番外編・1 リリーシア視点 (後編)
「リリーシア様は、どうお考えですか?」
アンソニーが聞き返してきた。
「わからない。リリーにはなにもわからない」
「では、お考え下さい」
「考える……?」
「この屋敷に残っている、誰もが、ウィスティリアお嬢様のお考えはわかりません」
「誰も、わからない……」
「メアリーたちは、ウィスティリアお嬢様がいなくなったのは、リリーシアお嬢様のせいだと考えています」
……リリーが悪いの?
奪ったから?
わがままばかり言ったから?
「私やジャネットは……ウィスティリアお嬢様はリリーシア様をお恨みになるような方ではないと考えています。ですが、ウィスティリアお嬢様の本当のお気持ちは……、お嬢様がなにを考え、どうしてこのような選択をしたのかは……わかりません」
「アンソニーにも、わからない……」
「はい。ですが、去り際、ウィスティリアお嬢様は……しあわせな人生を選んでと、おっしゃいました。私はその意味をずっと考えております」
「考えて……」
「はい。ですから、リリーシアお嬢様も。ご自分でお考えになり、ご自分の答えをお出しください」
……自分で、考えないといけない。
わからなくても、自分で。
リリーは馬鹿なのに。
なにも、わからないのに。
リリーを、見る、アンソニーの目。
考えろって言っている。
ぜんぜん違うのに、お姉様に見られているみたい。
怒りとかじゃない、静かな目。
リリーは、馬鹿なのに。
だけど、馬鹿だけど……、考えないと、いけないんだわ、きっと……。
それから一週間後。グレッグ様のお父様とお兄様がリリーを訪ねてきた。
「……書類上の婚姻は結ばれているが……、それはどうするか……」
グレッグ様は伯爵家のご自分の部屋に閉じこもって、出てこない、らしい。
リリーに、キスをすれば、グレッグ様の体は治るのにね。
ああ、そうか。
化け物のリリーに、キスをするなんて、嫌なのね。
神様に誓った真実の愛なんて、どこにもないのね。
グレッグ様は、リリーに会いに来ない。
リリーを助けてはくれない。
閉じこもったまま。
リリーに、呪いを解いてくれる、王子様は……いない。
だって、その王子様だって、呪われてしまっているから。
そして、王子様は。その呪いを……解く、気力も、ないから。
……ルーナンド伯爵ご夫妻、お兄様がた。特にカイト様にはこれから多大なるご迷惑をおかけすると思います。ですが、我が不肖の妹をどうぞよろしくお願いいたします。
お姉様が、いなくなる前に、言った言葉。
……リリーを、お願いします。
……ルーナンド伯爵ご夫妻、お兄様がた。我が妹をよろしくお願いいたします。
そこに、グレッグ様の名前は、ない。
考える。
お姉様の言葉を思い出しながら、考える。
お姉様は、確かにリリーを、グレッグ様を、呪った。
どうやって、呪いをかけたのかなんて、馬鹿なリリーには全然わからないけれど。
呪って、そして、それから……。
呪いを、解く方法も、教えていてくれた。
人からモノを奪うな、相手に対する感謝の気持ちを持て。これが、最低限のこと。
躾って言葉も言っていた。
躾。
子どもが覚えるべき、最低限の礼儀。
お姉様は、きっと……。
……きっと、リリーに……、わからせる、ために。
「……書類上の婚姻は、そのままにしていてください。そうすれば、カイト様は、リリーの家に来て、リリーを助けてくれることができるんでしょう?」
「……いいのか、それで」
「……リリーは、子爵家のお仕事なんてなんにも知らない。お父様もお姉様もいないから、なにもできない」
できた書類に印章を押すくらいしか。
言われたとおりにすることしか。
なにも、できない。
無能なリリー。
「……お姉様が帰ってきてくれるのならって思うけど」
「まもなく死ぬと言っていたが……」
「そう……だった……。奪われ続けたまま死ぬなんて……って、言っていたっけ……」
リリーは、お姉様に、ごめんなさいって言うことも、できないのね。
俯いて、唇を噛む。
リリーには、なんにもできない。
できないのに、もうお父様もお母様もお姉様もいない。
「……お姉様の、ご用意してくれた通りにしたいの。カイト様、ごめんなさい。リリーを助けてください」
カイト様に、助けてもらうしか、ない。
「本当にいいのか? わかっているのか? グレッグとリリーシア嬢が結婚して、それで、この家にカイトとカイトの妻が入り込んで、経営を行う。そして、カイトの子をグレッグの子として……つまり、リリーシア嬢とグレッグの子として、この子爵家を継がせる。合法ではあるが、乗っ取りのようなものだぞ」
「いいんです。リリーにできるのはそれしかない。グレッグ様との子どもなんて、無理、でしょうし」
だって、愛してない。
グレッグ様は、もう、リリーを……好きじゃない。
化け物なんて、愛せない。
立ち上がって、ぺこりと頭を下げる。
……ああ、リリーは、礼も、できてない。
ウィスティリアお姉様の淑女の礼は、美しかった。
「リリーは、馬鹿なの。何にもわからないの。馬鹿だから、カイト様たちにはすごく迷惑をかけちゃうけど。だけど……、これから、いろんなことをおぼえるから」
家庭教師のグラディス。今までリリーは授業なんて聞かなかった。
だって、ぜんぜんわからないし。
貴族が通う学園にだって、このままじゃ、入ることもできない。
だけど、それじゃあ駄目だ。
……誰からも奪わなければいいの。もらわなければいいの。
……リード子爵家の使用人のみんなやこれからあなたを助けてくれるカイト様たちに、感謝して、心の底から『ありがとう』を言えば、そのうちきっと。
お姉様が言った言葉は、リリーにはむずかしい。
だけど、理解、しないと。
奪わない。もらわない。
心から、感謝を、する。
奪わない。もらわない。
心から、感謝を、する。
何回も、繰り返す。リリーが、本当に、ウィスティリアお姉様の言葉を理解できるまで。
お姉様に、ごめんなさいを言う代わりに、繰り返す。
奪わない。もらわない。
心から、感謝を、する。
「リリーは、今まで、悪い子だった。だから、きっと、お姉様がリリーを罰したの。リリーは、その意味を、知らないといけない。それから、みんなに、心から『ありがとう』を言わないといけない」
どうしたら、そんなことができるようになるのか、馬鹿なリリーにはわからない。だけど。
「グレッグ様のお父様、カイト様。リリーは馬鹿だけど、なおすから。いい子になるから……。だから、よろしくお願いします」
わかったと、承諾してくれたカイト様に、リリーは『ありがとう』を言った。
きっと、生まれて、初めて、まっとうな心で。
ウィスティリアお姉様が「よくできたわね、リリーシア」と言って、リリーに微笑んでくれたような、そんな、気、だけが、した。
‐番外編・1 終わり‐
次の番外編は、メアリー視点です。
それで完結となります。