無論だ。ゼブル様の命は絶対。そして相手が勇者であっても我ら魔族に後退の二文字はない。ただし警戒は密にしておけ。この惨状から推し量るに敵は炎の勇者よりもはるかに手練れだ」
「ははっ!」
側近が部下たちに進軍の命令を下す。そして進軍を再開した直後、それは同時多発的に起こった。
地面から噴き出した逆巻く炎によって瞬く間に身を焼かれ。
見えないなにかによって次々と首が切断され。
裂けた地面に同胞がなす術もなく飲み込まれている。
とどまることを知らない波状攻撃によって、屈強を誇るはずの同胞はなす術もなく死んでいった。
「イメルダ様! イメルダ様!」
叫ぶ側近の声と同胞の断末魔を他人事のように聞きながらイメルダは確信する。漠然と抱えていた不安がついに鎌首をもたげてきたことを。
三千からなる魔王軍は15分とかからないうちにわずか数十人までにうち減らされ、気づけば白目を剥く側近の首が自分の足元に転がっていた。
イメルダは肺を大きく膨らませ、未だ正体を見せない敵に向かって叫んだ。
「俺は三魔将の一人イメルダ! 俺は逃げも隠れもせぬ! そちらもこそこそと隠れていないで姿を見せたらどうだ!」
イメルダの求めに応じるように、逆巻く炎と炎の隙間からニコニコと笑みを浮かべる老人が現れる。
老人の姿を見たとき、イメルダは初めて人族を不気味だと感じた。
「……お前が勇者なのか?」
「フォッフォッフォ」
「たとえ勇者とはいえ、これだけのことをお前ひとりが成したとはさすがに考えにくい。ほかにも勇者がいるのか?」
「フォッフォッフォ」
「答える義理はない、ということか」
イメルダは老人に向けてカテゴリー4の瞬氷弾を放つ。かすっただけで相手を瞬時に凍らせる代物だが、しかし当たらない。老人とは思えない尋常ならざる身のこなしで回避されてしまう。
ならばと連続で瞬氷弾を放つも最後まで老人を捉えることはできなかった。
「フォッフォッフォ」
「貴様は風の化身か。見た目に騙されるなという見本みたいな人族だ」
(こうなったら近接戦闘で討ち取るしかない)
地面を蹴りつけたイメルダは、老人の脳天に狙いを定めて全力で得物であるハルバートを振り下ろす。
「仕留めたッ!」
イメルダは叫びながら同時に激しい違和感を覚えていた。叩きつけたはずのハルバートからなんの衝撃も伝わってこなかったからに他ならない。実際老人の体には傷一つなく、先程と寸分変わらない状態でニコニコと立っている。
「まさか残像なのか⁉」
「フォッフォッフォ」
突如頭上から聞こえてくる不気味な笑い声。同時にイメルダの世界は反転し、その瞳は間もなく闇に閉ざされた。
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ハイパーインフレした忍法の前に魔王軍は総崩れだった。
個人的な恨みはないが心の平穏のためには必要なことだったとはいえ、さすがの俺も気の毒に感じてしまうくらいには圧倒的勝利に終わった。
「あいつらは逃がしてもいいのよね?」
転げるように逃げる生き残りの魔族を見つめながら蓮華が尋ねてきた。
「逃がして構わない。この戦いの生き証人になってもらう」
これで全て解決とは思ってないが、魔王が余程の馬鹿でなければ再侵攻を企てるにしても慎重になるだろう。
あとは金を受け取れば、任務は無事終了だな。
「それにしても幻爺が積極的に働くなんて珍しいわね。どういう風の吹き回しかしら?」
蓮華が幻爺を眺めながら茶化すように言う。
その幻爺といえば、イメルダと名乗った魔将の首を大事そうに抱えている。俺はその姿に妙な違和感を覚えた。
もしかして幻爺が積極的に働いた理由って……。
「幻爺、まさかとは思うけどその首を元手にまた女の子にお金をばらまこうとしてないよな?」
「フォッフォッフォ」
「フォッフォッフォじゃなくて、それ絶対売っちゃ駄目なやつだから」
「フォッフォッフォ」
「そんな迷子のキツネリスのような目で俺を見ても絶対に許さな──あッ!」
俺が引き止める間もなく、幻爺はイメルダの首を抱きかかえたまま一足飛びに森の中へと消えていった。
「さすが幻爺。風魔の名に恥じぬ速さですな。すぐに追わないと追いつけなくなりますよ?」
段蔵がニヤニヤしながら幻爺が消えた森を眺めている。
そう思ったのならさっさと追いかけろよ!
「はぁ……幻爺が本気で隠れたら俺でも見つけることは無理だ。幻爺のことはあとでなんとかするとして、とにかく二人ともよくやってくれた」
「ちゃんと分け前を寄越しなさいよね」
「はいはい。あとは猪助が戻ってくれば──お、噂をすれば」
木々の間を軽妙に飛び移りながら近づいてくる猪助を目の端に捉えた。
「あれ? もう魔王軍を殺ったんすか?」
「色々あってな。予定よりも早く終わったんだ」
「そうなんすか。それにしても魔王軍の先遣隊を殺ったあの炎もの凄かったっすね。さすがは若様っす」
「あれは俺じゃないぞ」
俺は背後でどや顔しながら仁王立ちしている段蔵を親指で指す。
「え⁉ あれって段蔵さんひとりの仕業っすか⁉」
「段蔵ほどじゃないにしても猪助も多分同じようなことができると思うぞ」
「それってどういうことですか? あんな忍力俺にはないっすよ」
「まぁ聞けって」
忍法がハイパーインフレしていることを伝えると、猪之助の目が子供のようにキラキラと輝き始めた。
「ほえー。それはまた面白いことになってきましたねー。今試してみてもいいっすか?」
「悪いがあとにしてくれ。それより王はこちらの条件を飲んだってことでいいんだな?」
「えっとまぁ一応は……」
一応?
一応ってなんだ?
微妙に目をそらす猪助を見て、俺は思い当たることがあった。
「やっぱり想定以上に値切られたのか?」
10億はさすがに少しやりすぎかなとは思っていただけに、値切られることを前提に猪助には8億までなら値下げの許可を与えていたわけだが、まさかそれが裏目に?
「…………」
「おい、さすがに黙ってちゃわからんぞ。怒らないから言ってみなさい」
怒らないからと言って怒る母親のなんと多いことか。ソースは俺の母親。何度それで逆さ吊り&くすぐり刑をくらったことか。
抵抗できないくすぐりは拷問の最上級だと俺は思っている。異論は認めない。
蓮華が猪助に向かって威嚇するように左肩をグリングリン回すなか、猪助は意を決したように口を開く。
「値切られてはいないっす」
「値切られていない? じゃあなんでそんな言いにくそうにしてるんだよ。おかしいじゃないか」
「10億じゃなくて100億っす」
「──は?」
「だから100億っす」
100億?
ちょっと何を言ってるのかわからないんですけど。
「10億と言うところを100億と言って相手が了承したってこと?」
続く蓮華の問いに、猪助は気まずそうな表情でうなずいた。
いや、なんでそうなるん?