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第十六話「視線」


 迂闊に振り向けない状況だ。奴がこんな厄を抱えていたとは。

 物の怪の類いか? 呪いか? 悪霊か?


 いや……この妙に生々しい視線。これは、ひょっとすると。


 一つ仮説を立てたあたりで、仁がちらりとこちらを向いたのが見えた。

 まずい。

 慌ててラインを開いて文章を打ち込む。



ミタル:そのまま家まで送れ。後ろは見るな。あと仁には話がある


青髪バカ:えっ、俺ハブ?


七瀬仁:わかった


青髪バカ:あの


ミタル:ちゃんと後で説明はする


青髪バカ:てことはその連絡のために? 俺の連絡先を? 追加……?


ミタル:してやるから黙って帰れ


青髪バカ:ひゃっほう! 了解!



 クソが。

 俺は胸中で悪態をつきながらスマホをポケットにしまった。


 五分ほど経って、視線が切れたところで青髪バカと別れる。

 今、俺と仁は、最寄りの公園でベンチに座っていた。


「で? ありゃ何だ」


 意外に落ち着いている。

 俺がめちゃくちゃに振り回していて気付かなかったが、ひょっとしてコイツ結構異常者寄りの人間なのか……?


「あー、そうだな。七瀬仁、何が見えた」


 仁が口の端を引き攣らせつつ、答えた。


「女だった。でも何というか」


「この世の物とは思えない、か?」


 俺の返答に仁が目を瞬く。

 そして、認めたくなさが前面に出た表情と声で続けた。


「やっぱアレって、そういうアレなのか?」


「そうだろうな」


 流石に動揺している。

 良かった。まともな反応だ。


「こうなると一般人で対処できる範囲からは逸脱してしまう。当然、俺達の手に負える案件ではない」


「そうだけどよ。何か、何かできないのか? 知った上で何もしないってのは」


 ふむ。正義感の強い男だな。

 予想以上だが、ラブコメ主人公になるためには必要な素質だ。

 しかし、今回はそれを抑えてもらおう。


「仁、お前は何の防護服も着ずに火事場に飛び込むほど愚かか? 火事になったなら、素直に消防車を呼ぶのが適切というものだ。安心しろ、あの手の問題のプロならば伝手がある……そいつに任せて、今回の件は静観すべきだ。違うか?」


「……」


「何か不満が? 結果だけ見ればあの青髪バカは俺達に相談したことがきっかけで悩み事を解消できる。直接介入だけが解決ではないぞ、仁」


「まぁ、そうだな。じゃあ頼むよ」


「ああ、任せておけ」


 七瀬仁は最後まで怪訝そうな顔だったが、ここで一旦解散となった。

 俺は家に帰り、母さんと円満なコミュニケーションを取った後に、こっそり家を抜け出た。


 道を歩く途中、スマホが振動し、見知った名前からのメッセージが表示された。

 危ないな、消音モードにしておかなくては。



七瀬仁:なあ


ミタル:なんだ


七瀬仁:課題で見せて欲しいとこがあるんだが


ミタル:今は無理だ、自分でやれ


七瀬仁:わかった



 そんな返信をして、背負ったバッグのサイドポケットにスマホを突っ込む。

 さて、そろそろ現場か。

 到着したのは、今日視線を感じたあの道路。


「さて。久々だが……全くもって忘れる気配がないというのが腹立たしいな」


 路地裏に入り込み、背負ったバッグ内の物品を記憶通り、四方に配置していく。服も持ち込んだものへ着替える。

 そして最後に、円形に撒いた塩と椅子を二つ用意した。


「さて、話し合いといこう」


 その内、片側の椅子に腰を掛ける。


「……」


 配置を間違えたか?

 そんな事を考え始めた頃、正面の椅子に黒い影が差す。


 来たか。


「ァ……アァアア……」


 それは、昼間見た女だった。

 服は薄汚れ、首には大量の搔き毟ったような傷痕がある。

 垂れ下がった顔を覆うような長い黒髪は、髪というよりもタールを彷彿とさせた。

 

 女は、ゆらゆらと身体を揺らしつつも、髪越しにも分かるほどハッキリと視線をこちらに寄こしていた。


「結構。腰掛けてください」


「ゥウ……ハァア……」


 まるで首を絞められてるかのような呼吸音。

 それは返事だったのか、女は素直に椅子に腰掛けた。


「逆らう力は無し、と」


 手帳を取り出し、特性を記録していく。

 視線の生々しさには驚いたが、そうでもなさそうだな。


「貴方のお名前は?」


「……」


 反応は無し。


「生前の詳細な記憶は無い、かな」


「……ゥウウウウ」


 俺がそう手帳に記そうとしたところで、獣の唸り声のようなものが彼女から発せられる。


「ん?」


 視線の揺らぎを感じる。

 こちらの質問に何か核心を突かれたのだろうか。一度は無反応だったのに何故このような変化を?


「生前の記憶が?」


「ウウウウ」


 相変わらず唸っている。

 やはり、低級な霊のせいか会話が難しい。

 だがこのぐらいは想定の範囲内だ。


「何か、生前に」


「ヴゥウウァア」


 ……ふむ。

 

「生前」


「ァアアアア」


 生前ではない。


「今、ですか?」


「ゥウ……ハァア……」


 擦れるような呼吸音。

 自分が死んだことに気付いていない、というわけでも無さそうだ。

 これは。


「なるほど。最近死んだ程度の人間がここまで霊力を高められるわけがないと思ってたが……生霊との混じりものか」


 一応、帰宅後にこの周辺で起きた事件などを調べた。

 心中で男だけ途中で逃げ出し、女だけが死亡した事件が起こっており、これが起因で生まれたのではと睨んではいたが――まぁ、その程度・・・・の恨みでは悪霊なんぞ出来上がらない。

 それこそ、空気中の埃のごとく漂う他の魂の残りカスと変わらない末路を辿るだろう。誤差程度に他の残りカスよりは長く留まった後、勝手に消えてなくなる。その程度の存在だ。

 生霊は生霊で、これまた薬にも毒にもならんしょうもない存在なのだが――。

 

「ふむ、ふむ。うわぁ、想像以上に癒着が激しいな」


「……」


 二つが奇跡的に合わさってしまった場合、このようなモノが出来上がるときが稀にある。

 もっとも、青髪バカの寿命分なんとか存在を維持できたとて、今のように視線を感じさせる以上のことはできないだろうが……生霊を飛ばしてしまっている側の体調はあまりよろしくない具合になっているだろう。

 更に最悪のパターンとしてコイツを引き金に別のモノまで引き寄せてしまう、といった事もある。

 早急に対処すべきだ。


「中にいる生霊が誰か特定しなければ。青髪バカに聞くべきか?」


「……ゥ」


 青髪バカ、でライン内検索をするが見つからない。

 なぜだ?


「あっ。青髪バカから中田に戻してやが」


「ゥアアアアッ! グウ……グゥア!」


「うるさっ」


 なんだ急に。

 ひょっとして……青髪バカであることが重要なのか?

 俺はてっきり男なら何でもよくて、最初に目についたのがアイツなのかと思っていたが。


「もう少し探るか」


 俺は椅子に深く座り直し、女に向かって青髪バカの個人情報を垂れ流して反応を試した。


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