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第1話 人質は、義信

歴史小説は、簡単だ

作者は、長文を書くだけでよい

読むのは、読者の仕事であるのだから

   歴史学者 ドス・ルイ・エヤス

それは、夕暮れ。


空に浮かぶソフトクリームの形をした雲が形を変えウンチとなり、やがて風に飛ばされて掻き消えた。


空の下には、一軒の住宅。


2階の窓には、カーテンがかかり、隙間から漏れる光が点滅する。


テレビゲームに興じる一人の高校生男子。


しゃっくりでも、出てしまったのだろうか?


彼のその指が痙攣したようにぴょんと跳ね、連動するように画面の中の武将キャラクターが跳ねた。


キャラは、そのまま深い穴の中に落ちて行く。



  信玄は、天下統一できませんでした。


ガンっ!


彼は、画面上の文字に向かってコントローラーを投げつけた。


「失敗かぁ・・・むずぃよ。『信玄の野望』・・・これ、クリアできるやつ居んの?」


彼がプレイしていたのは、弁天堂ゲーム機スイッミンの人気アクションゲーム『信玄の野望』。


「あぁ、疲れた。寝るべ、寝るべ。」


どこか年寄りくさい口調でひとりつぶやき、歯もみがかずに布団へともぐりこむ。


彼は、限界ギリギリまで遊んで、寝落ちするタイプなのだ。


そのせいだろう。


普段は夢を見ることもなくぐっすりと眠る。




そう、普段は・・・




そこは、六畳間のトイレだった。



自分がしゃがんでいるその場所が、小さな部屋であることに彼が気づいたのはどれくらい経ってからであろうか。


そこは、木で作られた便器のちょうど上。


つまり、彼は、排便中だったのだ。


混乱しつつも、すでに用を足し終えていることに気づき、頭の上より垂れ下がったヒモを引く。


ヂリリン、ヂリリン


少し野太い鈴の音が聞こえ、しばらくすると、部屋に引き込まれた樋から水が流れ、汚物を流していった。


「これ、一応・・・水洗なんだな。っていうか、オレ、さっき、布団に入ったはず???」


軽く頬をつねる・・・2度目は、強く。


「痛くないっ。そうか、夢か。」


頬をつねっても痛くないのだから、ここは『夢の中』に違いない。


ぐるりとあたりを見渡した後、下腹部にすぅすぅと冷たい風が当たるの感じた彼は、下帯を締め、着物を着直した。


そう、パンツではなく「ふんどし」。


着衣は「着物」であった。



「夢なのに妙にリアルだな。」



無駄に豪華なふすま戸・・・トイレのくせにと思いながら、それを開けて、外に出る。


「え?これ信玄の野望の風景じゃねぇか。ってことは、オレは、信玄でこのトイレは、山か。」


その景色は、ゲーム「信玄の野望」のオープニングムービーで見たものと同じであった。


「殿は、何故、トイレを山と言うのですか?」


彼の独り言の「ヤマ」という言葉が聞こえたのであろう。


そこに座り控えていた小姓がたずねた。



  ここは、ゲームのオープニングと同じだな



オープニングと同じセリフ、同じ展開に苦笑しながらも、信玄になりきって答える。


「山には常に、草木(臭き)が絶えぬからじゃ。」


このゲームの武田信玄は、トイレにこだわりを持っていた。


本拠地の躑躅ヶ崎館に、自分専用の水洗トイレを設置していたのだ。


館の裏に流れる小川の水を利用し、信玄がひもを引いて鈴を鳴らすとリレー式に数人の家臣がのろしを上げ、上流の者が水を流す仕組みであった。


また、この六畳間の室内には、机や筆硯も設置されており、用を足しながら書状を書いたり作戦を考えていたのだ。



  「夢の中」で、大好きなゲームの世界を体験できる。


  これは、思う存分楽しめそうだ。



そう考えた彼は、さっそく現在の武田家を取り巻く状況を確認し始めた。



現在、暦は永禄2年1月・・・


旧暦であるからして、西暦に直すと1559年2月となる。


「いちごパンツの本能寺・・・だから、1582年に本能寺の変・・・」


ぶつぶつとつぶやいたのは、信玄こと彼であった。


場所はもちろん「山の中」だ。


便座の上にしゃがみ、記憶の中の歴史年表をめくって逆算してゆく。


現在は、本能寺の20年ほど前。


「ということは・・・次の大イベントは、桶狭間か。」


彼が思い浮かべている桶狭間の戦いは、永禄3年5月19日(1560年6月12日)に尾張知多郡で起こった織田と今川の合戦。


そのイベントまでに、準備を終えなければならない。


「義信を越後に人質に出すか・・・」


越後を支配するのは、軍神・上杉謙信である。


武田は、信濃の領有をめぐって川中島付近で数度、謙信と対峙しているが、戦略レベルで有利に事は運べているものの、まともな戦闘で彼に勝利したことはない。


「あんな化け物と消耗戦なんか、やってられるか。」


謙信に人質を送って大人しくしていただくことが肝要だ。


「ヤマ」の中で書をしたため、家臣穴山梅雪に使者の選定を申しつける。


そうして、越後の龍峯寺まで空庵という僧を差し向かわせ、信玄が嫡子・武田義信を妻帯をせず子も居ない謙信の養子とすることを提案させた。


あわせて、領有を争う信濃を南北に2分割し、北信濃を謙信が治め、南信濃を信玄が借り受けることを申し出る。


思いの他、話はトントン拍子に進み、永禄2年5月には、義信が越後へと向かうこととなった。



  まぁ、謙信の死後、信濃は義信の物になる。


  ついでに家督を継げば、越後も貰えて、ラッキーだ。



人質外交により、和睦と同盟を成すことができた。


ニマリと頬が緩む。


そう、これで北は、良き隣人となった。


次に必要となるのは、南の対策である。

書く時間が、全く無くて大変でした

次話は、2月20日21時を予定しています

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