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第9話 一度目の人生・理解できない

 どうせ奪われるのなら、自分から手放してしまえ。

 奪われるのを待っているなんて馬鹿々々しい。


 衝動のままに、ウィスティリアは父親の執務室を訪れた。

 着替えもしていない。寝間着の上にガウンを羽織っただけだ。


 そして、言った。


「グレッグ様をリリーシアの婚約者としてほしい」と。


 熱があり、立っているのも辛かった。それでも、背筋を伸ばして、ウィスティリアは父親に訴えた。


「グレッグ様は婚約者のわたしよりも、リリーシアと親密な関係を築いております。お父様もご覧になったでしょう。わたしの誕生パーティのときに、リリーシアを抱き上げて、部屋まで運んだグレッグ様のお姿を。その時の二人の親密な様子を」

「……ああ」


 父親は、不機嫌さを隠さずに、椅子に寄りかかったまま、返事をした。


「それから、今日、わたしの見舞いにと、本日の昼前から、グレッグ様が我が家にやってきているようですね。お父様、ご存じでしたか?」

「いや……。聞いてはいないが」

「グレッグ様とリリーシアが、庭で抱き合っている姿を見ましたけれど。あれも、お父様はご承知ではないということでよろしいですか?」

「……そう……か。それで?」

「グレッグ様とリリーシアが恋愛関係にあるのは間違いないでしょう。ならば、婚約者をわたしからリリーシアに代えるべきだと、そう申し上げているのです」


 ウィスティリアは真摯に訴え続けた。

 だが、父親からの返答はない。なにごとか考えているのか、それとも……。

 沈黙に耐えきれず、ウィスティリアは繰り返す。


「グレッグ様は我がリード子爵家に婿入りをするのです。なら、わたしとの婚約など破棄し、リリーシアと婚姻をしても別に問題はないでしょう」


 婚約者が姉から妹に代わる。それは醜聞ではあるかもしれないが、別に珍しい話ではない。物語や演劇などの世界では、そんな話があふれている。社交に勤しむ母親が、どこぞの家で婚約者を姉から妹に代えたのだなどという噂話の一つや二つ、拾ってきては、顔をしかめていたこともあった。


「……問題は、あるがな」

「何が問題ですか?」


 醜聞程度なら、どうでもいいとウィスティリアは思っていた。

 婚約者を妹に取られた姉として、他者から笑われても構わない。

 自分の将来の結婚などに悪影響を及ぼすというのなら、誰とも婚姻など結ばずに、修道院にでも行く。生涯を神に仕えるのも良いとさえ、思う。


「ウィスティリア。お前がこのリード子爵家の家督を継ぐのだ。グレッグ殿はお前の夫となってもらわねば」


 父親が、めんどくさげにそう言った。


「それを、グレッグ様もリリーシアも承諾するでしょうか? グレッグ様とリリーシアが恋愛関係をこのままは発展させていけば、グレッグ様のほうからわたしとの婚約を破棄なり解消なりをして、リリーシアと改めて婚約を結ばせてほしいなどと言いだしそうですけれど」

「先走りすぎだウィスティリア。……そうなると決まったわけではあるまい」

「起こりうる未来ですが?」


 父親は、むっつりと黙り込んでしまった。


「例えば、グレッグ様のほうからリリーシアと婚姻を結ばせてほしいと願い出られる。また、例えば、グレッグ様とわたしが婚姻を結んだあと、リリーシアが愛人としてグレッグ様と男女の関係を結ぶ。どちらも起こる可能性が高い未来です。どちらに転んでも醜聞となるのであれば、リード子爵家にとって、傷の浅い道を選ぶ方がよろしいかと思いますが」


 だから、グレッグと自分の婚約をなくし、グレッグとリリーシアの婚約を結ばせればいい。ウィスティリアはそう父親に告げた。


 それが、現状、一番リード子爵家にとっても、ウィスティリアにとっても最善だと、ウィスティリアは思った。


 だが、父親の考えは、ウィスティリアとは異なった。


「……グレッグ殿がリリーシアに恋愛感情を抱いているのならば、寧ろ好都合だ。ウィスティリア、お前がグレッグ殿と婚姻を結んだあと、この屋敷でグレッグ殿と二人でリリーシアの面倒を見続ければいいだろう」

