患者が動くな!
「今日の分の栄養剤と魔力抑止剤を打ちにきましたー」
オリヴィアにそう声をかけられ、もぞもぞと起き上がる。
気分は当然、最悪だ。
だがモータルはこれよりも酷い体調のままヤワタ戦での大立ち回りを見せてたんだから頭が下がる。
「チクッとしますよ」
「いっっっってぇッ!?」
クソ、呪術が上手く機能してねぇから痛覚遮断ができてない。
何なら普段より過敏になってる気がする。
ふと腕を見る。
そこには無数の針がついた謎の器具がぶっ刺さっていた。
なんか昨日のよりゴツくね?
「これチクッとで済む範囲?」
「何でしたっけ。死ぬ以外はかすり傷みたいな事言ってたらしいじゃないですか」
紙耐久の頃な。
今はまだマシになったぞ。虚栄のバリアもあるし。
被弾した瞬間剥げるけど。
それって紙装甲じゃね?
「……うぐぐ」
「傷口が痛みますか?」
注射打ったとこを傷口って言い出したらもう終わりだろ。
「では。何か体調に変化があった場合は呼んでください」
「わかった」
腕を軽く振ると、オリヴィアが首を傾げつつも振り返してきた。
違ぇよ、傷口の具合確かめてんだよ。
……しかし暇だ。
全身の痛みのせいで、何かしようという気力は湧かないが、暇と思える程度には余裕がある。
掲示板でも開くか。
そんな事を考えた途端に、扉が乱暴に開け放たれた。
「よぉタカ! 死にかけらしいな!」
身体を循環する魔力に明らかな負荷がかかる。
それにこの大声。
見ずとも分かる。
拳聖だ。
「今すぐ帰れ」
「ハハハ! まぁ待てよ、今の気分はどうだ?」
今の気分だと?
聞かれるまでもなく最悪——じゃない。
あれほど身体の内部で暴れ回ってた魔力が落ち着いている。
……そうか、修練のギフト。俺の症状を抑制しているのか。
「あー……意図してやってんだよな?」
「当然。最強だからな」
その理由付けはよく分からんが、意図しての事ならば、俺も言うことがある。
「ありがとよ。元はといえばお前のせいで瀕死の連鎖に追い込まれてんだけどな」
「憎まれ口を叩ける元気があるんだな! それなら!」
それは半ば反射だった。
突如として振るわれた拳を全身のバネを駆使して回避する。
当然ベッドは粉砕され、破片が身体を掠めていった。
「それなら——稽古ができるってこったな。長らく指導を怠って悪かった! 始めようか」
「ばっかじゃねぇの!?」
尚も拳を振るってくる拳聖。
慌てて距離を取る。
壁を素手で殴ったとは思えないような音が立て続けに鳴り、俺の背筋に冷や汗が垂れる。
クソ、そっちがそうくるなら俺だって。
「おお? 寒いな」
「治療室送りにしてやるよ、てめぇが指導をサボってる間に俺は成長してんだ」
氷を全身に纏い、相手を脅す。
デバフは通らない。クソが。
「いいねぇ! お前は殺意への切り替えがはやい!」
うるせぇ。殺す。
刃状にした氷で斬りかかる。
狙うのは喉。
「なるほど」
刃を握って止めにくる。
そうだろうな、てめぇほどの自信家はそうする……!
瞬間、氷を炸裂させる。
これで野郎の手の平はズタズタ……いや、ダメだ、まずいッ!
「う、お……ッ」
炸裂させたはずの氷の刃を掴み続け、俺を引き寄せに来た。
拳が掠めた鼻からピキリと嫌な音がする。
「が、あ……てめぇ!」
一応、飛び退きはギリギリ間に合ったと言える。
致命傷では無い。この程度、怪我の内に入らない。
鼻息に力を入れ、血を押し出す。
今の現象を分析しよう。
俺のミスは、奴の魔力伝導阻害を見誤った事だ。
この修練のギフトの源は他でもない拳聖にある。
つまりは、奴の内部こそ、この場で最も伝導率の悪い場所。
「実際の刃物を通すしかねぇのか」
魔力のみで作ったような先程の氷の刃では表皮しか削れない。
そういう事だろう。
しかし困った。
療養中の身だったため、刃物は所持していない。
「……」
「拳でかかってくればいい」
拳聖が煽るように手招きをする。おそらく煽りじゃなく本気で言ってるんだろうが……クソ、腹立つな。
それじゃ勝てないから俺は悩んでるんだ。
レッテル張りを使うか?
