第7話 一度目の人生・僻み、だろうか?
晩秋生まれのウィスティリアに、初冬生まれのリリーシア。
ウィスティリアの誕生日にはウィスティリアの、リリーシアの誕生日にはリリーシアの誕生パーティを、ウィスティリアの両親は、きちんと分けて開く。
けれど、それはウィスティリアたちのためではない。
我が子爵家は、この通りきちんと我が子の養育をしていますよということを、他者に示しているだけだ。
つまりは、親からの愛情ではなく、社交の一環。
潤沢な予算もないからこそ、食材も、酒も、ウィスティリアたちを着飾るドレスも、あれもこれもと買えない代わりに、厳選をする。
「買うのは一着だけよ」
誕生パーティの衣装を選ぶために、懇意の商会に行く前、母親は何度もリリーシアに釘を刺す。
「ええー……。リリー、ドレス、たくさん欲しい」
「そう。ドレスを二着にするなら、アクセサリーもぬいぐるみも買わないわ。ケーキもなしね。それでいいのねリリーシア」
「……ヤダ」
「ドレスを二着にするか。それともドレスは一着だけど、アクセサリーとぬいぐるみも買う。誕生パーティーにはちゃんとケーキも付ける。どちらかを選びなさい」
「……わかった。ドレスは一着でいい」
母親に言われて、渋々と。リリーシアは一着だけ、ドレスを選ぶ。
選ぶために、リリーシアは試着をする。
何着も、何十着も。
買えないのなら、試着をすればいい。
試着なら、お金を支払わなくてもいい。
たくさんのドレスを着るだけでもリリーシアは楽しいらしい。
商会にあるドレスを全部、着ては脱ぎを繰り返す。
それに付き合っているウィスティリアや母親が疲れてしまっても、まだリリーシアは試着を繰り返す。
だけど「もういいでしょう。そのあたりで、一着選びなさい」などと言おうものなら、リリーシアの機嫌は悪くなる。
結局、納得するまで試着を繰り返し、長い時間かけて、その一着が決まるまで、リリーシアに付き合うしかない。
アクセサリーもぬいぐるみも、ドレス同様に、手に取って、納得がいくまで何十種類も見比べてから、一つ選ぶ。
リリーシアだけがご機嫌だ。
いつもより、にこにこと笑顔を振りまいている。
機嫌が良い時のリリーシアは、無邪気であり、非常に可愛らしい。
妖精のように、軽やか且つ目まぐるしく表情を動かし、いろいろなものに興味を惹かれ、生き生きとして、実に魅力的だ。
赤ん坊のようにすべすべした肌。好奇心にキラキラと輝く薄桃色の瞳……。まもなく十四歳になるというのに、精神的にはかなり幼いし、貴族の娘としての教養や礼儀も全く身についていない。
それを差し引いても、リリーシアの外見は愛らしい。
さすがに国一番の美少女というわけではない。
だが、同じ年頃の娘を十人、集めたとする。最初にぱっと目をひかれるのはきっとリリーシアだろう。
そんなふうな、華やかな愛らしさが、リリーシアにはたしかにある。
ウィスティリアも、それなりに美しくはある。が、残念なことに、美人には見えない。顔立ち云々というよりも、表情が暗いのだ。
使用人たちと共にいるときならともかく、誕生パーティや母親に連れていかれる社交の場。そんなところではウィスティリアの側には常にリリーシアがいる。
いつ、リリーシアがわがままを言って何かを奪っていくかもしれない。
気を張っているか、しかたない……とため息ばかりを吐くばかりのウィスティリア。印象が良くなるはずもない。
(お父様かお母様がリリーシアの面倒を引き受けてくだされば、その間くらいわたしだって笑顔を振りまけるのに……)
そうは思いはするが、ウィスティリアの両親が、ウィスティリアに代わってリリーシアの癇癪を抑えたり、面倒を見たりするはずもない。
「お父様もお母様も忙しいのよ。あなたは姉なのだから、リリーシアの面倒くらい見てちょうだい」
姉だから、妹だから。
……うんざりだ。
これ以上、リリーシアに振り回されたくない。
病気を理由にしたら、治るまでの間くらい、リリーシアの面倒を見ないで済むかもしれない。
朝食で母親とテーブルを共にしたとき、ウィスティリアは思い切って言ってみた。
「ごめんなさいお母様。風邪だと思うのだけれど、このところ、咳が出て止まらないのよ。それから、喉に痰が絡むような感じで。熱は……、それほど高くはないとは思うのだけれど……。だるくて」
乾いた咳が、時折出る……のではない。
近頃は、頻繁に咳き込むようになっていた。
「そう……、仕方がないわね。お医者様を呼ぶから。お薬を飲んで、さっさと治してちょうだい。まったく、やることが多くて忙しいのに……」
「……ごめんなさい」
大丈夫なのとか、ゆっくり休むのよとか。
そんな優しい言葉をかけてもらうことを期待したが……。煩わし気に言われただけだった。
医者を呼んでくれるというのも、ウィスティリアの体を慮って……ではなく、さっさと完治させて、早く、リリーシアの面倒を見させたいだけなのだろう。
