番外編・1 リリーシア視点 (前編)
「帰りましょう、リリーシアお嬢様」
「かえ……る」
「はい。リリーシアお嬢様に見ていただきたいものがあります」
さっきまで、グレッグ様のご両親となにか話していたはずのアンソニーが、リリーの側に膝をついて、そう言った。
なんだろう?
この顔の治し方?
それとも、お姉様からなにか言われているの?
のろのろと立ち上がり、足を引きずるようにして、歩く。
ジェニファーがリリーを支えてくれていた。
グレッグ様は、一緒の馬車には乗ってこない。結婚したのにどうしてって思ったけど、グレッグ様は、リリーのほうなんて見向きもしなかった。ううん、リリーから、逃げるように、グレッグ様のお母様の陰に隠れていた。
リリーとアンソニーとジェニファーの三人。
来たときは、ここにお姉様も一緒に居て、優しかったのに……って思っていた。
どうしてお姉様は、リリーにこんなにひどいことをしたの?
リリーが、奪ったから?
くれたじゃない。
お姉様が、リリーにくれたんじゃない。
リリーは悪くない。
お姉様が悪い。
家に着いたら、アンソニーが「こちらです」といった。
「なによ。ここ、お姉様の部屋でしょう」
「はい、そうでございます。ウィスティリアお嬢様に断りもなく勝手に入るのは、申し訳ないのですが……、それでも今のリリーシアお嬢様には見ていただきたいのです」
ドアを開けて、勝手に入る。
そう言えば、昔はこの部屋に来て、いろんなものを貰っていた。最近は来ていなかったけど。
そうだ、なにかいいものがあれば、もらってしまおう。
いいでしょう、そのくらい。お姉様はリリーにひどいことをしたんだから。
そう思っていたのに。
お姉様の部屋の中は、なんにもなかった。
「え……?」
殺風景な部屋の中。まるで……。
「空き部屋……?」
でも……、確かに部屋の位置はお姉様のもので……。
ああ、お姉様のことだから、モノを出しっぱなしにしていないで、しまっているのね。リリーはしまうのが面倒だから、テキトウに積み重ねているけど。
そう思って、書き物机の引き出しを開ける。
便箋と封筒とインクにペン。それから、お勉強で使う教科書。それだけ。
あとは、なにもない。
クローゼットを開ける。
ドレスが二着。寝間着。白のシャツ。随分と古めかしい、草のようなくすんだ黄緑色のスカート。ワンピースもあったけど、なんか古い感じ。あとは下着。
ただ、それだけ。
これだけ?
指輪もない。ネックレスも……なにもない。リボンすらない。
どこかに隠しているのかと思って、あちこち引き出しを開けてはみたけど、ほとんど空っぽ。ハンカチだって、二枚とかしかはいってなかった。
壁に、絵もない。
空っぽ。
これが、お姉様の部屋……?
なんで、なんにもないの?
なにかもらっていこうかと思ったのに。
「では、次は、リリーシア様の部屋へ」
アンソニーが言った。
「リリーの?」
お姉様の部屋に連れてこられた意味が分からない。最初からリリーの部屋に行って、休ませてくれればいいのに。
ウェディングドレスの裾をずるずると引きずりながら、リリーは自分の部屋に行く。
部屋の前には使用人たちが、ズラリと並んでいた。なんだろう?
「ジャネットに言って、皆を待機させておきました。もし、リリーシアお嬢様がお嫌でなければ男性使用人にも手伝ってもらいますが……」
「なにを、するの……」
嫌な、感じ。使用人たちの目が冷たい。
「リリーシア様が、ウィスティリアお嬢様から奪ったものを、廊下に並べてまいります」
「奪ってないわっ! お姉さまがくれたのよっ!」
「……奪ったか、いただいたのか、どちらでも構いません。ですが、リリーシア様のそのお顔の老化……。何回「ありがとう」を言えばいいのか、確かめねばなりません」
リリーの顔がおばあさんになったけど、ありがとうを言えば治る。
そんなことを、お姉様は言っていた。
廊下に、一つ一つ、お姉様からもらったものが出されて、一列に、ずらりと並べられていく。使用人たちが、リリーシアの部屋の中と廊下を、何度も行ったり来たりする。
「え……?」
並べても、並べても、まだまだリリーシアの部屋からは貰ったものが出てくる。
長い列になった。リリーはそれを数えてみた。
「ひとつ、ふたつ、みっつ……」
百を超えても、まだまだ並べられている。
使用人たちも、まだまだ、リリーの部屋からリボンやぬいぐるみを持って廊下に出てくる。
終わらない。
いつまで経っても……、運び出す作業が終わらない。
一つ、また一つ。
廊下に並べられていくモノが増えていく。
「お判りになりますか、リリーシア様」
「アンソニー……」
「ウィスティリアお嬢様のお部屋に、なにもなく。リリーシア様のお部屋には、こんなにも奪ったものがあふれている」
奪った……。違う、くれたの……なんて、もう言えなかった。
あまりにも、ちがう。
殺風景なお姉様の部屋。
並べても、並べても、まだまだリリーの部屋からはモノがあふれて出てくる。
「ここに並べられたものの数は、ウィスティリアお嬢様の悲しみの数です」
「悲しみ……」
「憎しみかもしれませんね。それゆえに、リリーシア様のお顔をそのようにしたのかもしれません」
「憎しみ……」
その言葉は、お姉様には似つかわしくないと思った。
アンソニーも、そうらしい。自分で言っておきながら、首をかしげている。
「いいえ、ちがいますね。ウィスティリアお嬢様はどなたかを憎むような方ではない」
うん、そうね。それは、リリーにもわかる。
じゃあ、なんで、お姉様はリリーの顔をこんなにしたの?
わからない。
だけど……。
さっき、教会で。リリーに向かって、お姉様が言っていたのは……。
……ホントに嫌だった。
……でも、わたしが嫌だと、あげたくないと言っても無駄だったでしょう?
……諦めて、渡しても、また別のモノを、どんどん欲しがるし……。
……きりがないのよね。
……それに、奪われ続けたまま死ぬなんて……悔しくてね。
お姉様が、リリーに言った言葉。
嫌だった。
悔しかった。
ここに並べられたものの数だけ、お姉様は嫌だと思ったんだ。悔しかったんだ。
腰から力が抜けた。廊下にへたり込む。
床が、冷たい。冷える。きっとお姉様の心も、こんなふうに、冷えていったんだろうか。リリーシアが、お姉様のモノを、奪うたびに……。
「ごめんなさい、お姉様……」
ようやくわかった。
リリーは、お姉様に疎まれていた。
でも……それは、リリーが、悪いから、なんだ……。
それからずっと。
リリーはずっと考えていた。
本当はちょっとだけ、あれは全部嘘だよって、お姉様が帰ってくることを、心のどこかで期待もしていた。
でも、お姉様は帰っては来ない。
なら……リリーは、どうしたらいいのか。
誰も教えてくれない。
アンソニーにはわからない。
ジャネットにもわからない。
使用人たちの何人かは、会うたびにリリーをすごい目で睨んでくる。
まるで、お姉様の代わりに、睨んでいるみたい。
ううん、お姉様は、そんなこと、しない。
でも……。
なら、どうして、お姉様は、リリーの顔を、こんなふうにしたんだろう?
長くなったので、前後編に分けました。
後編、お待ちください。