擬態の果て
「さて」
アレを訪ねるなら今だろう。
弓と矢筒を背負い、靴を履く。
「あれ? どうした、アルザ。なんか用事か?」
「ちょっと散歩に行くだけだよ。寂しがらせてしまったかな?」
「いや、全然……」
真顔になったジークに投げキッスを飛ばし、部屋を出る。
汚れ仕事は僕の役目だろう。
廊下を進む途中、向かい側から見知った顔が歩いてきた。
「やぁ、カーリアちゃん。どうしたのさ、そんな浮かない顔して」
「……」
まいったなぁ。
僕が誰に会いに行こうとしているのか、勘付いてるみたいだ。
「アルザさん、そんなに殺気だって……どこに行くつもりですか?」
どこに、と言いつつその瞳には確信の色が見える。
「やだなぁ、魔王軍の残党狩りさ。一匹、潜伏場所を特定できたからね。生き残らせておくと、後々厄介なことになりそうな奴だ」
自称穏健派の男が言っていた、潜入課の行方不明者。
擬態の魔族だ。
「彼とは、既に私が話をしています。無害と判断したから、黙認しているんです」
「勝手な判断は困るなぁ。僕だって、一時は見逃してあげようかなって思ったけど……能力が能力だろ?」
カーリアちゃんは、いや、ここの人達は砂漠の女王を除いて本当に甘い。
タカは少し冷徹さが出てきたけど、それでも甘さが残ってる。早々に精神的な着地点を見つけて欲しいとこだけど……それは今考える事じゃない。
「そんなに嫌ならついてくるかい、カーリアちゃん。君の擁護と本人の弁があれば、僕も心変わりして、優しい優しい十傑達に相談するかもしれないよ」
「……ッ」
歩き始めた僕の後ろに、続く足音。
揉めそうな予感に、思わずため息をついた。
その出店は、変わらずそこにあった。
「やあやあ、数日振りだね。少し内密な話があるんだけど、いいかな?」
例の魔導書を購入した出店、その店主たる女児に向け笑みを向けた。
「……今日はもう店じまいなんだ、明日にして欲しい」
白々しい。
背中越しに、カーリアちゃんが何か言おうとしているのが分かる。君はもう少し嘘が上手くなった方が良いよ。
「擬態は精神も少し釣られることがある、とは風の噂で聞いたけど……やれやれ、そこまで幼稚な思考になったわけじゃないだろう?」
「カーリア、喋ったのか」
「いえ、私は……説得を……」
僕の後輩を勝手に責めないでくれるかなぁ。
カーリアと擬態の魔族の間に入るようにして、立ち位置を横にずらす。
「僕の魔王軍現役の頃の知識と、得た情報から推理した結果だよ。カーリアちゃんはまーったく、口を割っちゃいない。それはそれで問題だけどね」
擬態の魔族の表情が、一瞬柔らかなものとなり、すぐに元の険しいものに戻った。
「そうか。どうする気だ」
どうする気、ねぇ。
それを今から決めるのさ。
「まずは質問から。他の魔族の場所を知ってるかい?」
「知らない。逆にあいつらも、俺の場所を知らない」
「やろうと思えば、会えるんじゃないの?」
擬態の魔族の眉がぐっと寄る。
「不可能ではないが……俺を囮に使うつもりか」
「丁重に扱われると思ってたのかい。随分と自己評価が高いんだね」
「俺は、今のまま死ぬわけにはいかないんだ。カーリア、あの話は、こいつにはしてないのか」
あの話?
振り返り、カーリアの表情をよく見る。
苦しそうな顔だ。いったいどんな話で僕らのかわいいカーリアちゃんを誑し込んだのかな。
「その、彼は……今擬態している少女に恩があるんです」
「へえ。そうなんだ。魔王様から受けた恩よりも? 一時の気の迷いか、嘘としか思えないな」
「何とでも言え。魔王は、魔族ごとの適材適所を把握するのが上手い、有能なやつだった。だが、現段階の能力だけを見て、呪術の成就の方向はまるで度外視の配置をした。恩なら確かにあるが、恨みもある」
そう言われると、僕の心の隅に残った残滓が疼く。
「僕が配備された場所は、僕の能力に合った場所とはとても言い難かったけど……強いから、許された。魔王軍は、弱い者を擁護するための慈善団体じゃない。戦うための組織だ」
「知っている。どうにもならない事だ。だからこそ苦しかった……もう、いいだろ。そこの掘り下げは」
おっと。僕も熱がこもりかけた。
良くないな。聞くべきは、今擬態している少女についてだ。
「話題を戻そう。君の恩人である少女についてだ。その少女本人は今どこにいるんだい?」
擬態の魔族の表情が歪む。
幾度かの浅い呼吸の後、口を開いた。
「死んだ」
「はは、殺して擬態したんじゃなく?」
「馬鹿なことを言うなッ! 俺だって、こんなことになるなら、もっと……よく見て、守ってやれば……」
よほど動揺したのか、擬態が緩み、指がやや節だったものに変わっている。
この分なら、本当に死んでしまったのだろう。
「死因は」
「はぐれの魔物に襲われた。わざわざ、俺の所まで食料を運んでいたせいだ」
「ははあ。すると、君が受けた恩というのは、食べ物か」
すぐに鋭い視線が飛んでくる。
後ろのカーリアちゃんも同様だ。
どうして僕が悪者のようになっているんだ。
「それだけじゃない。何度も会話をした」
「会話と食料、良いね。平和な解決方法だ。他の残党にも試してみるよ」
「アルザさん」
むむ。カーリアちゃんに咎められちゃ仕方ないな。
煽りは程々にして、次の話に移る。
「恩と、その少女の概要は何となく掴めた。分からないのは、君の行動だ。どうしてこんな出店をやっている? どうして、あの日記を見つけてわざわざジークに買わせた?」
「俺を肯定してくれた存在を、愚か者のまま終わらせたくなかったからだ」
擬態の魔族の言葉を、頭の中で転がす。
……なるほど、だいたい分かった。
確かに少女はこのままいけば敵に餌をやるために危険を冒し、勝手に魔物に襲われた愚か者だ。
「君が少女となって、功績を積もうとしたんだな。外に出歩くような少女像から、想定しうる範囲で。それが、拾った魔導書……ゲームマスターの日記を届けることだったわけだ」
「そうだ……ゲームマスター?」
少し揺さぶりをかけたけど、アレの中身を知ってたわけじゃなさそうかな?
「ああ、気にするな。まぁ珍しい以上の価値は無かったね」
「そうか。何か意味がある品かと思って届けたが……違ったか」
擬態の魔族が怪訝な表情を浮かべる。
まずいな、この件は彼らの大事な部分に触れかねない。
そうなれば十傑達はこの魔族に恩義を感じてしまうだろう。
さっさと次の言葉に移らなければ。
「総括するなら……君が死ぬわけにいかないのは、少女がまだ認められていないから。そうだろ?」
「そうだ」
ははは、全く。
魔王軍にもまだこんなに愉快なやつがいたとはね。
出会う時期が違えば、お気に入りの駒にしてたかもしれない。
「ただ、いつまでも君が少女だと偽るのは冒涜だろう。君のはあくまで擬態。成長していくことはできない」
「分かってる」
「なら、良い提案がある」
擬態の魔族の額に指をそっと当てる。
「素晴らしい死に場所を用意しよう。それが僕が君に示せる最大級の敬意だ。受け取るかい?」
「アルザさんっ! それは……!」
擬態の魔族が、弱々しく笑った。
「悪魔の誘いだ」
「魔族だからね」
似たようなものさ。