いつか見た影
「おはようございます」
「……」
目が覚めるなり、ムカデ女の甲殻が視界に飛び込んできた。
素晴らしい目覚めだな。
「おいてめぇ」
「こちら歯ブラシです」
「……」
なんだコイツ。
だがどうやったって俺は朝はまず歯を磨かねば落ち着かない性分だ。
一旦歯ブラシを受け取り、歯磨き粉を付ける。
「あのなぁ、少しは信用するとは言ったがな」
「貴方は朝の準備が少々、ゆったりしすぎなようですので、こうやって他者のサポートを受けた方が効率的です」
「はぁ~?」
しゃこしゃこ、と小気味の良い音を鳴らした後、洗面台に水と共に汚れを吐き出す。
「はー……えぇと、今日はどうするんだっけか」
「エリーさんとデートですね。他の方は……そうですね、レオノラさんとブーザーさんは申請書類の準備でしょう」
「へぇ。モータルは?」
「魔物の討伐に精を出されているようです」
「了解」
あの強さで鍛錬に余念がないとかマジかよ。
追いつけないので少しはペースを落としてくれ。
「その心配は必要ないと思いますよ」
「あ?」
「魔女:オリジナルを殺した後に私を殺してください」
「言われなくても殺すけど。何?」
「影を殺した時と同じです。内部の記録を見ているので、私も祝福を授ける事ができると思います」
ふーん。
「どのぐらい強くなれる?」
「一度死ぬ前のアルザさんに勝てる程度には強くなれます」
「んー……そりゃかなり強いはずなんだけどなぁ」
強いけど。
「分かったんだけどさ、この世界じゃ真っ当に強いだけじゃ何も変えられないだろ?」
「そうですね」
「要るんだよな。チートというか、このパターンに嵌めれば確殺、みたいな何かが」
確殺ほどじゃないが、砂漠の女王の領域なんかがそれに該当する。
敵への凶悪なデバフに加えて味方へのバフ効果。ついでに領域内での転移能力。
あそこで戦えるのならば、魔女ですら現段階で攻略の目が見えてしまうほどだ。
「アルザさんはそれを錬成に見出し、カーリアさんの一族はそれを風に見出した。貴方も何に究極を見るか、考えた方が良いように思います」
ふーん。
「砂漠の女王は」
「土地を縛る、呪術に究極を見出したわけですね」
「そうか」
究極、か。
俺が一番、極めている物といえば……。
壁にかけられた短剣をチラリと見る。
「……無理じゃねぇかなぁ」
「魔術を絡めないと難しいでしょう」
やっぱり?
物理職ってだけでつらいのかなぁ。
「ただ、そうですね。呪術と相性が良いかもしれません」
「どう違うんだそれ」
「魔法陣を刻んだ物品で意味を持った配置を作る事ですね。三次構造魔法に近いですが、それぞれ自立した魔具である事が前提です。普通、均一な歯車を並べて作るところを、全て違うパーツで何とか噛み合わせようとする感覚でしょうか」
よく分からんな。
「呪いとは違うのか」
「呪いは、デバフ効果を持った魔法や呪術の俗称です。呪術の事を呪いと言うこともありますが、基本的には別物です」
「……めんどくせ」
魔具とやらを集める事は出来るかもしれんが、その組み合わせなんぞさっぱりだし、俺の個人的な研究に砂漠の女王やら何やらが手を貸すとも思えん。
頼めばそれ単体で強い武器ぐらいなら得られるかもしれないが、それだけだ。
つまりは、ぽっと出の俺がやろうとしてできる事ではない。
短剣使いの究極形なんぞ夢のまた夢だろう。
「次世代を見据えて、基礎を築くのも大切な事ですよ」
「うっせー。んな悠長な事言ってられっか」
「それに、一世代でも……そうですね、擬似必中の毒投げナイフくらいなら製作できるかもしれませんよ」
「擬似ってなんだ」
「追尾性を持っている、という事です」
「……」
強いな。
いや、強いか?
魔女にぶん投げた結果、マジもんの必中の短剣になってこちらに投げ返してくる未来が見えるんだが。
「わざわざ投げ返すことはせず、そのまま飲み込むかと」
「どっちにしろ駄目じゃねぇか」
「ですが敵は魔女だけでは無いでしょう。札は増やすに越した事はありません」
「……」
確かにそうだが。
「自慢じゃねぇが俺はこの世にある事象のだいたいにおいて素人だ」
「はい」
「俺の代わりにやっといて」
「寝ている間に貴方の身体に魔法陣を刻んでいいという事でしょうか」
「ごめんやっぱやめとくわ。この話は保留。一旦おわり」
言われてみれば魔族の方々がやたら身体に刻んでましたね。
そういう事なのね。
ちょうど話に区切りがついた頃で、扉がノックされた。
「タカさん、入っても大丈夫でしょうか」
「ん? ああ、どうぞ」
「失礼――します」
隣のムカデ女がぶっ飛び、壁に叩きつけられる。
えっ。
「独特な挨拶ですね」
「タカさん。昨晩は同じ部屋で睡眠を?」
「いや? コイツは起こしに来ただけ」
「今度からは私がやるので安心してください」
「安心要素どこ?」
「私です」
そう。
レオノラに頼んで鍵付きの部屋にしてもらうか。
上着を羽織り、腰元に短剣を仕込む。
「えぇと、とりあえず朝飯でも食いに行きますか」
「はい」
部屋を出る直前に、ムカデ女に視線を送る。
俺の思考が読めるんだから、鍵付きの部屋にするよう計らうぐらい簡単だろ。
頼んだぞ。
「……」
コクリと頷いたのを見届け、満足した俺は、エリーさんと共に朝の街へと向かった。
いやぁ、表面上はハーレムっぽいのにな。
心がどんどん沈んでくぜ。