「え?」


 ウィスティリアには、父親が何を言ったのか、まるで理解できなかった。


「たとえグレッグ殿とリリーシアが男女の関係になろうと問題はない」

「も、問題はない……とは」

「我が家の使用人には、醜聞となるようなことを言いふらすような者はいない」

「そ、それは……そう、ですが」

「ならば、黙っていればいいだけの話だ。仮に将来、リリーシアがグレッグ殿の子を孕んだとしても、その子はウィスティリアが産んだ子として育てればいい」

「は、い……?」

「そうだ、リリーシアの面倒などグレッグ殿に任せておけばいい。ウィスティリアは子爵家の領地経営に専念できる。良いことではないか」


 ウィスティリアは口を、開けて、閉めて。そしてまた開けた。

 だけど、口は開いても、発する言葉を持たなかった。

 父親が、ウィスティリアに告げた言葉があまりにも衝撃的過ぎて。頭が真っ白になった。


「……そもそもあのわがままで、なにかを欲しがることしかしないリリーシアが、まともに他家に嫁げるとは思えん。どこかに嫁に行かせたところで、離縁されて、送り返されるだろう」

「そ、それは……」


 それもまた、簡単に予想できる未来だ。

 嫁いだ先で、あれもこれもと、いろいろなものを欲しがり、子どもじみたわがままを繰り返す。

 まともな貴族であれば、リリーシアのような娘を娶るはずもない。

 外見のかわいらしさに惹かれて、うっかり娶ったところで、すぐに面倒がられて放り出されるだろう。


「リード子爵家の家督も継がせられん。リリーシアに子爵家の経営などできるはずもない。金などあるだけ散財するだろう」


 わかっているのならなぜリリーシアを放置しているのだ。

 まともな教育を施して、欲しがる性質を少しでもまっとうに矯正していくのが親の務めではないのか。

 これまで、ウィスティリアがリリーシアにどれだけのものを奪われてきたと思うのだ。


 言いたいことが溢れすぎて、かえって言葉が出なかった。ウィスティリアはただ、ひくひくと口を動かすことしかできない。


 父親は、ため息を吐いた。


「リリーシアは、無垢な赤子そのまま体だけが大きくなったような娘だ。不快なら泣く。楽しければ笑う。欲求のままに動くしかできん」

「お、お父様……」

「あれはそういう生き物だ。あれが癇癪を起して、そしてその癇癪を収めるには、なにか気に入ったモノを与えるしかない。今のところ、それしか対応策はない」


 そうだ。いつもいつも、ウィスティリアのモノはリリーシアに奪われてきた。

「欲しい欲しい」と喚いて泣いて。

 それを収めるためには、リリーシアが欲しいと主張するモノを与えるしかなくて。


「あれに教育など無意味だ。グレッグ殿が欲しいというのなら、くれてやれ。そうすれば、ウィスティリア、お前の負担も少しは減るだろう」

「負担が、減る……」


 リリーシアという負担が減るのは嬉しい。

 リリーシアがグレッグを欲しいと言って、グレッグがリリーシアを望むのなら、そうすればいい。


 だけど、ウィスティリアとグレッグの婚約を継続したままというのは。


 自分の夫となる者を、妹の愛人にでもしろというのか。

 夫と妹の間に子ができたら、それを自分の子として養育しろというのか。


 父親の主張が気持ち悪い。

 まともな考えだとは思えない。


「短期的に物事を見るな、ウィスティリア。リリーシアが天寿を全うするまで、お前は姉としてリリーシアの面倒をみねばならんのだ。だったら、グレッグ殿に甘えて、リリーシアを任せるのも一興だろう」


 なんなのだ。

 なんなのだ、この、父親の言うことは。


 まったく理解ができない。

 いや……したくない。




一度目の人生パートは 第一話から第十五話まで。

そのあと狭間の時間が入って、二度目の人生パートになります。

もうちょっとつらい状況が続いますが、最終的なハッピーエンドまでお付き合いいただければ幸いです。

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