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狼の矜持

「……ふざけんな」


 擦れたような声を絞り出す。

 ここにくるまでどれだけ苦労したか。

 それなのに、生贄だと?


「もっと初期症状の内なら。生贄なんて要らなかった、よ? でも。こんな末期状態じゃ、無理」


 ジークが俺を押しのけ前に出てくる。


「そもそもお前が報酬を前払いすりゃ良かった話じゃねぇかよッ! 後から条件追加なんて許さねぇぞ! せめてその生贄もお前の側から出すのが礼儀じゃねぇのかッ!」


 珍しく声を荒げるジークをアルザがすっと腕を引いて諌める。


「……ッ」


「ごめんね。私達は。別に生み出した生き物を隷属させてるわけじゃない。だからこっちじゃ用意できない」


 そこまで言い、首を傾げる。

 隷属させてない……ああ、レオノラに助けて貰った時にも聞いたが、同意が重要って事か。

 その点、人狼なら条件に合致してる。合致してしまう。


「錬成の実験とやらに使っているエネルギーを用いるのは無理なのでしょうか」


 鳩貴族さんの質問。

 魔女が少し眉尻を下げつつ答える。


「使ってもいいけど。治療できても別のモノになっちゃうかも。それは嫌なんじゃないの?」


「……流石に賭ける気にはなりませんね」


 鳩貴族さんの言葉を最後に、沈黙の時間が訪れる。


 どうすればいい。考えろ。

 何か、何かあるはず――。



「もうさ、妥協しちまえよ」


 魔女の後方からした声。

 皆の視線が一気にそこへ集まる。


「……お前」


 その男――シュウトが運んできたグラスを魔女に差し出す。


「ん。ありがと」


「はいはい。あのさぁ、お前らさぁ。魔物の合成、散々やってたじゃねぇかよ。それと何が違うんだ?」


 それは。

 確かに、そうだが。


「理屈ではそうなるでしょう。ですが私達の感情はそれに沿えない。だから悩んでいるんです」


 七色の悪魔さんが落ち着いた声音で反論する。


「……あー、そうか。いや悪ぃな。その辺は擦り減ってるからよく分かんないわ」


 シュウトが肩をすくめる。むかつく奴だ。

 いらだちそのままにシュウトのすまし顔を歪ます為の煽りを練ろうとした。

 その時だった。



「もういい、やめてくれ」


 人狼の悲痛さの混じった声。


「俺を使え。他ならない俺自身がそう望んでる」


「でも、お前」


「いいんだ。俺は、そう生きるしかないんだ。この道を逸れて生きる事はできない」


 人狼がこちらを睨む。


「そうしたのはお前達だろう」


 俺達? どういう意味だ。


「……正確にはあの錬成陣、かな?」


 アルザがぽつりと言葉を漏らす。

 錬成陣。何か俺達の知らないからくりがあるのか。


「君達さ。アレで生み出した魔物が強制的に隷属するようになってる、なんて思ってないかい?」


「違うのか」


「違うよ。ボクも最初はそうなのかと思ってたけど。それだとあまりにリソースを食う」


 一呼吸置いてからアルザが続ける。


「やるのはもっと単純な事。忠義心の植え付け、だ」


 アルザがそうだろ? という視線を人狼に送る。


「……ああ」


 忠義心の植え付け。

 それは、何というか。


「俺は、断片的に前世の記憶がある。でも本当に大事なことは思い出せてないんだろうな。錬成の途中の虚無感や喪失感は、そりゃもうとんでもない物だった」


 人狼が倒れたモータルを撫でる。


「その隙間に流し込まれるのが忠義心だ。抗えるわけもない。抗う気にもなれない。だって、あんなの、すがらずにいられるか……ッ!」


 モータルの顔にぴたぴたと水が垂れる。

 それが人狼の涙と分かるまでには数秒を要した。


「これはッ、俺の、俺が持ってる唯一の物だ。俺が持っている物はこの忠義心だけだ。俺の生きる意味なんだよ……ッ!」


 魔女がふらふらと人狼とモータルへと近付く。

 止める気力は無い。

 おそらく、資格も無いだろう。


「ここで俺が生贄にならずにモータルが死んだら、俺は終わる。精神の主柱が破壊される。それは多分、死ぬより苦しい」


 何も言えない。

 こんなの、無理だ。

 無責任に、生きろと、そう言うことができない。


「……そんな顔すんなよ。そもそもが生き返るはずもない身だった。そこは一応感謝してるし、主柱にはならずとも、他に楽しい事にも出会った。悪い事ばかりじゃない。現に今、俺は自分が忠義を果たせると分かって――」


 

 ――気分が良いんだ。



 人狼とモータルが魔女に包まれる。

 部屋のいたるところから魔法陣が浮き出て発光する。


 そういえば以前来た時と部屋の細部が異なっている。

 解呪用に作った部屋ということだろうか。

 それで溜飲が下がるわけではないが……。


「うっ」


 発光が強すぎる。

 思わず目をつぶる。


 次第に耳鳴りも酷くなる。

 耳を塞ぐがあまり意味が無い。


「頭が、割れる……ッ!」


 痛みが加速的に高まっていき、あと一歩で気絶するであろうところで、少し耳鳴りが収まる。


 それを皮切りに光量と耳鳴りがどんどん収まっていき――。





「モータル?」


 ダメだ。まだ目がチカチカしてやがる。

 ぼんやりとしたシルエットでしかとらえられない。

 モータル、だろうか。




「――うん。皆、迷惑かけてごめん」


 その声が耳に入って。

 声だけで分かる。いつものモータルだ。


 そりゃあ、これは手放しで喜べる事なんかじゃない。

 犠牲があった。知りたくないような事も知った。

 それでも。


「モータル!」


 自然と身体が動く。

 後ろの奴等も一緒だ。


 どたどたと音をたてモータルの元へ人が殺到する。

 あっという間にモータルが持ち上げられる。

 胴上げというやつだ。


「モータルぅ!」「モータル氏~!」


 ぐずぐずになった声が聞こえる。

 胴上げされている当の本人は冷静なもんで。


「皆、ちょっと臭くない?」


「わかる。特にガッテン」


「あァ!?」


 ジークとガッテンがいつも通りのやり取りを繰り広げる。

 思わず笑みがこぼれる。


「……お前、よく頑張ったよ」


「え? うん」


 胴上げが終わったモータルの頭を撫でようとし――


 ――ふにゅり。


 そんな柔らかな感触が返ってきた。


「…………え?」


 あ、れ。

 まだ目がチカチカしてるせいだろうか。


 モータルの頭に、犬耳がついているような。


「何?」


「いや……」


 チラリと周囲を見れば、他の奴等も驚愕に目を見開いている。


 そしてその視線は一斉に魔女へと移る。


「え。どうかした、の?」


「これは、なんだ」


「あ。それはね。生贄を用意させちゃった、お詫び。もーたる君? を、ね。改良してあげたの」


 改良、なるほど。


 なるほど…………。


「スゥーーー……」


「タカぁ! 気持ちは分かるが無言で短剣を構えようとするのはやめろッ!」


 危ない。無意識に抜刀しかけた。

 ふう。

 一息ついてから、俺は叫んだ。



「余計な事すんじゃねぇええええええええええッッッ!!!」


 隣に居たモータルが、迷惑そうに犬耳をパタリと伏せた。


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