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水面の暗殺者

「到着だ。覚悟はいいよなぁ?」


 ブーザーの魔道具が唸りを上げ、とある池の前に止まる。

 周囲をジャングルで囲まれた、秘境とも言えるような場所だ。

 

「ええ。素早く終わらせましょう」


「うん、早く帰ってタカの修行手伝いたいし」


 レトゥに続いてモータルが魔道具から降り、剣を構えた。

 2人の足は、さっそく池の中に向き——


「ええい、気が早いわ馬鹿者ども。しくじる可能性を頭に入れておけ」


 慌ててスルーグがスライム体を展開しながらそれに続いた。

 緩やかに水紋が伝い、やがて姿が見えなくなる。



「……まぁ、なんだ。俺ァ待ってるだけで良さそうだな」


 1人残されたブーザーが、そう呟いた。






 モータルは、水中に潜ったその瞬間には既にその存在に気付いていた。


「……」


 隣のレトゥに伝えようとして、水中では会話ができないことに思い至り一度水面に上昇する。


「ぷは。えーと、見えた?」


「はい。池の中心に座している、極彩色の甲殻を纏った魔物——魔女の作品に間違いないでしょう。モータルさん、アレをもう少し地上まで引き上げていただけませんか。私は待ち伏せして暗殺するスタイルなので」


 こんな透明度の高い池で待ち伏せも暗殺も何もあるのだろうか。

 そんな疑問を抱きつつも、モータルは二つ返事で池の奥へ潜っていった。


 視界の端に、どこからか流れ着いたのか流木が見える。



(甲殻は嘆きの母より硬そう)


 剣に伝う魔力を意識しながら、魔女の作品に近づいていく。

 かなり泳ぎやすい。スルーグがスライム体を駆使してこちらの泳ぎをサポートしてくれている。

 

(伝導率は上がってるし、傷をつけられない事は無いだろうけど)


 レトゥがどこまで火力を出せるのか。

 そこだけが不安な点だったが、レオノラの采配だ。

 不足が出るとは思いづらい。


『けいかいしろ』


 スルーグがスライム体を文字状にし、こちらに危険を伝えてきた。

 そうだ、魔女の作品は既に目と鼻の先だ。


 自分の体躯の10倍はありそうな、極彩色の甲殻の塊を前に息をのむ。

 

(殻持って帰って自慢しよ)


 全身に力を入れる。

 己の身体が獣に近付き、泳ぐ速度が一気に上がったのを感じる。

 勢いそのままに、剣を極彩色の甲殻へと放った。


 鈍い衝撃が、剣を通じて、波を通じて。

 伝わってくる。


 剣を振った後の極彩色の甲殻にはハッキリとヒビが入っていた。


(もう一撃……)


 剣を構え直したところで、眼前に文字が浮かび上がった。


『みなも に もどれ』


 キリキリと、水中にも関わらず不快な音が響く。

 魔女の作品は、身動ぎすると、甲殻の隙間から憎悪を宿した視線を覗かせた。


 その視線はスルーグのサポートを受けて急上昇するモータルを真っ直ぐ射抜き——


「ッ!?」


 周囲の水を気泡化させながら、何かを射出した。


 スライム体がモータルを厚く包みながら、水中を脱する。


「……熱い! おぉい、レトゥ! どうだ、いけそうか!?」


「もう射程内です」


 どこからか声がした。

 

 視界の端の流木が動く。


「うわ、気付かなかった」


「正確には気付けなかった、かの?」


 流木ではない。

 それは茶色く、しかし艶をもった甲殻だった。

 分かれた枝に見えたものは、鋭利な鎌。


 その鎌は既に、水面からでも分かるほどしっかりと極彩色の甲殻を捕らえていた。


「これレトゥさん?」


「うむ。レトゥは水上と地上の形態を持っておっての」


「乙女の秘密を語るのは感心しませんね」


 声の出どころを探せば、不自然に突き出た筒のような物が。


「……え? アレで呼吸してる感じ?」


「そうじゃな」


 えらく古典的で、知ってしまえば拍子抜けするような仕掛け。

 これは水中戦が得意と言えるのだろうか。


「これ俺がいなかったらヤバかったのかな」


「そうじゃなぁ。ワシではあの甲殻に傷を負わせることはできんかったじゃろうし……奴に敵意を抱かせなければ、こんな水面近くまで誘導できんかったじゃろうから、間違いなくお主がいなければまずい状況になっていたじゃろうな」


「ふーん……てか、もう倒したのかな」


 当初たっていた水飛沫もない。

 モータルは水中の様子を見るために軽く潜った。

 

 水中では、カマキリを思わせるような細身の怪物が細い口器を極彩色の甲殻の隙間にねじ込み、もぞもぞと蠢いているところだった。


「醜いでしょう?」


 顔を上げると、例の筒から聞こえる自嘲げな声。

 モータルはしばらく悩んだ後、答えた。


「こういうの、なんか昆虫図鑑で見たことあるよ」


「……」


 返答は、なかった。






 数時間後。

 結果として討伐よりも手間がかかった作品の解体と積荷作業を終え、4人は魔道具に乗り込んでいた。


 水に濡れた髪が、風でかわいていくのを感じる。

 

「はぁ。不愉快ですね」


「落ち着けレトゥ、モータルの行動はそうおかしな事ではない。戦況を見ようとするのは当然だ」


「水中で、無警戒に私の鎌の射程内に入った時点で勝敗は決していたんですよ。何故それを話しておかなかったのですか」


「まさか作品をほぼ一撃で屠れるとは思っていなくての。流石のワシも驚きじゃ」


 レトゥがそっぽを向く。


「……相性が良かっただけです。甲殻の中はまったくのノーガード。攻撃も溜めが必要なものを放ったばかり。完璧でした、そこだけは褒めましょう」


「美味しかった?」


「首を落としますよ」


 レトゥの脅しに、モータルが首を傾げる。


「でもアレ、多分エビかカニがモデルだろ。美味そうだったなー」


「……魔女の作品が美味しいわけないでしょう。私の冒涜的な捕食方法にふさわしい、最低の味でしたよ」


 文字通り苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるレトゥ。

 そこで険悪な空気を知ってか知らずか、ブーザーが口を開いた。


「なぁオイ、これって俺必要だったかぁ?」


「運搬役」


 モータルの端的な言葉に、ブーザーが呻き声をあげる。


「勘弁してくれよ! その理屈じゃあ、俺ァあと何回作品討伐について行かなきゃいけねぇ!?」


「他の人に魔道具を運転させれば良いじゃん」


「あぁ!? それだけは許せねぇ! これは大事な大事な俺の相棒だ!」


「じゃあ、無理じゃな。諦めろ」


 ブーザーの口がパクパクと開閉する。


「……ハハ、はーあ……俺はまぁまぁやれる奴だと自負してたんだが……今じゃ荷物運びかよ」


「じゃあ一緒に拳聖の修行やろうよ」


「断る」


 ブーザーが酔いを微塵も感じさせない勢いでハッキリと言う。

 だが悲しいかな、モータルには一度ハッキリ断っただけでは足りない。

 そのことをブーザーが理解するのは、実に数時間後の事だ。



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