第8話 一度目の人生・いっそ寒々しい
今日、いいや、リリーシアの誕生会当日までは、グレッグがリード子爵家に来る予定などなかったはずだ。
婚約者としての交流は延期させてほしいと、手紙も送った。
そのグレッグが、リリーシアと指を絡めて、顔を寄せ合っている。
ああ……、と、ウィスティリアは思った。
「まさか」という、殴られたようなショックを受けたのではない。
寧ろ「やっぱり」というような、ざらついた気分だった。
ちょうど水差しとコップを持ってウィスティリアの自室にやってきたメアリーに聞いてみた。
「え? グレッグ様でしたら、ウィスティリア様のお見舞いにと、花束を持ってやってきた……はずですが」
ウィスティリアは眉根を寄せた。
「お見舞いに、花束? お会いしてなんていないわ」
ウィスティリアは、長い薄紫の髪も無造作に束ねているだけだし、そもそも着ているのも寝間着だ。婚約者とはいえ、男性と会えるような恰好をしていない。
見舞いにというのなら、今からでも急いで、身支度をしなければ……と、そこまで考え、ふと、別の考えが頭をよぎった。
庭に、グレッグとリリーシアがいた。
いつから?
グレッグがこの家に着いたのは、いったいいつだ?
本当にウィスティリアを見舞いに来たのなら、グレッグがリード子爵家に到着した直後に、ウィスティリアに「グレッグが来た」との連絡が届くはずだ。そういうことを、伝え忘れるような、怠慢な使用人は、この家にはいない。
「ごめんなさい、メアリー。グレッグ様が何時くらいに我が家に来たのかだけ、教えてくれる? ご挨拶しないと……」
「えっと、ルーナンド伯爵家の馬車が到着したのは、お昼より少し前だったと……」
ウィスティリアは、視線を流して時計を見た。
昼食はすでに食べ終わり、使った食器の皿洗いなども、使用人たちが洗い終えた程度の時間が経過している。
なのに、グレッグは現れない。
グレッグが来たという知らせすら、届いていない。
「……まあ、わたしへの見舞いというのは口実で、グレッグ様はリリーシアに会いに来たのね……。持ってきた花束はリリーシアに贈られたのかしら。昼食も、二人で一緒に摂ったのかしら。今は食後の散策……という感じなのかしらね」
棘の含んだ声を、止めることができなかった。
「ウィスティリアお嬢様……」
カーテンの陰からそっと外の庭を窺い見る。
ベンチに、隣り合って座っているリリーシアとグレッグは、見つめ合い、時折、楽しそうな笑い声をあげていた。
窓をそっと開けた途端、リリーシアの声がはっきりと、ウィスティリアの部屋まで聞こえてきた。
「ねえ、ねえ、グレッグ様っ! リリー、もうすぐ十四歳になるのよ」
「そうか、立派なレディになるんだね」
「うんっ! だからね、リリーのお誕生会には、大人っぽい素敵なプレゼントがたくさんもらえるといいなーって思っているの」
「じゃあ、ぬいぐるみとか絵本とかじゃなく、アクセサリーとか?」
グレッグのその言葉に、うっとりしたリリーシアの声が続いた。
「指輪とかペンダントとかだったら素敵ねぇ……」
ほう……と、リリーシアは甘い溜息を吐く。
「だったら、未来の義兄として、義妹に指輪をプレゼントしよう。大人っぽく、本物の宝石のついたものを」
「嬉しいっ! グレッグ様、だーい好きっ!」
「リリーシアの瞳の色に合わせると……ピンクダイヤとかローズクォーツ……。ああ、ピンク貝と呼ばれるコンクパールなんかもいいね。真珠のように、海でしか取れない希少価値のあるものらしいよ」
「珍しいのねっ! そんなすごいものを手に入れられるなんて、グレッグ様って素敵だわ……っ!」
その言葉と共に、リリーシアがグレッグに抱き着いた。
押し当てられた胸のふくらみでも感じたのか、グレッグの顔は、瞬時に赤くなった。けれど、リリーシアから距離を取るのではなく、逆にリリーシアの背に、グレッグの手をまわし、その背にそっと触れている。
そして、そのまま、離れる気配もない。
「未来の義兄に、義妹? 笑わせないでほしいわね……」
抱き合う二人の様子は、どこからどう見ても仲睦まじい恋人同士だ。
義理の兄と妹の距離ではない。
自分が婚約者なのに……という嫉妬の感情は、ウィスティリアの胸には浮かんでこなかった。
馬鹿々々しかった。
「モノが、欲しいわけじゃない。グレッグ様だって、好きなわけじゃない。だけど……。婚約者にはひしゃげた花束。婚約者の妹には希少な宝石をプレゼントね……」
不快を通り越して、いっそ寒々しい嗤いが込み上げてくるようだった。