地雷
「タカさんが吸い込んだところで死にはしないと思いますけどね」
慎重に残留物がないか確かめながら部屋に入った俺に、オリヴィアが呆れたような声を出した。
いや怖いだろ、ゾンビが全部死んでんだぞ。
「しょせん、格下を狩ることしかできない薬ですよ」
それ俺の呪術への悪口?
あれ、ちょっと待てよ。
「ひょっとして、格上用の薬があんのか?」
「はい。相打ち覚悟になりますが、一応」
「それ俺も巻き込まれません?」
オリヴィアが立ち止まる。
じっくりと俺の顔を眺めた後に、言った。
「ですから、そうならないようにタカさんが頑張ってくださいね」
「あっ、はい」
善処します。
しばらく食堂を探っていくと、厨房から垂れ下がるハシゴを発見した。
「これ、どんどん進まされてますよね。帰れなくなるのでは……」
「いや、それは無いと思いますね」
しまった。
思わず即答してしまった。
案の定、怪しむようにオリヴィアがこちらを覗き込んでくる。
「何か根拠がお有りで?」
「……魔女について、色々と調べて、作品も狩ってきた。その中で、どことなく、魔女には魔女なりの美学があることに気付いたんだ。まったく共感はできんが」
本当は、当人に直接聞かされた。
だがそんな事は言えない。
真実を混ぜ込んで、適当な理由をでっち上げる。
「公平性だ。一方的な殺しではなく、殺し合いを奴は望んでる。だからこの館を、攻略不能の袋小路に設計するとは思えない。殺し合って、勝てば出られる。そういう風にヤツなら設計する」
どうだ?
オリヴィアの表情を見る。
どう……だ?
このタイミングでデバフを入れるのは少し怖い。
これで説得されてくれるのがベストだが。
「タカさん、それ異端スレスレですよ」
「でも、殺す為には必要な知識だと思うだろ?」
「敬語も崩れちゃってます」
「…………一応、崩しても良いとは言われましたし」
オリヴィアの口が薄く弧を描いた。
「この後の働き次第、ですかね」
こっわ。
確かに今んとこ索敵しかやってねぇけどさぁ。
俺はお嬢様を失望させないようせっせと索敵の氷を這わせながらハシゴを登った。
「……こりゃまた不可解な空間に出たな」
シャンデリアがぶら下がり、窓にはステンドグラスのような物が嵌め込まれている。
蝋燭台が置かれた品の良い長机、難解そうな本が詰まった本棚……ハシゴを登った先には、まさに貴族の部屋といった風景が広がっていた。
「これは、何ですかね」
「さぁな」
見れば、ハシゴを登ってきたハッチのような入口は既に無くなっている。
貴族の部屋……リッチでも出るのかね。
「扉を開けるぞ」
「どうぞ」
微かな軋む音と共に、扉が開く。
廊下だ。
蝋燭台が点々と灯り、窓ガラスからは雷雲で荒れきった外の景色が見える。
「外の景色、こんなのじゃなかったですよね」
オリヴィアの呟きに首肯する。
「偽物の景色だろうな。間違ってもそこから飛び出ようとすんなよ」
「わかってますよ」
流石にな。
廊下をゆっくりと進む。
いくつか部屋があるようだ。
「……?」
試しに次の扉を開けてみようと、ドアノブを握ったところで異変に気付く。
自分の吐く息が白くなっている。
ドアノブもやけに冷たい。
「オリヴィア嬢、寒くないか?」
「え? ですが、索敵のために出しているものなのでしょう? 少しくらいは我慢……」
「いや、違う——」
この冷気は、俺のじゃない。
背後の空間に違和感。
咄嗟にオリヴィアをこちらに引き寄せ、短剣をその虚空に向けて振る。
「ちょっ」
黒板を引っ掻いたような音と共に、俺の短剣が何かにぶつかった。
徐々に、虚空からソレが姿を現す。
「ォオオ……アァ…………」
冷気を滾らせ、憎悪のこもった表情で俺を睨む白い着物の女。
その女の異様に長い爪が、俺の短剣と鍔迫り合いになっていた。
次はジャパニーズホラーかよ。
「ウゥ……」
「うるせぇな」
「カカッ」
異音を発しながら着物の女が天井まで跳び上がる。
そのまま、ゴキブリのような挙動で廊下を駆けていった。
「……チッ、厄介だな」
慌てて追おうとするが、軽く腰を抜かした様子のオリヴィアを見て立ち止まる。
意外にだらしない。
それとも、異世界人はこの手の物に耐性が無いのだろうか。
「オリヴィア嬢」
「……た、助かりました」
「心を強くもってください。おそらくですが、あの女は恐怖されればされるほど——強くなる」
オリヴィアが必死に何か弁明めいた事を口にしてくるが、頭に入ってこない。
俺の思考は、ある一つの感情に支配されているからだ。
恐怖のデバフ、そしてそれが通れば強化だと?
それだけに飽き足らず——
「冷気だぁ? 俺と丸かぶりじゃねーか。絶対に殺す」
「えっ」
絶対に許さん。
その存在を悟られず、報告するまでもないぐらい特に苦戦もせずに殺さなければ。
うっかり情報が漏れようものなら、鳩貴族さん辺りに「タカ、悪霊説」なんかを垂れ流されかねない。
「行くぞオリヴィア嬢、奴は存在してはいけない生き物だ」
「すみません、そこまで怒る理由がピンときてないんですけど……」
「オリヴィア嬢、ゾンビが毒瓶を使ってきたらどう思います」
オリヴィアが少し考え込んだ後、ぽんと手を打つ。
「確かに、なんか不愉快ですね」
「それです」
「なるほど」
許せねぇよなぁ!?
「冷気もですが、あの妙な挙動もタカさんっぽいですもんね」
「いや、それは違いますね」
誰の挙動がゴキブリだ。
こんな悲しい言い掛かりが発生したのも全てあのクソ悪霊のせいだ。絶対に殺す。
俺は人間っぽい挙動を意識しながら、そこそこの速度で走り始めた。