わかっていても、落胆はする。
ウィスティリアは溜息を吐いた。
数日後、やって来た医者は、風邪の範囲だろうと言って、咳止めを処方した。熱が上がったときのためにと解熱剤も置いていった。
言われたとおりに咳止めをきちんと服用する。
けれど、あまり薬の効果はないように感じた。
咳は、更にひどくなった。
「別の種類の薬か、効き目の強い薬に替えてもらったほうがいいかしら……」
熱が、日に日に高くなってきたようだ。だるさも増している。解熱剤を飲めば、しばらくは楽にはなるのだが……。
もしや風邪ではなく、別の病気では……と、不安にもなる。
二度目に医者が往診しにやって来たときは「少々質の悪い風邪か、肺炎になりかけているのかもしれません」と言った。
「肺炎……」
単なる風邪ではないのかと、ウィスティリアは不安を強くした。
「ああ、大丈夫ですよ。お嬢様、胸や背中に強い痛みはありませんよね」
「はい」
「ベッドで寝ている状態でも、息苦しさを感じるときはありますか? 呼吸困難などは?」
「咳や痰が出て苦しいですが、呼吸困難というほどまでは……」
時折、息苦しさを感じることはあるが、呼吸困難というほどにはひどくはない。
「であれば、仮に風邪ではなく、肺炎だとしても、きっと軽度です。薬も解熱剤と咳止め、それに去痰薬……痰をやわらかくして気道の詰まりを改善したり、その痰と一緒に体内の悪いものを体外に排出しやすくする薬を飲んで、安静にするしかないですね」
「そう、ですか……」
「咳の状態からすると、完治まで少々長引くかもしれませんが……」
医者の言葉としては、頼りない。が、薬を飲んで安静にする以外にできることはないのだろう。
ウィスティリアは医者に礼を言って、薬を受け取った。
風邪にしろ、肺炎にしろ、リリーシアの誕生会前の忙しい時期に家族や使用人たちにうつすわけにはいかない。
ウィスティリアは自室で大人しく過ごすことにした。食事も、家族とは一緒に摂らず、自室に持ってきてもらう。
さみしいとは思わなかった。
寧ろ、リリーシアと顔を合わせることがない分、気楽ささえ感じていた。
もっと正直に言えば、リリーシアと会いたくなかった。
リリーシアだけではなく、グレッグとも、だ。
二人を見れば、どうしてもウィスティリアの誕生パーティの時、グレッグがリリーシアを抱き上げて階段を上って行った姿が思い出されてしまう。
婚約者の自分よりも、グレッグと親密なリリーシア。
別に嫉妬ではない。
グレッグは親が決めた婚約者であり、特に恋情などはない。
だが、婚約者として、グレッグから蔑ろにされているように思えてしまうのは、僻みだろうか?
もやもやとした気分は、病気で気が弱くなっているから……だけのようには思えなかった。
グレッグのことを考えれば考えるほど、重たい溜息があふれ出てくる。
「『わたしの誕生パーティではほとんどお話ができませんでしたから、お時間をいただいてゆっくりお話でもしませんか』なーんて、婚約者としては、お手紙でも書くべきだとは思うのだけど……」
ウィスティリアの誕生パーティのときには、グレッグと話などはしなかった。
グレッグは足を痛めたリリーシアを部屋に送り、そのままリリーシアの部屋で過ごしたらしい。
ウィスティリアは招待客たちへの挨拶に忙しかったので、グレッグやルーナンド伯爵夫妻が帰宅するまで、そのことには気が付きもしなかった。
「『リリーシアの部屋で、二人きりで。なにをしていたのですか』なんて。咎めるのも面倒だわ。だけど、なにも言わないのは……婚約者としては、どうなのかしらね」
面倒くさくなって、ウィスティリアは『少々熱と咳があるので、しばらくお会いできませんことをお許しください。次はリリーシアの誕生パーティでお会いいたしましょう。それまでには体調も良くなると思いますので』とだけ、グレッグ宛の手紙を書いて、使用人の一人であるブレンダンに渡した。
ブレンダンは、快く手紙の配達を引き受けてくれた。
その時に、ふわりと、ブレンダンの体から甘い香りがした。
「あ、お嬢様に頂いたあのオイルですね。服のポケットに入れて、疲れた時なんかにたまに嗅いでます。気分がすごくよくなるんですよ」
「そう……。使ってもらえて嬉しいわ」
「へへへ。じゃ、グレッグ様への手紙の配達、行ってきまーす」
足取り軽く、ブレンダンはルーナンド伯爵家へと向かった。
帰ってきたブレンダンからは「きちんとグレッグ様ご本人に手紙を手渡ししましたよ」との報告もあった。
それが一週間前。
だから、リリーシアの誕生パーティの当日まで、グレッグがリード子爵家に来るようなことはない。そのはずだった。
ウィスティリアは自室の窓から、リード子爵家の庭を見る。
「グレッグ様とリリーシア……」
二人は、手を繋ぎ合って、リード子爵家の庭のベンチに座っていた。