いやダメだ。おそらくだが、今アレを使うと死ぬ。術自体も不発で終わりそうだ。
刃物。刃物が要る。
そこで俺は粉砕されたベッドを見た。
なるほど、鉄パイプ。
どこのヤンキーかと突っ込みたくなる武装だが、幸に歪に折れたそのパイプは刃物と呼べる形状になっていた。
「拳、拳ね……まぁいいか。せっかくの拳聖の稽古だ、やってやろうじゃねぇか」
「その意気だ、かかってこい!」
嘘だけどな。
まずは位置取りだ。
「はッ」
氷を纏わせつつ、突っ込む。
俺があの鉄パイプを得るには、コイツをもう少し横にずらす必要がある。
股下抜けはリスキーだ。
おそらくコイツには通じない。
なら側面からラッシュをかけて押し通すしかない。
「ふむ、なるほど……」
速度なら自信がある。
威力を減衰させないよう調節しながら何度も殴りつける。
これでいけるならばやってやろうという気概で打ってはいる。
だが、今のところ全て片手でガードされ続けている状態だ。
まずいな。
拳聖が動く理由がない。
「稚拙だな」
「うお!?」
気が付けば俺は身体が宙に浮いていた。
そして即座に壁に叩きつけられ、血が口から吹き出したのを感じた。
「拳は……ダメだ。お前に合ってないのか? だが拳は必要だぞ、武器が調達できない事だってある」
「いいや、調達できるねッ!」
ヒビが入った壁の欠片。
それに氷を纏わせ射出した。
狙ったのは眼球。
「ほう!」
拳聖が感心したような声をあげる。
そこから追撃を——
しない。
横をするりと抜ける。
そこにあるからだ。俺の求める物が。
壊れたベッドだ。
鉄パイプを蹴って浮かし、手に取った瞬間に拳聖へと襲いかかる。
流石に意表を突かれたのか、確かな手応えがあった。
「っと」
武器を没収されないようすぐさま下がる。
拳聖の手が空を切った。
「貪欲だな、流石に少し驚いた」
拳聖の肩の皮膚が軽く剥げている。
ここまで苦労してその程度か、と徒労感を覚えなくもないが……まぁいい。
通らないわけではない、それが分かっただけ収穫だ。
「ああ、楽しくなってきた」
「すぐに最悪な気分にしてやるから待ってろ」
俺が鉄パイプを構え直した。
そこで気が付く。耳に入る、扉が開く音。
それはゆっくりと。
しかし無視できない圧を持って開いた。
「検体……じゃなかった。患者が暴れていると聞きまして。タカさん、拳聖様。何をやっているのですか?」
それはオリヴィアだった。
見たことのない武装をした。
「俺は暴れてねぇ。そこの拳聖が唐突に殴り込みにきたから応戦した。正当防衛だ」
「ノリノリで問答してましたよね」
やべ、聞かれてた。
「拳聖様」
「荒療治だ、身体を動かせば健康になるだろ?」
「あはは。それ以上口を開かないで下さいね」
「……へぇ、破砕のとこの妹か。道理で」
パリン。
拳聖に向け、何かの瓶が投げつけられた。
ツンと鼻につく刺激臭。
同時に拳聖が叫んだ。
「オオオオアアアアアアッ!!?」
地面に転がり込み、のたうつ拳聖。
すげぇ、一発でこんな事に。
「か、かゆい!!!!!」
うわぁ。
拳聖を無視して、オリヴィアがこちらに寄ってくる。
思わず姿勢を正した。
「タカさん」
「はい」
「ここ、信じられないぐらい邪魔が入るので、療養場所移しましょう」
そっすね。
まぁレオノラの屋敷を訪ねるやつなんぞたいてい異常者だから、仕方がない。
まともなのは銀弾のおっさんぐらいだ。
「でもどこに?」
「私の屋敷に行きましょう。移動しますよ」
えっ?
……え?